死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

苦難・困難は「魂を磨くための砥石」「魂の足腰を鍛えるためのハードル」として存在している

2007-06-03 | 人生は一冊の問題集になっている
勇二 「自分がおかれた環境の中で、どこまで「愛」を実践していけるか、愛の発展を目指していけるか、ということだね。それと、苦難・困難にぶちあたったときというのは、自分がはたして「与える側の人生」を選んでいけるかどうかが、試される時ってことだね」

正太 「そうだね。地上人生では、苦難・困難が避けられないんだけど、特に、人生最大の苦難・困難の中にある人は、それこそが、今世その人の魂の磨きとして用意されている最大のものなんだね。人生の問題集のなかの一番大事な問題であって、「それを避けて通ってはあいならん」と言われているんだよ」

勇二 「そうか、逃げちゃいけないんだな。ここは一番、真っ向勝負だね」

正太 「うん。人間ていうのは、何度も何度も転生をくり返しながら「自分の魂をさらに向上させるためには、どうしたらよいか」ということを考えながら、いつも違った環境を選んで生まれ変わってきているんだ。違った職業、違った環境、違った人間関係を選びながら生まれてきているんだね。過去に裕福だった人は貧乏に生まれてみたり、またその逆だったり、健康だった人は病気を持ちながら生まれてきてみたりと、いろいろな経験をしながら、今世、「魂を一歩進めること」を至上命題として生まれてきているんだ。
 だからそうした問題にぶちあたって類稀な魂修行の機会を与えられたということは、その人の人生の目的と出会った、と考えなくちゃいけないんだよ」

勇二 「魂修行にとってひとつの山場のようなものだね」

正太 「その問題を見事に解決して、生き抜いた場合には、その人はその問題にパスしたということになるんだ。そして、この次に生まれてくるときには、自分が解くんじゃなくて、他の人の問題の解決を手助けしてあげる側になっているんだよ。これが、魂の向上ということなんだ。
 もし、その問題がこの世的に解決できなかったとしても、その難問題と真正面から取り組んだということは、その人は大きな経験を積んだことになるんだ。そして、その経験から、尊い教訓が出てくるはずで、その教訓が宝になるんだね。全く同じ体験をしている人はいないわけで、その教訓という宝こそが、この世を去るときに持っていけるものなんだよ」

勇二 「ふーむ」

正太 「地上人生を終えて、あの世に還ると、その人の魂の仲間たちや、過去に知り合っていた友人や両親が必ず迎えに来てくれるんだね。そして、なごやかに話し合いをするんだ。そのときに語れるものは何かというと、その人が「どのような苦難・困難に出会って、何をつかんだか」ということなんだよ。
 「今回、自分は地上に生まれて、こういう苦難・困難を経験したけれども、その中で、魂のこの部分を修正し、この部分を磨き上げ、こういう教訓をつかみとって心の中に入れてきた」ということなんだ。
 この世で、見事に人生の問題と取り組んだ人には、多くの天使たちがやってきて、「がんばったね。あの苦しいとき、悲しいときに、あなたはよく耐えたね。負けずによくがんばり抜いたね」と言ってくれるんだね。それが、この世のみやげ話なんだよ」

勇二 「そうか。胸をはってみんなに報告できるようにならなくちゃな」

正太 「だから苦難・困難というのは、魂が貴重な教訓を得るための機会であり、魂の足腰を鍛えるためのトレーニングなんだ。魂が飛躍するための跳躍台なんだよ。仏が人間をいじめてやろうとしてそうしたものがあるんじゃないんだね。苦難・困難というのは、あくまでも「魂の糧」としてのみ、その人の人生の道筋、軌跡をより美しいものとするための方便としてのみ、存在が許されているんだよ」






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