青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

附則、知識と教養の在り方

2008年03月07日 | 人生設計
とかく私達は、知識や教養を永遠的に永久的に永続的にしたい、あるいはしようというきらいがある。それが書画や映像として保存されているけれども、しかし元々この知識や教養は、その人一代限りのものでしかない。
それを他の人が受け継ぐとなると一から始めなければならないし、その一から始めても、それぞれの個性により独自性があるため、なぞれば同じ知識や教養が得られるものではない。
しかし人はこうしたことに関わらず、先人からの知識と教養を吸収しようとして、そのために墓石や碑石、文書や文芸物や建造物などを保存して、それを崇拝することによって吸収しようとしてきた。だが独自性に立脚した知識と教養を持とうとしないものであるために、墓石や碑石といったものは用を成さず、いたずらに所を占領して緑地ばかりか人の住まうところを奪うまでにもなっていくことだろう。
これは釈尊の言葉だが、釈尊が説いた仏教の教えは、正法、蔵法、末法と移って行くと語っている。
釈尊の教えが、意味としても正しく受け継がれてゆくのが正法の時代、教えだけが受け継がれてゆくのが蔵法の時代、文書としてしか残され受け継がれていない時代が末法の時代と言い、それぞれ五百年と見られている。
知識と教養も、形だけ受け継がれてゆくか、それとも全体の意味を理解した上で受け継がれて行くかで、知識と教養の善し悪しが定まってくる。
上辺だけなぞるだけの知識と教養ではなく、六感により身体全体で習得する知識と教養を身につけたい。
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