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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

噬膚滅鼻

2023-10-23 23:59:47 | 思想


六二。噬膚滅鼻。无咎。

日本のテレビは、笑ってるか喰ってるか嘘ついているかであるが、笑いと嘘が結びついているのはまあわかるとして、喰うことはなにかちょっとみるとやはり我々の本性をありありと示すようである。我々は顔を肉に埋めるほどの食べ方はもうしなくなっているようにみえるけれども、上のように、鼻をツッコむぐらいはあるかもしれない。

わたしはもともとレジスタンスに向いていない偏執狂なのであろう。いつも鼻を肉につっこんでいるようなものだ。もともと興味があった神社の世界に結婚式を神式でやって以来のめり込んでしまい、結婚記念日にも近所の廃屋の神社に調査に行くような体たらくである。そもそも結婚式なぞ因習ぐらいに考えていたくせに、結婚式の写真がまるで犬神家であり、古き日本を復活させてしまったところをみても、根本的に者に即すというか偏するという習性がわたくしならびにわたくしの周囲で巻き起こることだ。この國で興ることはそういうことが多い。

どこかで白川静も「写すことが学問の第一歩」みたいなことをいってたし、写実主義は日本の文学の根幹をつくったが、結局は、偏執狂的な性格を後押ししている。「転向」現象ですら、そういう現象だったのではないかとわたくしは疑っている。

村上龍なんか、そんなことをはじめから分かっていて、無理やり物に即する代わりに、物を動かしたり物を壊したりする作戦に出ていたが、――結局、かれの本性は、「おれはちがうぜ」という反偏執みたいな偏執であって、まさにZ級やカルトに絶対にならないかわりに、「だいじょうぶマイフレンド」みたいな映画で自縄自縛に陥る。これはこれで、我々にはよくある話なのだ。


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