親子揃って体調を崩したため、更新が滞ってしまいました。
私個人の信仰に関する話の続きをしたいと思います。
私は3歳上の兄と2人兄弟です。
この3歳というのが、ちょっと背伸びするにはちょうど良い年齢差
だったのでしょう、私はいつも兄の真似をして、あるいは兄を反面
教師として、賢い、要領の良い子に育ちました。でも、表面上は
「良い子」であっても内側は決してそうではありません。むしろ、
「良い子」を演じ続けるストレス、欲求不満がたまっていました。
こういう公の場で具体的なことを語るのは控えますが、それこそ
「犯罪」になるようなことも、陰ではしていた子どもでした。
それでいて、前回述べたように、神的存在を信じ、正しく生きたい
という願望も持っていました。そして自分がやっていることが悪い
ことであると自覚していました。
私の両親は、どちらも実家が日蓮宗ですが、父は無宗教、母は
「ありがたいものなら何でも拝む」という感じの人で、私は特別な
宗教教育を受けた記憶はありません。しかし何故か、物心ついた
頃から、お地蔵さんや祠に必ず手を合わせるような「信心深い」
子であったようです。最初は宗教のことなんて何もわからず、その
頃まではまだ子ども向けに語られていた「閻魔様」を信じてるよう
な、他愛ない子どもでしたが、罪の自覚を持ち始めてからは、罪に
対する裁きを恐れるようになりました。
この辺のところは、信仰を持たない方には理解しづらいかも知れ
ませんが、罪を罪と認識するということは、善悪の普遍的な基準を
認めることであって、神の存在を前提とするなら、神自身がその
基準ですから、神の意に反する「悪行」は当然処罰の対象になって
きます。
そういうわけで、どうすれば「裁き」を逃れることができるのか、と
いうことが私の最大の関心事となり、そのような目で様々な宗教を
見るようになりました。
私個人の信仰に関する話の続きをしたいと思います。
私は3歳上の兄と2人兄弟です。
この3歳というのが、ちょっと背伸びするにはちょうど良い年齢差
だったのでしょう、私はいつも兄の真似をして、あるいは兄を反面
教師として、賢い、要領の良い子に育ちました。でも、表面上は
「良い子」であっても内側は決してそうではありません。むしろ、
「良い子」を演じ続けるストレス、欲求不満がたまっていました。
こういう公の場で具体的なことを語るのは控えますが、それこそ
「犯罪」になるようなことも、陰ではしていた子どもでした。
それでいて、前回述べたように、神的存在を信じ、正しく生きたい
という願望も持っていました。そして自分がやっていることが悪い
ことであると自覚していました。
私の両親は、どちらも実家が日蓮宗ですが、父は無宗教、母は
「ありがたいものなら何でも拝む」という感じの人で、私は特別な
宗教教育を受けた記憶はありません。しかし何故か、物心ついた
頃から、お地蔵さんや祠に必ず手を合わせるような「信心深い」
子であったようです。最初は宗教のことなんて何もわからず、その
頃まではまだ子ども向けに語られていた「閻魔様」を信じてるよう
な、他愛ない子どもでしたが、罪の自覚を持ち始めてからは、罪に
対する裁きを恐れるようになりました。
この辺のところは、信仰を持たない方には理解しづらいかも知れ
ませんが、罪を罪と認識するということは、善悪の普遍的な基準を
認めることであって、神の存在を前提とするなら、神自身がその
基準ですから、神の意に反する「悪行」は当然処罰の対象になって
きます。
そういうわけで、どうすれば「裁き」を逃れることができるのか、と
いうことが私の最大の関心事となり、そのような目で様々な宗教を
見るようになりました。
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