呪!九〇万アクセス
双方向命、討論命、僕の意見命、の今日この頃ですが、さすがに学生に向かって「早く質問しろよ」と脅迫する人はなかなかいない……といいたいところであるが、最近の討論ディスカッション好きは、なぜか、だいたいこの晋ちゃんマインドを持っているのが実態である。国会中継を見るにつけ、我々に必要なのは、まずは勉強であって、討論の必要性を自覚することではないことがよく分かる。そうでないと、討論というのは必ず想像力の代わりに口先が動くやつか上司が勝つようにできているのである。討論のやり方の問題ではなく、もともと弁証法を抑圧する為に開発されているのが討論なのであるから、当然である。いわば、平和は弁証法的なものだが、戦争は討論だと思うね……
弁証法には、「坊っちゃん」の坊ちゃんと山嵐のような腕力か、自己欺瞞を許さない頭脳が……必要……
しかし、いきなりは無理である。なぜなら、現実には、赤シャツが坊ちゃんもどきの正義感を持ちながらうらなりのような性格で、普段、野だいこのような行動をしている人間が、自分が山嵐であるような夢を見ているのが、我々だからである。だから、若者たちは、そういうへたれではなく、坊ちゃんになるために、自らの中からキャラクターを抽出することを覚え始めている。それは感覚としてはわかる。安倍さんもそうすべきだが、いまのキャラではだめだ。せいぜい「これは狼藉である。非理を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」と言う坊ちゃんに「だまれ」と返す赤シャツという、漱石が草葉の陰から怒り出すに違いない,あり得ない人物にしか見えない。まずは口調から変えて欲しい。「質問責めしていただけるかしら、はやく~」と。
まあ、「坊っちゃん」の世界観から言って、山口出身じゃ論外なんだが……。
それにしても、「坊っちゃん」の描く世界が、いまでもそのまま当てはまって仕舞うのは、どういうことか?無論、坊っちゃんと山嵐が腕力に訴えるのは、敗北的である。あれは、爽快さよりもアイロニカルな効果を我々に与える。そう感じないのは、中学生ぐらいのものであろう。しかのみならず、彼等が教職を辞したことで、四国の山猿どもの将来についてのプランもないままだ。その点、漱石も「二十四の瞳」の壺井栄も似たようなものなのである。暴力さえ許されない後者の方が悲惨だとしても……