★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

頭を使えば滅多に泣けない、と思いたい

2015-06-06 23:13:22 | 文学


菊池寛記念館で埴谷雄高の講演を終えて帰って、カレー食べて、のんびりしていたら、××××8の総選挙だということでテレビに厚化粧の泣き女子たちが映っていたので、ちょっと見てた。

考えてみりゃ、せめて選挙というのであれば、小選挙区か中選挙区か、なんとかいろいろちゃんとやってほしいものだ。これじゃ、「あまちゃん」で描かれていたように、よく言って「国民投票」ではないか。

あと、ポエムみたいなせりふを言うやつとぐずぐず泣くやつは大嫌いである。わたくしは、肉体的痛みと朝のあくびとドストエフスキーの読後と、ペットや親が急死した時など、特殊な場合を除いて、すぐ泣く人間を一切信用しない。

卒業式とか、敗戦とかで(梅崎春生は許す)泣いている奴も信用ならん。

私の経験だと、複雑感情が存在しないと泣けないので、今日の選挙で、仲間のポエム演説に感激して泣いていたやつは、その仲間にある種の嫌悪感を抱いている可能性が高いと思う。憎しみと愛が対立物でないとは昔の人も指摘しているところである。彼等が本気で泣いているとすれば、の話であるが……

頭を使えば泣いてる場合ではないことは明らかだ。今日、面白かったのは、菊池寛記念館で、「洞窟」や「虚空」の話をする前に、坂口安吾の「特攻隊員に捧ぐ」について話したときであって、やはりやや会場に緊張が感じられたことである。特攻隊をネタに泣きを誘うなど、私は人間のやることとは思えないのである。