皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

夜須 羽尾小学校・仲木屋分校跡地1

2019-04-30 20:57:29 | 学校跡地訪問


訪問したのは平成28年1月






現状はこんな感じのようだ。



夜須、羽尾小学校仲木屋分校は半世紀以上前に廃校になった学校で、集落自体も同時期に無人になっているようで、林道脇にある跡地の石碑を目印にその下100mの山の中にあるそうだ。



ヤッシーパークから51号線り羽尾の集落のまだその先の林道入り口




その先 4キロ程に石碑がある。

舗装があるのは最初だけ。




ここから下へ100mとあるから、素直に林道の北側を降りる。

鉛筆を持つ手でノートに影が出来ないように黒板は西向き!!の法則からして??と思いながら100m以上歩き、撫川へ続く川沿いもしばらく歩くが、耕作地と、炭焼きの窯跡と、川を渡る小橋の土台数か所しか発見出来なかった。

そして、その反対側(南側)にも降りてみるが、耕作地跡の石垣しか発見できなかった。

全く、何処を起点に、どちらに100m下かが分からない・・・!!




その日は時間もなく、帰って地理院地図を見て次回の作戦を考える事に!!

とりあえず、状況が分かったから、よし!としよう!!

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そして後日




その後に林道が出来、当時の地理院地図と状況が変わっているので、石碑を起点に考えるのではなく、少し先の717地点の尾根から集落を探す事にする。




そして、717地点から入る!!


この等高線から尾根が歩きやすい事は想像がついていたが、しっかりと杣道があった。

ブルーのテープで目印を付けながら、尾根の東側への道を探す!




下り過ぎないように気を付けながら、そろそろという感じの地点に道があり、すぐに民家跡があった!!




まだこんな状態で残っているとは・・・・



民家の中には当時の生活を偲ばせるこんなものが・・・・



これは・・・・・・




この家の玄関の石段!!




同じ敷地の隣の建物は完全に崩壊している



立派な石垣の上に、その民家跡はあった




そして、等高線から分かるように、その西側が広くなっている訳だが、そこは石垣でしっかりと仕切られていた!!









そこから西に向かうと、石垣、民家跡、耕作地跡があったが、歩くのが大変なほどで、写真を撮っていない・・・




そしてその先にさらに大きな集落跡が









ここが仲木屋の繁華街かも




当時は整然と整備された綺麗な集落だったのでと想像出来る!!!




杜があり、小松さんのお墓があった。

杜はまだ手入れがされているようだ!!




ここにも民家跡が残っている




がしかし、漠然と仲木屋の集落跡を発見出来たが、目的の学校跡が見当たらない。

というか、一体何処を、何を根拠に、何を目印に学校跡地を特定すればいいのか、

ここに来て初めて疑問に思ってしまった。




まあ、この日は安芸でのサッカーの試合の後、現地到着三時半で、ここまで来れたから、よし!としよう。

帰りは、ブルーのテープを辿りながら帰ろうと思っていたが、この集落をさらに西に歩くと、上に林道に辿りつけそうな場所があったので、そこから登って帰る事に。

実際に林道に出るまでは、ドキドキしながらも、結果的には、さらに仲木屋への近道を発見出来たので、これも、よし!としよう!!



このすぐ下に、仲木屋への道がある!!
下り2分。登り5分ぐらいだろうか!



石碑から、少しく下りになり、そこから再び717地点に登る坂の手前のこの看板が目印だ







時間は5時を過ぎ、辺りは暗くなり始めている。

そして、なにやらポケットが騒がしい!!

どうやら携帯が鳴っているらしい!!



本部からだ!!!

今日は疲れたから、晩飯を買ってこいとの伝令!!!




このペースで帰ると、丁度、野市の半額タイムに間に合う事になる。




夜須の仲木屋のこのヤッシーパークの見渡せる周辺は、携帯の電波も良好らしい!




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