
国としての誇負、いづくにかある。人種としての尊大、何くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適ま大声疾呼して、国を誇り民を負むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。[…] 汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足すべし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽はりの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。
汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て最上の珍味とすべし、吁、汝、詩論をなすものよ、汝、詩歌に労するものよ、帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ。
北村透谷が生きて居た頃は、まだ西洋からの露骨な外圧が物質的に感じられたから、それへの反発もミッションとして感じられるべきであって。そのミッションに鈍感な輩を批判したのが上の「漫罵」だと思われる。お前たちは箱庭にいて、お前たちの幽遠といえば湯谷の番頭が裸体を覗いているようなもんだ、といっている。そういう湯谷的箱庭の人々が、なぜか透谷の「共有の花園」的な状態を目指さず、「国民文学」と称するジャーゴンに課題を移行させて問題を乗っ取ってしまった。坂口安吾や花田清輝の後半生の歴史物は、そういう「近代」の帰趨と関係がある。我々は、啓蒙思想が荒れ狂う十八世紀的状態を知らずに、十九世紀の反抗的ロマン的ナショナリズムをうけとったために、その「近代」は啓蒙とそれに対する否定の二つのエンジンを同時に吹かすことになった。わたくしもその延長として、このまえ雑誌に書いてしまったように、その啓蒙的カノンをまずは所持せねばならぬそして否定するぜ、みたいなポーズを取りがちだ。それがあまりに古くさくみえるのは、十九世紀的なものへの脱出と二十世紀後半に台頭した啓蒙からの脱出がダブって見えるからである。
そういえば、わたしは研究者の系譜としては、平岡敏夫の孫弟子みたいなところに位置しているのであろうが、氏は透谷の研究者で、陸士上がりというのもあるだろうが、死ぬまでナショナルなものと近代文学の強い関係に拘っていた。その関係は時間が止まった作品論ではなく、文学「史」において問題化される。氏には日本の敗戦とその後の「国民文学論」がちらついていたことは確かである。戦後は近代の出発であり透谷的な反逆が意味を持つように思われた。このコンプレックスのようなパッションを持つ研究者を、啓蒙的に乗り越えた研究者たちが十八世紀を呼び寄せる。亡くなる1年前に故郷がえりした平岡氏と高松で会ったときにも、暗記した新古今集を連射しはじめて驚いたが、こういう能力は当然ながら文学研究者には必要で、それを単にナショナルなものと規定してもまったく意味はない。むろん、こういうところで止まっているべきではなかったし、平岡氏の研究も思ったよりも「国民文学」的範疇に拘りすぎて、ヨーロッパの近代との対決を回避したところがある。だからといって、問題がなかったかのごとく考えるのは啓蒙的――というより単に西洋をかさにきた侵略的暴力である。