社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

OSの変遷(Windows3.1~Windows7間のその他のOSについて)その1

2009-11-26 08:20:18 | ITについて

OSの起動時間の功罪でMS(マイクロソフト)のOSの起動時間がVistaで圧倒的に遅くなっている事を掲載した。逆にWindows7はこの起動の速さを一つのPRに挙げているが、超高速起動OSについて(その1)で掲載した様にLinux系のOS採用が一方では、進みつつある。日本はある意味閉鎖的情報部門が大い為と言うかLinuxのフォローまで一般の企業では、できない為どうしてもWindows系となってしまう。

昨年、本社のファイルサーバーを増設しようと考えた時でも、私と私が呼び戻したIT担当者と話した結論は、Linuxを採用した場合に、私やその彼がいなくなれば、誰もフォローできなくなる為、わざわざライセンスが高いWindowsサーバーを採用せざるを得なかった。それではWindows系のサーバーなら、管理できるかと言うとこれもかなりのノウハウが必要なのだが・・・。

さて超高速起動OSについて(その1)でも掲載したが、ふとフリー(或いはオープンソース)のOSを探している内に、懐かしい物を思い出した。

私が最初にUNIX系のOSを始めて知ったのは今をさかのぼる事、約30年前である。就職した最初の会社で、部下を10数名抱えて若くして課長職と成らざるを得なく、且つ私が一番暇(当時は残業代無しで、ほぼ毎日23時頃まで仕事していた。一方休日も日曜のみの時代だったが、殆ど休日出勤していたが)だった為、米国ボストンのベンチャー企業と提携する為に、始めて海外出張する事になった時だ。

始めての海外出張しかもボストンへの直行便もなく、飛行機代だけで往復100万した記憶がある。成田からロサンゼルス経由でボストンに入り、当時営業だった為、ボストンには1週間程滞在し、後は技術者に任せて、ニューヨークへ行き、そこからアラスカ経由で、日本に帰ってきた。今考えると、海外出張は大変な時代だったと思う。最後ニューヨークのケネディ国際空港で、JALのカウンターを探し当てた時には本当にほっとした物だ。あまりのケネディ空港の広さにも驚いたが・・・。

さて、ボストンの提携先のベンチャー企業は、UNIX系のOSを採用し、今では当たり前の当時としては最先端のキャシュ技術を使って、ワークステーションを開発していた。そこで、システム言語としてC言語を始めて知る事になった。

その後今度は技術者として当社で、また再び、ワークステーションにIBMのシステムを採用した事から、当初ラスベガスの展示会を遊び半分で見る為に出張する予定が、完全に仕事での出張となった。しかも当社からは私一人のみでIBMのテキサス州のオースティン(研究所)へ行く事になり、IBMのワークステーション(UNIX SyremV系)のX-windowシステムのバグつぶしを現地でやらされる事になった。最も飛行機代以外のホテル代から昼食代、晩飯代は全てIBMが負担してくれたが・・・。

前置きはこれぐらいにして、本論に入るが、ハードの進化は凄まじいが、ソフト(AP)やOSの基本的な考え方はこの30年間あまり進化していないと考えている。

・CPU(インテルはMPU と表現しているが)は、ザイログからインテルへ(その後互換CPUメーカーがいくつか出現したが、敢えてインテルと対抗して生き延びているのはAMDぐらいか?)

・PCのOSはCP/M -> MS-DOS -> Windows3.1 -> Windows95 -> Windows98SE -> Windows2000 ->WindowsXp ->Windows Vista そしてWindows7へと移行して来ているが、上記のOSの中で変化と言うか大きな転換期があると同時に、その転換期に新たな別のOSがあった事実も見逃せない。

  1. Windows3.1:GUIへの移行(最もアップルではLISAやマッキントッシュで既に先行していたが・・・)
  2. Windows95:ネットワークへの対応(これが一番大きかった)
  3. Windows98SE:レガシーデバイスからUSBへの移行
  4. Windows2000 32ビットへ対応(Windows NTもWindows Meも飛ばして紹介)
  5. Windows Xp CD-ROMへの対応やZIP対応と32ビット版OSの安定版

つまり、個人用OSとしてはWindowsXpでほぼ完成の息に達していた事になる。従ってWindows Vista以降のOSの意味する物つまり価値は殆どない。一方90年代からオープンソースとして、LinuxやFreeBSD系のOSが無料とオープンソースのメリットを武器に拡大を始めるが、元々の流れがUNIX系だった為、やはり一般的には敷居は高かったと考える。

元々UNIX系と言うか、その背景には昔のコンピュータ≒高い≒多くの人でタイムシェアリング≒バッチ処理的な発想があり、個人的な用途より、サーバー的用途に向いたシステムだったと考える。従って、このUNIX系以外のOSで上記MSのOSの流れと含めて、紹介して見ようと思う。

参考に掲載しておくが、この業界では、常識だが、MSの最初の成功があるのは、ビルゲイツ氏によるBASICインタプリターの開発でベンチャーとして起業し、その後IBMがPCの市場に参入する時に、MSのOSを採用した事に始まる。最も当時MSはOSを開発してもおらず、持ってもいなかったが、MS-DOSのベンチャーの会社を買収(だったか権利を買い取ったか忘れた)し、IBMに提案し、これが採用された。結果、MS-DOSがIBMによって標準となった事が大きな発展の基礎である。

その以前にOSとしてCP/Mが市場を制覇していたが、あっという間にMS-DOSが標準となった。その後も他人のふんどしで相撲を取る戦略(買収の戦略)で、2位以下のソフト会社をつぶす事は大半成功している。別にMSを批判する気はないし、生き残りの為に、その戦略上は当然の帰結だと認識している。

しかし私が言いたいのは、良い物や優れた物が、ディファクトスタンダードとはならない顕著な例を示していると言う事である。その為に競争は必要であるが、競争する相手がいなければ、良い物はできてこない。

これは別にMSだけの話ではなく、日本でも同様な規格争い(利権争い)があり、その顕著な例が、ビデオデッキ(VHSとベータ)だったし、つい最近まで次世代ディスクが結局ブルーレイに統一するまでの同じ事をくりかえしていたが、OSに関して1社独占が良いのかどうかは、未だ分からないと言うか良いはずがないが、互換性は必要だと考える。最も、Webベース(XML、Java、PHP等)で動くAP(AJAX)が常識となれば、OSは何でもよくなる気がするが・・・。


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