Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

罪の自覚

2005年07月09日 23時54分39秒 | 証し(のようなもの)
親子揃って体調を崩したため、更新が滞ってしまいました。
私個人の信仰に関する話の続きをしたいと思います。

私は3歳上の兄と2人兄弟です。
この3歳というのが、ちょっと背伸びするにはちょうど良い年齢差
だったのでしょう、私はいつも兄の真似をして、あるいは兄を反面
教師として、賢い、要領の良い子に育ちました。でも、表面上は
「良い子」であっても内側は決してそうではありません。むしろ、
「良い子」を演じ続けるストレス、欲求不満がたまっていました。
こういう公の場で具体的なことを語るのは控えますが、それこそ
「犯罪」になるようなことも、陰ではしていた子どもでした。
それでいて、前回述べたように、神的存在を信じ、正しく生きたい
という願望も持っていました。そして自分がやっていることが悪い
ことであると自覚していました。
私の両親は、どちらも実家が日蓮宗ですが、父は無宗教、母は
「ありがたいものなら何でも拝む」という感じの人で、私は特別な
宗教教育を受けた記憶はありません。しかし何故か、物心ついた
頃から、お地蔵さんや祠に必ず手を合わせるような「信心深い」
子であったようです。最初は宗教のことなんて何もわからず、その
頃まではまだ子ども向けに語られていた「閻魔様」を信じてるよう
な、他愛ない子どもでしたが、罪の自覚を持ち始めてからは、罪に
対する裁きを恐れるようになりました。
この辺のところは、信仰を持たない方には理解しづらいかも知れ
ませんが、罪を罪と認識するということは、善悪の普遍的な基準を
認めることであって、神の存在を前提とするなら、神自身がその
基準ですから、神の意に反する「悪行」は当然処罰の対象になって
きます。
そういうわけで、どうすれば「裁き」を逃れることができるのか、と
いうことが私の最大の関心事となり、そのような目で様々な宗教を
見るようになりました。

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