令和元年8月16日(金)
お早うございます。
<8月16日今日は何の日>
1960年 - プロジェクト・エクセルシオ: アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャーが気球による最高高度31,300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。
プロジェクト・エクセルシオ(Project Excelsior)とは、アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉によって1959年・1960年に行われた成層圏からのパラシュート降下実験である。
この実験により最高気球高度・最高パラシュート降下開始高度102,800フィート(31,330 m、レーダー測定)、最長ドローグシュート降下時間4.5分間、乗り物を使わない最大大気中速度614 mph(988 km/h、該当高度での遷音速)が樹立された(米空軍記録でありFAIへの航空宇宙世界記録申請は行われていない)。
このうち降下開始高度・最大大気中速度の2つは、2012年にレッドブル・ストラトスでフェリックス・バウムガルトナーに破られるまで世界記録であったほか、最長ドローグシュート降下時間については現在も世界記録である。

プロジェクト・エクセルシオ(1960)。米空軍のジョゼフ・キッティンジャーが高度31,330mからパラシュート降下
最初の実験(エクセルシオI)は1959年11月16日に行われ、キッティンジャーは高度23,300 mからの降下を行った。
この実験ではスピン対策用のパラシュートが早く開きすぎたため、120回/分のスピンが発生した。このためキッティンジャーは意識を失ったものの、自動的に高度3,000 mで減速パラシュートが展開したため命に別状は無かった。
この事故にもかかわらず、キッティンジャーは2度目の実験を3週間後の12月11日に行った。この実験(エクセルシオII)においては高度22,800 mからの降下を行い、高度16,800 mからパラシュートを用いないフリーフォールに移行した。
3度目となる最後の実験(エクセルシオIII)では右手グローブの不良による気密漏れが発生し、キッティンジャーが右手に激痛を訴えた。しかし彼は実験が中断されることを恐れてこの事故を地上クルーに報告せずに実験を強行した。
気密漏れによって右手の温度が低下し右手が使えないにもかかわらず1960年8月16日、1時間31分で31,300 mに達し、デイビッド・シモンズ(David Simmons)空軍大尉による気球の浮上高度記録(30,942 m、1957年)を塗り替えた。
この高度でキッティンジャーは12分間、気球が降下予定地点に移動するまで待機した。
降下開始後、スピン対策用のパラシュートを展開させた後4分36秒降下し、高度5,300 mで減速パラシュートを展開させニューメキシコ州の砂漠に着地した。降下時間の総計は13分45秒であった。
お早うございます。
<8月16日今日は何の日>
1960年 - プロジェクト・エクセルシオ: アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャーが気球による最高高度31,300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。
プロジェクト・エクセルシオ(Project Excelsior)とは、アメリカ空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉によって1959年・1960年に行われた成層圏からのパラシュート降下実験である。
この実験により最高気球高度・最高パラシュート降下開始高度102,800フィート(31,330 m、レーダー測定)、最長ドローグシュート降下時間4.5分間、乗り物を使わない最大大気中速度614 mph(988 km/h、該当高度での遷音速)が樹立された(米空軍記録でありFAIへの航空宇宙世界記録申請は行われていない)。
このうち降下開始高度・最大大気中速度の2つは、2012年にレッドブル・ストラトスでフェリックス・バウムガルトナーに破られるまで世界記録であったほか、最長ドローグシュート降下時間については現在も世界記録である。

プロジェクト・エクセルシオ(1960)。米空軍のジョゼフ・キッティンジャーが高度31,330mからパラシュート降下
最初の実験(エクセルシオI)は1959年11月16日に行われ、キッティンジャーは高度23,300 mからの降下を行った。
この実験ではスピン対策用のパラシュートが早く開きすぎたため、120回/分のスピンが発生した。このためキッティンジャーは意識を失ったものの、自動的に高度3,000 mで減速パラシュートが展開したため命に別状は無かった。
この事故にもかかわらず、キッティンジャーは2度目の実験を3週間後の12月11日に行った。この実験(エクセルシオII)においては高度22,800 mからの降下を行い、高度16,800 mからパラシュートを用いないフリーフォールに移行した。
3度目となる最後の実験(エクセルシオIII)では右手グローブの不良による気密漏れが発生し、キッティンジャーが右手に激痛を訴えた。しかし彼は実験が中断されることを恐れてこの事故を地上クルーに報告せずに実験を強行した。
気密漏れによって右手の温度が低下し右手が使えないにもかかわらず1960年8月16日、1時間31分で31,300 mに達し、デイビッド・シモンズ(David Simmons)空軍大尉による気球の浮上高度記録(30,942 m、1957年)を塗り替えた。
この高度でキッティンジャーは12分間、気球が降下予定地点に移動するまで待機した。
降下開始後、スピン対策用のパラシュートを展開させた後4分36秒降下し、高度5,300 mで減速パラシュートを展開させニューメキシコ州の砂漠に着地した。降下時間の総計は13分45秒であった。
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