日本が何故、大東亜戦争を始め、どのようにして戦闘を終わらせる事にしたのか。
それは教科書に書かれているような簡単な内容ではありません。
では当時の日本政府は具体的にどのような発表をしていたのか。
それが「開戦の詔勅」と「終戦の詔勅」です。
そこからも分かるように、日本が戦争を始めたのは国の自存自衛と東亜の安定のためです。
そして戦闘を中止したのはポツダム宣言を受け入れるという有条件降伏で、その中に「日本軍の無条件降伏」という「有条件」が含まれていたという事です。
その後、9月2日で戦艦ミズーリ上で降伏文書が調印され「休戦協定」が結ばれ、GHQによる占領政策が始まりました。
そして何よりも重大な事は、現代における「戦争」とは「宣戦布告」に始まり「講和条約」によって終結するという事で、サンフランシスコ講和条約が結ばれたのは昭和26年9月8日、
発効が翌年の昭和27年4月28日であり、東京裁判は戦争終結前に行われ、日本国憲法も戦争中に(ポツダム宣言、ハーグ陸戦条約に違反して)アメリカが作り日本に押し付けた憲法であるという事。
実は8月15日は決して戦争が終わった日ではないのに、日本人がそう思い込んでしまってその先の戦争中の事を忘れてしまっている、という事です。(現に第二次世界大戦の終結を8月15日にしているのは日本だけです。)
そしてそもそも「戦争」はダメな事、悪い事ではなく、国家の主権を維持するための「外交」であるという「世界の常識」を日本人自身が認識すべきです。
世界各国に「軍隊」があり、国家予算に「軍事費」があり、なおかつ戦争に関する条約どころか「軍事同盟」まで存在する訳ですから。
「戦争」は「国家の意思」に基づき「国運」を掛けて行う国家最大規模の「外交」です。
その当時の日本という国家の意思が「開戦の詔勅」であり、戦局を見据えて戦闘を中止する事に決めた理由が「終戦の詔勅」です。
・ポツダム宣言の概略は以下の通り。
第1条 アメリカ、イギリス、支那は協議して戦争を終える機会を日本に与えることで合意した。
第2条 アメリカ、イギリス、支那の3国は日本に最後的打撃を加える態勢を整えた。
第3条 我々の軍事力は日本の本土を壊滅することができるレベルになっている。
第4条 日本は決定すべき時期が来た。
第5条 我々の条件は以下の通りで、それ以外の条件はない。遅延は認めない。
第6条 軍国主義、世界征服をしようとした者は永久に除去する。
第7条 日本の戦争遂行能力がなくなるまで日本の諸地点を占領する。
第8条 「カイロ宣言」は履行され、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国、そして我々が決定する島に限定される。
第9条 日本軍は武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的な生活を営む機会を与えられる。
第10条 我々は日本人を奴隷にしたり滅亡させようとする意図はないが、我々の国の捕虜を虐待した者を含む戦争犯罪人に対しては厳重に処罰する。日本国政府は民主主義を推進しなければならない。言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重を確立しなければならない。
第11条 日本は、経済、産業を維持することを許されるが、再軍備の産業は除く。原料の入手は許可され、将来、世界貿易への参加も許される。
第12条 前記の目的が達成され、日本国民が平和的傾向を有し、責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は直ちに日本より撤収する。
第13条 我々は日本政府が直ちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障することを要求する。そうでなければ日本はすぐに壊滅されるだけである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
●大東亜戦争 開戦の詔勅
<現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、
その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、
私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、
帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、
以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に
武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、
ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である
南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、
東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の
平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を
加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、
経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、
ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、
我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、
すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm
●終戦の詔勅(玉音放送の内容)
<現代語訳文>
私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、私の祖先から行ってきたことであって私もそのように努めてきた。先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願って
のものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしなが
ら、戦闘状態はすでに四年を越え、私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、私の一億国民の努力、それぞれ最善を尽くし
たにもかかわらず、戦争における状況はよくならず、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、
新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それ
でもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そして人類文明おも破壊することになってしまうだろう。
そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができようか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。
私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さら
に戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから
日本の受けるであろう苦難は、大変なものになる。国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。
しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。
私は、ここにこうして国体を守り、忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、そして、いつもあなた方臣民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、同胞同士がいがみあって、国家を混乱におちいらせて世界から信用を失うようなことを私は強く
懸念している。 国を挙げて一つの家族のように団結し、子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操を固く持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように
努めなさい。あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。
天皇の署名と印璽
昭和二十年八月十四日
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/gyokuon.html
我々の世代は、日本人としての誇りと自信を取り戻し、本当の歴史を未来の日本人に伝えてく義務があります!!!!!