Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

聖書の神様との出会い その5

2006年02月01日 02時11分16秒 | 証し(のようなもの)
気がつくと、2ヵ月も放ったらかしでした。でもまだまだ続きます。

高校のクラスマッチ(球技大会)は期末試験後だったと記憶して
ますので、7月上旬のことと思います。同じ西南中出身のK君が、
キリスト像の付いた十字架を私に見せて、「キリストが付いてる
から俺は絶対点を取られん」(彼はサッカーのキーパーでした)
と言いました。両親が聖公会の信者で、彼も幼児洗礼を受けた
のだと、その時初めて知りました。彼が本当に「信仰」を持って
いるのか、この時の彼の発言が「聖書的」かどうか、疑問は
尽きませんが、同じ神を信じているつもりだった私はそれまで、
そのように自分の信仰を言い表したことが無く、驚きと同時に
K君を尊敬しました。そして私も自分の信仰をはっきりさせなけ
れば、という思いを持ちました。
ちょうどその頃、私が前に行った教会に通っている、小学校の
同級生Y君と帰りのバスで偶然一緒になり、「教会に来いよ」と
誘われました。
信仰そのものは無くなっていなかった私は、いつかまた教会に
行きたいと思い続けていましたが、このような形で教会に戻る
きっかけが与えられたわけです。
ただ、その実現はもう少し先になりました。私にとってもう一つ
超えなければならない大きな山=運動会が目の前に迫って
いたからです。
修猷館では体育祭のことを「大運動会」と呼びます。その名の
通り、大掛かりで激しく、復古的です。OBがいる建設会社の
協力でスタンドが設営され、高校野球の応援団の比ではない
ハイレベルなパネル人文字を含む応援合戦、7段ピラミッドが
売りの組体操、騎馬戦に棒倒しと、とても私には向かないもの
ばかり。(そういえばこの騎馬戦で「元寇」の歌を覚えました。)
応援歌練習を乗り切って一息ついたものの、今度は運動会に
おびえる毎日でした。今なら「そういう時こそ教会に行って神様
にしっかりつながってなきゃ」と思いますが、当時はそんな余裕
など全くありませんでした。それで、「運動会を乗り切れたら
教会に行こう」と決心しました。
結局、怪我も無く守られてどうにか乗り切ることができ、1989年
9月17日に、約2年半ぶりに礼拝に出ることができました。
それ以来、何度か休んだことはありますが、教会からは離れる
ことなく今日まで信仰生活を送れています。

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