ねぎやんのしま人のたわごとパ-ト2

視覚障碍者、ねっしーのあれこれ日記・・・

スカイラインのカタログが出てきた!

2022-09-22 17:16:05 | ノンジャンル

日産のスカイラインはあまりにも有名

私も、高校卒業して初めて買った車がスカイラインでした。

子供のころは、近所の同級生のお父さんが、ハコスカに載ってましたし、

さらに近所のお兄さんは、ハコスカでレースに出ていましたし。

ところで、ご隠居生活はあまりにもヒマなので

部屋の片づけがメインになってしまいます。

そんな中、こんなのが出てきました。

 

一部のページのみとして、他はここでは割愛しますが、

スカイラインの通称”ジャパン 丸目”

1977年8月デビュー時のカタログ初版と思われます。

1979年末から(記憶によるとですが)は、丸目から角目ライトに

変わってしまったのですよね。(で、翌年ターボがついた)

メーターパネルを見て、当時が懐かしくなりました。

父が仕事をやっていた関係で、「バン」のカタログまで

残っていました(笑)

 

 

まさに古き良き時代「昭和」の歴史の重みを感じます。

今見てもカッコイイ!です。


無職2日目

2022-09-22 17:16:05 | 日記

定年2日目

朝、住宅を見に行こうと家内とチャリで出かけた。

・・・ら、50mくらいで家内と私のチャリが激突!

2人ともひっくり返って負傷

トホホ・・・になりながら即引き返してきました。

となりの工事現場の人が失笑してました。

はずかしい

まあ、大きなケガがなくてよかったです。

気を付けないと、老後生活が一瞬で”Ths END”に

なっちゃいます。

仕切りなおして、安全に再スタート

無事帰ってきたので、今日のお昼ご飯は

特性オムライス!

何故かケチャップで「祝」の文字が??

いえいえ、今日は無事帰れただけで

「お祝い」なんです。

ハイ!

(しかし、祝という字が最初、税に見えて怖かった(苦笑))

 


無職スタート!

2022-09-21 21:52:09 | 日記

本日から、晴れて「無職」の身となりました^^;;

あまり、表立って言えませんね。

契約書とかの職業欄に「無職」って書かなくちゃ

いけませんから。

でも、堂々と書きましょうよ、無職って。

これらは支配層のいやがらせなんですから

気にする必要はありません。

そもそも、60歳定年って作ったのも、それくらいっで人間は

衰える、働く限界と言うことを知っていたからです。

それが、支配層たちの「もっと安く労働させたい」思惑が働き

「今の老人は若いから、もっと働ける」とか、

「年金が足りないから」

と言うことで、65歳までを雇用期間と強制的に伸ばした。

しかし、60歳定年という制度は変わらない。

だから、形式上再雇用になり、会社としては効率よく安く

労働者を使えるわけですね。

労働者としては「ふざけるな」と声を上げた方が良いとは思います。

でも、日本人はまじめですからね。

なので、定年60歳で退職、ご隠居出来る人はうらやましがられますよね。

 

だけど、60歳過ぎたら、やっぱり若い人に道を譲りましょうよ。

 

それはおいといて、

無職一日目

さっそく朝から部屋の衣替え?

私が、定年後一番やりたかったオーディオルーム

家内に協力を得て、2階の居間を片付けて、

スピーカーを置くスペースを作ってもらいました。

スピーカーは、タンノイのアランデル

今から25年ほど前に、友人の親せきから頂いたもの

50cm角x高さ1m

38Cmウーファーの大型フロアタイプ

重さ48Kgx2台

しかし、この重量と大きさを甘く見てました。

こいつを片付けたのは、私がまだマッチョだった20年も前

気持ちだけは「楽勝」と思っていたのですが、

いざ始めたら、持ち上がらない

家内に頼んで2人で階段を上げようとするにも

上がらない

腰が砕けそうになって笑いが止まらず

即断念

すべて元通りに片付けて

結局何もなかったかのように変化なしでおしまい

いったい初日から何やってんだか

私のご隠居生活第一弾の「オーディオ三昧」は、

むなしく砕け散ったのでした・・・

はあ。。。

↑ 25年前の部屋とスピーカー(タンノイ アランデル)


定年退職日

2022-09-20 20:25:19 | 日記

本日、無事定年を迎えました。

いつものように、朝5時に起きて

顔洗って・・・たら雨がひどい

そりゃそーだ、台風接近中ですもんね。

こりゃ最後にふさわしい晴れの舞台ならぬ嵐の洗礼か?

7:00に家内に見送られ、いざ出勤

今回は、ちゃんと動画に収めてもらった。

1981年4月1日に初社会人となった私

それからかれこれ41年

遠い過去に愛おしささえ感じるのであるが、

しかしどこも2度とごめんだ(笑)

現在の会社に勤め始めたのが1991年の2月18日

それからでも31年以上が過ぎた。

あれだけ嫌だった会社であったが、

やはり終わってみると愛おしい・・・

なぜだろう?

本当は、元気なうちにフリーになっておくべきなんだろうが、

定年までいてしまうと、体はボロボロ

心もやんでいる人がほとんど

ボロ雑巾になってしまった人が、

いざ明日から働かなくてもいいですよと言われて

いったい何ができるのだろう?

何もできないかもしれない

実は、だから、そんなお年寄りに

定年という区切りをつけて退社していただき、

次の世代にバトンタッチさせていくのが

本当の社会の循環なんだと思います。

職人さんであっても、そこらへんで

できれば次の世代に受け継いでほしいです。

まあ、いろいろとありましょうがね。

最後に花道を通って帰路に着きました。

その間、さっきまでの嵐がピタッとやんで

晴れてきました。

うれしかったです。

サラリーマン最後の日でした。

↓ お別れに頂いたお花です。


石子と羽男-そんなコトで訴えます?

2022-09-19 16:45:33 | 日記

先日、最終回を迎えた

石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」

毎週欠かさず見ていました。

なんせ、有村架純ちゃん大好きですから。

で、その1シーンに家内が「あっ、これうちの実家が作ったエプロンだっ、多分間違いないよ、独特の作り方とデザイン、今はもうないと思うけど」

と言っていました。

エプロンというと、なんでもかんでも同じと私たちシロウトは思ってしまいますが、プロの目は違うらしい。

実際にそうなのかは、確認のしようがありませんが、多分そうなのでしょう。

それで思い出したのですが、プリンセスプリンセスが、年末のNHK紅白歌合戦で「ダイヤモンド」を歌う衣装の一部を作ってほしいと極秘の依頼が来たことがありました。

赤い鏡を全身にまとっていましたね、あれです。

あとは、長野冬季オリンピックで、表彰式のライトカバーなんてえのも作った記憶があります。

 

仕事も長くやってりゃ、いろいろとありますね。