竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

三谷祭の起源

2022年10月25日 | 三谷祭
令和4年10月25日(火)
お早うございます。

三谷祭のかたづけも終わり、お祭の疲れを少し引きずりながら平常の業務に戻ろうとしています。
3年ぶりの三谷祭、今年はハプニングがありましたが、二日間お天気に恵まれて本当に楽しいお祭でした。

在りし日の三谷祭を取上げた、2011年6月14日のブログを紹介いたします。

三谷祭の起源は・・・
今から約300年程前の元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というものです。
まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(九月九日)に神幸(じんこう・神の行幸の意。祭事や遷宮などで神体がその鎮座する神社から他所へ赴くこと)の儀式を行いました。
これが「三谷祭」のはじまりと言われています。

三谷祭を分かりやすく説明しますと・・・
試楽祭(宵祭り、現在は土曜日)に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものであります。
















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