★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「世は定めなきこそいみじけれ」なのか

2021-05-21 23:39:50 | 文学


あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

四十前には死んだ方がいいねと抜かす兼好法師?であるが、何歳まで生きたのであろう?

四十は不惑であるが、この不惑は危険である。多くの人が証言している様に、ある意味リミッターが外れて本性が現れる危険な年代である。惑わない人間がどういうことをしてしまうか、我々はよくよく考えた方がよいのではないだろうか。そして五十の知命で、四十代の地獄を反省して真の姿が知られることであろう。不惑から知命の流れを何か上昇カーブの様に認識する人間は、もう反省の機会を逸したと言ってよいのであろう。――たしかに、こんな風に運命が分かれ何が飛び出してくるかわからない四十代以降は使用には危険な代物である。そして三十代まではまだ使い物にならない。

確かに安心安全や使用価値という点で言えば、上の様になるであろうが、無常であるからこそ素晴らしい人生と言ってしまえばよいのかもしれない。無常とかいうと価値があるようなきがするのであるが、要するになんもないということだ。それを素晴らしいと言ってしまうことは暴力ではなかろうか?

物窮まれば転ず、親が子の死を悲しむという如きやる瀬なき悲哀悔恨は、おのずから人心を転じて、何らかの慰安の途を求めしめるのである。夏草の上に置ける朝露よりも哀れ果敢なき一生を送った我子の身の上を思えば、いかにも断腸の思いがする。しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。永久なる時の上から考えて見れば、何だか滑稽にも見える。生れて何らの発展もなさず、何らの記憶も遺さず、死んだとて悲んでくれる人だにないと思えば、哀れといえばまことに哀れである。しかしいかなる英雄も赤子も死に対しては何らの意味も有たない、神の前にて凡て同一の霊魂である。オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろうか、死んだのが幸であったろうか、生きていたならば幸であったろうというのは親の欲望である、運命の秘密は我々には分らない。特に高潔なる精神的要求より離れて、単に幸福ということから考えて見たら、凡て人生はさほど慕うべきものかどうかも疑問である。一方より見れば、生れて何らの人生の罪悪にも汚れず、何らの人生の悲哀をも知らず、ただ日々嬉戯して、最後に父母の膝を枕として死んでいったと思えば、非常に美くしい感じがする、花束を散らしたような詩的一生であったとも思われる。たとえ多くの人に記憶せられ、惜まれずとも、懐かしかった親が心に刻める深き記念、骨にも徹する痛切なる悲哀は寂しき死をも慰め得て余りあるとも思う。

――西田幾多郎「我が子の死」


徒然草を褒める小林秀雄とこの西田との違いが重要だ。