皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

香北・清爪小学校

2019-05-28 22:14:54 | 香北の学校

香北・清爪小学校

2017/5/2(火) 午前 1:30

元禄13年の古地図によると、猪野々、清爪、日浦込(古味)・・・と現在地名のある集落そのものが、それぞれの独立した村であったようだ。


永野は以前は「長野」だったようだ

一体いつ、どのような理由で変わったのか知りたいところである



周辺に「橋」が掛かるまでは高知市内からのかなり時間的に遠い場所


非常に綺麗に手入れが行き届いている学校跡地



現在は


在所村立清爪小学校



明治11年から昭和44年までの歴史



香北町史には


明治11年 清爪字東ノ岡に二間半に4間の茅葺き校舎を設け浜田庄吉・岩谷徳隣・中沢正顕・立仙繁之助らが相次いで生徒を教えた

明治18年 清爪簡易小学校と称す

明治26年 校舎を新築し清爪尋常小学校と称す

明治36年 在所村第4尋常小学校と称す

明治41年 校舎を改築 児童数45人

昭和30年 8月 新校舎落成 9月から新校舎で授業開始 児童数33名

昭和41年 児童数 男子14名 女子9名

昭和42年 新入生一人が入学

昭和43年 児童数 男子10名 女子8名

昭和44年 大宮小学校に統合


    とある



手入れをされてるのは、やはり卒業生の方だろうか



校庭のタイヤ


廃校から半世紀になるが

遊具も定期的に塗装をかけ当時のままの姿でいる


校庭からの風景


近くの小高い場所にある神社からの清爪の集落と小学校


かつては多くの人々が住んでいた山々の集落の学校が廃校になり、住む人の数もここまで減ってしまった。




「過疎化」だからねぇ~~、とそこで思考停止してしまってはいけない。




確かに多岐にわたる原因があり問題は複雑ではあるが、




これらの現象は、早い話が戦後からの「国内食料自給率」の低下が原因なのである。


そしてその「国内食料自給率」の低下の原因は何かというと




「敗戦」である




しかしその「敗戦」という言葉も、「第二次世界大戦」「太平洋戦争」等の戦後に作られた言葉の中では確かに適当な言葉かもしれないが「大東亜戦争」という本来の、あの戦争の呼称、そしてその本来の「目的」からすれば全く持って相応しくない言葉になってしまうのである。




戦後の現代を生きる日本人は、本来の、本当の日本の歴史の中に生きていない。

戦争とは「宣戦布告」で始まり「講和」を持って終結するもので、その講和があんな内容だったから仕方のない部分はあるが、いい加減気付こうぜ。

未だに真珠湾攻撃が卑怯なだまし討ちと思っているのは、当の日本人ぐらいのもんだぜ!

「日本国憲法」なんて、あれは戦後GHQが作った憲法なんだぜ。

憲法9条なんて、アメリカ人にとっては「え????日本人て未だにあれを真面目に受け止めて真剣に実行してるの???マジかよ・・・・・・」と、思っていると思うぜ!!!




早く日本人の日本の本来の本当の歴史を取り戻そう!!!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿