青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

人生の要とは

2013年03月10日 | 人生設計

我々が命を戴き授けられて生きていき、その生き様という人生をどう生きるかが、命を戴き授けられた者の命題となる。
この事に対して我々は普通、「幸せな」ということが人生の生き甲斐としていこうとしている。それは「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」であることを求めてやまない。
ところがこれは、我々の思いとはなれた、苦難をもたらすものになってくる。これは「人生の要」を知らないことにある。いやそれは、知ろうとしないで幸せばかりを追い求めていることにあるともいえる。

では「人生の要とは」ということになるが、そこに至るには「信仰」しかないと言えるだろう。即ち「宗教」である。
尤も「信仰といい、宗教」といっても、名ばかりで実態の怪しいものには、「人生の要」に至る道はない。
また「信仰、宗教」ではあっても、自分一人だけのもの、身勝手て我儘なものにも、「人生の要」を突き止める器量はもつことはできない。
自分だけではなく、人々にも通用し、更にそれは後に続く人たちにももたらされるものでなければ、命を戴き授けられたものとしての価値がなくなる。

であるから「人生の要」とは、人々にもたらすものであり、また将来の子孫にももたらせるものでなければならないことになる。のみならずこの事は、我々に命を授けつつ生かしてくれる自然とともにあるものでなければならないことになる。
この事は「物」によるような「幸せ」は、「資源」の採掘によるものであり、この「資源の採掘」によって我々は、「大気汚染、水質汚染、異常気象、産業廃棄物の増加」という負のものとなり、それを背負って苦難にもまれなければならないものになっている。即ち自然を傷つけているということが、我々は「人生」として受け止めているといってもいい。

こうした点から、事故というものを離れた「信仰、宗教」的な、それは「自然、子孫、全人類」と融合していくことから、我々自身の「人生の要」が擁立されていくこととなる。

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このまま、そーっと

2013年03月10日 | 短歌に政治や社会

従軍慰安婦問題、河野談話は歴史家が議論…首相(読売新聞) - goo ニュース

従軍慰安婦問題に対する河野談話は、このままそーっとして置くべきもの。
たとえ歴史学者といえども、勝手に議論すると、それが国家関係にひびをもたらす。
であるから、国の首相であったとしても、二度と口にすべきことではない。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20130308-567-OYT1T00486.html

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