まず押さえておかなければならないことは、靖国神社は初めから
政治的目的をもって作られたものである、ということです。
1869年(明治2年)創建の「東京招魂社」(靖国の前身)は、
戊辰戦争の政府軍側の戦死者の慰霊のためにつくられました。
その後、幕末の志士や明治以降の内乱・戦争・事変での戦死者
などが合祀されて、現在に至っています。
人を祭神としている神社は数多くありますが、英雄や偉人、
死後「祟り神」となった人ばかりでなく一兵卒まで祀るのは、
靖国・護国神社以外にありません。
戦前の靖国は「別格官弊社」とされていましたが、この言葉は
「勤皇志士、顕著な功績のあった人臣を祭神とする神社の社格」
という意味だとされています。大した戦果は挙げなくても、
国のために戦って死ねば「顕著な功績」になるのでしょうか。
私にはちょっと理解できませんが。それとも戦前の軍隊は
「天皇のため」に戦ったから「勤皇志士」に含むのでしょうか。
だとすると、今後の「戦死者」は合祀されないんですかね。
神道の形式を取り入れてはいますが、ルーツから言っても
内実を見ても、靖国・護国神社は一般の神社とは別物と考える
のが自然だと思います。
よく問題になるA級戦犯ですが、戦争裁判受刑者については
法務死(「犯罪者」とはみなされていない)として、戦死者に
準じるものとして扱われているそうです。
中国や韓国からの非難の可否はともかく、大抵の日本人は
先の戦争の責任は東条英機に、あるいは軍部首脳にあると
思ってるはずなんですけどね。自分たちで責任をとらないで
(とらせないで)おいて、他人の口出しにだけ文句を言うのが
大人の対応なのでしょうか。
中国や韓国にも問題や負の歴史はあるじゃないか、という声も
聞きますが、だから日本も許されるというわけではないでしょう。
他国に先んじる立派な国でないと「誇り」なんて持てませんね。
政治的目的をもって作られたものである、ということです。
1869年(明治2年)創建の「東京招魂社」(靖国の前身)は、
戊辰戦争の政府軍側の戦死者の慰霊のためにつくられました。
その後、幕末の志士や明治以降の内乱・戦争・事変での戦死者
などが合祀されて、現在に至っています。
人を祭神としている神社は数多くありますが、英雄や偉人、
死後「祟り神」となった人ばかりでなく一兵卒まで祀るのは、
靖国・護国神社以外にありません。
戦前の靖国は「別格官弊社」とされていましたが、この言葉は
「勤皇志士、顕著な功績のあった人臣を祭神とする神社の社格」
という意味だとされています。大した戦果は挙げなくても、
国のために戦って死ねば「顕著な功績」になるのでしょうか。
私にはちょっと理解できませんが。それとも戦前の軍隊は
「天皇のため」に戦ったから「勤皇志士」に含むのでしょうか。
だとすると、今後の「戦死者」は合祀されないんですかね。
神道の形式を取り入れてはいますが、ルーツから言っても
内実を見ても、靖国・護国神社は一般の神社とは別物と考える
のが自然だと思います。
よく問題になるA級戦犯ですが、戦争裁判受刑者については
法務死(「犯罪者」とはみなされていない)として、戦死者に
準じるものとして扱われているそうです。
中国や韓国からの非難の可否はともかく、大抵の日本人は
先の戦争の責任は東条英機に、あるいは軍部首脳にあると
思ってるはずなんですけどね。自分たちで責任をとらないで
(とらせないで)おいて、他人の口出しにだけ文句を言うのが
大人の対応なのでしょうか。
中国や韓国にも問題や負の歴史はあるじゃないか、という声も
聞きますが、だから日本も許されるというわけではないでしょう。
他国に先んじる立派な国でないと「誇り」なんて持てませんね。