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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

Currentzisと梅原猛

2019-01-21 23:50:08 | 音楽
SHOSTAKOVICH // Symphony No.14, Op.135: De Profundis by Petr Migunov, MusicAeterna, Teodor Currentzi


テオドール・クルレンツィスという指揮者の音楽は、以前、ショスタコーヴィチの一四番の古楽器演奏で聴いていたが(当時はびっくりしたものだ――)、今回、チャイコフスキーやマーラーの6番も聴いてみた。騒がれているだけのことはある演奏だとおもった。専門的にはよく分からんが、われわれはぼーっとしている場合ではなく、芸術の世界は停滞するどころか更なる進化を続けているのである。たぶん学問だって同じことで、役に立つだ立たんなどという声にいちいち丁寧に答えてる暇はない。クルレンツィスの演奏を聴いていると、過去のさまざまな演奏の工夫がさまざまに発展させられているのがわかるが、問題はそこに命を吹き込めるかどうかで、これは体力と運が必要な気がする。この指揮者は同世代なので、彼の体調が心配だ、と勝手に思った。

指揮者たちには、有名オーケストラと共演するうち、ストレスかなんかで明らかに変形し不健康になっていく人がいるようだ。指揮者は歳をとっている方がすごいというのはオーケストラの文化の、帝国主義的〈巨匠時代〉かなんかの錯覚で、ぴょこぴょこ運動できた方が良い気がする……。イチローがヒット打つことと芸術はどこか似たところがある。

ところで、梅原猛の『地獄の思想』っていう本の最後は太宰治論なんだが、彼は太宰が死んだとき京大の三年生で、太宰の心が手に取るように分かったという。わたくしは、こういうことを思っても書く奴は信用できない。あと、「源氏物語」は中国人には書けんだろうとも述べていたが、わからんぞ。人間の多様性、芸術の進歩というのを甘く見てはいけない。