★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

地獄の鼎のはたに頭うちあてて、三宝の御名思ひ出でけむ

2024-01-06 23:46:37 | 文学


されば、さばかり酔ひなむ人は、その夜は起きあがるべきかは。それに、この殿の御上戸は、よく御座しましける。その御心のなほ終りまでも忘れさせ給はざりけるにや、御病づきて失せ給ひけるとき、西にかき向け奉りて、「念仏申させ給へ」と、人々のすすめ奉りければ、「済時・朝光なむどもや極楽にはあらむずらむ」と仰せられけるこそ、あはれなれ。つねに御心に思しならひたることなればにや。あの、地獄の鼎のはたに頭うちあてて、三宝の御名思ひ出でけむ人の様なることなりや。

藤原悪党兼家の息子で定子の父親である道隆は大酒飲みで、一種の癒し系なのか知らないが、――語り手によれば、地獄の釜に頭ぶつけて三宝を思い出すような輩であった。その酒飲みに「済時・朝光なむどもや極楽にはあらむずらむ」といわせたあとで、地獄で釜に頭ぶつけろと言って居るわけであるから何かを言っていることはたしかだ。しかし、この程度で皆までいわないところが文学である。語り手の現在に於いて、「こいつは頭が悪かったのだ」と言ってしまったら間違っているからである。

ネット上で、関東のNPOが「ギフテット」を育てる教育を諦めたみたいな記事で盛りあがっていた。もう、やめたのかい、教育を舐めてんの?と思ったが、記事曰く、なんか助言は聞かないしうまくいかないと諦める、これじゃあダメだということだ。実際に何が起こったのかわからんが、研究にしろ芸術にしろ、その人の才能だけでやるもんではないのは、当たり前であって、なんのために芸術や文学がその作品の生成を論じてきたのかわからない。科学の技術論なんかでも、天才がつくるぜみたいなことを誰が言っているのだ?(しかし協働が大事みたいな滅私奉公みたいなことではない。協働しなくても大したことは十分思いつかれる。)それにしても、子どもには必ずどこかしら天才が眠っているという平等主義的な視点に立っていたとしても、だれがその天才を見出すことができるかは問題で、そんなこと、普通の教師には無理なのは当たり前だ。下手すると、ギフテット?に限らず子どもの時代につくった大したことのないものを褒められて、そこで一生止まってる人間は相当多いのだ。大学生でも、自分の書いたものなんかを褒められると思って待ち構えている人間がいる。彼らのつくったものについて、確かに褒められた小学生時代なら小学生にしては良いレベル、と言う人も多いが、無論社交辞令である。小学生でも大人でもだめなもんはやはりだめなのである。このことは、小学校の先生が本当はよく知っている。

教育がうまくいかないのは、教師の知性が低いからであり、高けりゃ自然に尊敬されるみたいな考えに一理はあるが、――一理あるだけだ。自分が、自分より圧倒的な知性を無条件に尊敬しているか考えれば良い。もちろん、上の知性に人柄とかコミュニケーション能力を代入してもおなじことがいえる。そういう二項対立ではいつまで経っても、天才を褒めよ、天才はコミュ力も大事だよ、むしろコミュ力だけの凡人がエライ、凡人は偉そうに天才を語るなよ、――みたいな把握が並列するだけだ。以前、子どもの主体性みたいなものを機械的に想定して授業をすべきでないと言ったら、子どもの主体性を認めないのか座学でいいのか、みたいな脊髄反射が降ってきたことがあるんだが、この程度の知性だけは教壇から降りた方がいい。

そもそも人の評価とはその場で出来るもんじゃないのだ。ほんとは科学だってそうなのであるが、馬鹿が科学を現在に縛り付け、未来にむかって更新させようとしているだけだ。その現在に天才をおけば未来も天才の成果でうまるだろうということである。よく文系の学問て同時代的な主観がまじって客観的ではないとかいわれるが、優れたテキストでなくてもその真意や真価が読まれるのはかなり後になってからであって、同時代にはほとんどわからない。漱石鷗外だけじゃなく、当時の雑誌の読者欄の文章でさえそうだ。客観的でありかつ未来において常に古びている、つまり同時代に縛られているのは、その「文系」じゃないほうなのである。――しかしそういうのは、先の文系への偏見に沿って言ってみただけで、実際はそうでないのはある程度はわかる。

そんななかで、現在や協働が無意味かというとそうでもないことはある。今日、年賀状同封で、大部のドストエフスキー論を元同僚の尊敬する研究者からいただき嬉しかった。それは出版物でも論文でもないが、すごいものだった。研究者とのやりとりはこういうもので、それ以外はむなしいものだ。せいぜい、地獄の釜でやっと三宝を思い出すのを期待する程度である。


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