★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「つれづれなるまゝに」考

2021-05-16 18:32:50 | 文学


つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

よくあることなのであろうが、徒然草の本文をじゅうぶん読まぬうちから、小林秀雄の「徒然草」(『無常といふ事』)を読んでしまったので、批評家の魂の誕生とか、つい口走りそうになる。

考えてみると、この出だしはすごく異常なことを書いていて、――暇でつれづれなくせに一日中机に向かって、心に移って行く事々を目的もなく書き続けると、その怪しい様は気が狂うほどである、――。意識の流れというより、散漫とした書く動作と書く内容とが狂気の発生をもたらす事態なのであって、これはむしろ、一日中ツイッターをやっている人間のようなものである。ツイッター民のいらいらした感じは、2ちゃんねるのいらいらした感じとは違って、集団行動の狂気というより、そこはかとなく書きつくることによるいらいらが関係しているのではないか。

日記でさえ毎日書いていると、明らかに現実の中になにかゆがんだ空間が出来て、そのなかに意地悪く閉じ込められている様な感覚になるものだが、そんな感覚を言っているのかもしれない。この意地悪い感じが独特で、猜疑心とは違うが、妙にいらいらしたものにとらわれるようになる。

書くことで正気を保つのは結構難しいことなのである。

小林秀雄は兼好は物が見えすぎている、と言っているが、わたくしのような凡人には、見えすぎているという状態は分からない。「過ぎる」という地点ははたして何処なのか。

最近考えているのは、様々な心理的な狂いが悪意を生み出す風景である。どうみても悪意というものが、ある。小林秀雄が「金閣焼亡」で狂人には悪意がある様に見えた、と書いているのは鋭いと思う。小林はどうもそれは勘違いだったと言いたいようにもみえるが、果たしてそうなのか。

雨の降る日の縁端に
わが弟はめんこ打つ
めんこの繪具うす青く
いつもにじめる指のさき
兄も哀しくなりにけり

雨の降る日のつれづれに
客間の隅でひそひそと
わが妹のひとり言
なにが悲しく羽根ぶとん
力いつぱい抱きしめる
兄も泣きたくなりにけり


――朔太郎「雨の降る日(兄のうたへる)」


こういうのを読むと、朔太郎は流石という感じがする。人間にとってつれづれのようなものは感情そのものではなく、他人の感情によって自分の感情が導かれると思わされるからだ。しかしこれはこれで、自分を失うことでもあるわけである。

蓬と人生

2021-05-16 12:56:20 | 文学


年月は過ぎ変はりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひいづれば、心地も惑ひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどのことは、まださだかにも覚えず。人々は皆ほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあかしわびて、久しうおとづれぬ人に、
  茂りゆくよもぎが露にそぼちつつ人にとはれぬ音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
  世の常の宿のよもぎを思ひやれそむき果てたる庭の草むら


更級日記の有名な顛末である。「蓬の露の様に涙に濡れながら誰も尋ねてこない寂しさを音をたてて泣いてばかりなのよ」、と尼に送った。すると、その尼は「あんたの蓬は世間一般のそれじゃないですか、世を捨てた私の庭の草むらがどんな風になってるかわからないの?」と返したのである。お嬢さんのいまいちのところが露呈した。そもそも、よりによって世間を捨てた尼に「淋しいんですが」と訴えてどうするのだ、――こういうことが分からないのがこのお嬢さんなのである。もしかしたら、仏教に対する淡い期待が尼へ自分の歎きを訴えることになったのかも知れないが、――結局、彼女は一種の、イメージや観念への依存症であり、仏の道に入っても人によってはもっと孤独にすぎないという自明の理がなかなか思い浮かばないのである。

で、考えてみたら、お嬢さんはつねに物語に囲まれてしあわせだったと思っていたのかしれないが、その実、人間に取り囲まれて寂しくはなかったのであって、――そんな事も気付かなかった事態を最後に放り投げて物語を終える、このセンスはなかなかのものに思われる。かつ、それはまだ思春期の課題なのでは?と思ってしまうのもわたくしにとっては、事実である。

尼の歌の「思ひやれ」は、自分のことをきちんと見よ、同じ事だが、他の人ものをちゃんと見よ、と言っていて、わたくしは好きだ。とはいえ、尼の感性とお嬢さんの感性はどれほど違っているであろうか?

賀茂祭り、斎院の御禊などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図をして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬を刈らせ、応急に土塀の代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んで馴らしておおきなさい。


――與謝野晶子訳「蓬生」


だいたい蓬を自分で刈らないやつが多すぎる。人生、自分で蓬を刈るところからではないだろうか。それに、蓬もよく見ると可愛らしい植物である。