今から34年前、1990年の6月、ニュースでオースチン彗星がやってくるというので、確かテレ朝(当時10Ch)ニュースステーションで八方ヶ原が紹介されました。
そこでその地を知り、折しも私の勤めていた会社が解散となり、バイト生活していた時なので、ストレス解消にもなるし、その一年以上前に天体望遠鏡なるものを購入してからは、ずっと悪いことばかりで全然星を見ることが出来なかったこともあり、ここらで起死回生を狙っていくことに。
最初は何も持たずに、日中にどういうところか下見に行くだけにしました。
梅雨時なので、どんよりしていましたが、中腹の学校平に到着すると、楽し気な音楽が流れていて、レストハウス(高原荘)やバンガロー(のんびり)なんかもあってとても気持ちの良い牧草地(牧場)でした。
また、上っていく山道に定期的に「貸別荘 のんびり」の看板(漢字で書いてあった気が・・・忘れました)が立っていて安心感とリゾート感が出ていました。
星を見るのは、そこからさらに上って標高1200mのところに大間々台なる駐車場とトイレ(ここのトイレはとてもきれいでびっくりしました。いつもお掃除ありがとうございます)があります。
そこがロケーション地だったのですよね。
↓ 中腹にあった八方ヶ原 学校平の「高原荘」と言うレストラン+宿泊施設(のちに、縁あってここでお世話になることに)、今はもうありません。
↓山頂の駐車場を展墓台から望む
↓噴煙が上がっているのは那須岳、2008年の夏、最後の車で来た八方ヶ原、この日は自転車を積んで日中は走り回っていました。
夜になると一変して星空が広がります。
↓先ほどのトイレ
駐車場にカメラをゴロンと置いて撮った写真、アンドロメダ大星雲が左下に映っています。
ここに来て4年後の1994年、たまたま牧場にいた一人のおじさん(当時その方は48歳くらい、私はまだ32歳)に声をかけ、土地を貸してくれるところを聞きました。
そうしたら、矢板市泉財産区で管理している牧場の管理棟が空いているので、市に頼んであげると紹介してくれました。
実はその方が、私の人生において非常に影響力を持つ方になったわけなんですね。
それ以前は、茨城県のとあるところで1年間だけ土地を借りていたのですが、星空観察には少し場所が悪かったので、他を探していました。
その年の11月、私は体調を崩してしまい、休職することになって寝ていた時に、両親がなにも言わずに温泉ドライブに行ってきたといいました。
その場所が偶然にも私がお世話になることになった八方ヶ原高原荘でした。
父母が何も知らずに高原荘に踏み入って、コーヒーを頼んだそうです。
で、壁に写真がいっぱい貼ってあって、見ていたそうなんですが、その中に見覚えのある写真が・・・
どこをどう見ても、うちの息子がとった写真だろうと。
父母は騒いだそうな、これうちの息子のだ!
すぐさま、山荘オーナーの川崎さんが「ちびかひげかのっぽか誰だ?」
「のっぽです」
「あー根岸君か」
本当に偶然でした。
それから、この山荘とは家族付き合いとなり、閉鎖されるまでの8年間、月1~2回、お手伝いと星見、リゾート気分を味わいに行くようになりました。
↓1995年 7月に高原荘を訪れたカブスカウトの方たち、星空教室を行いました。もうかれこれ30年が過ぎようとしています。当時10歳だった子も今や40歳?!
↓山荘前駐車場から下界を望む(1995年)
↓山荘の駐車場隅にある木々と切株(1995年)、その7年後閉鎖に伴い
更地になったが、この切株は残された。
賑わっていた当時がととも懐かしいです。
2002年に閉鎖され、2007年を最後に川崎社長には会えなくなってしまいました。
それから数年後に他界されたと聞きました。
もう過去の遠い記憶だけになってしまいました。
眼が悪くなってしまい、自力ではこの地に行くこともできなく、川崎さんに花を手向けることもできていません。
思い出に、氏が1998年~2001年くらいまでに撮ったと思われる作品をご紹介いたします。(本人に生前許可は取っておりますが、無断転載等ご容赦ください。)
すべて八方ヶ原の写真です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
川崎さんは、矢板市内で「かどや」を経営しておられた社長でした。
↓かどやさんがあった交差点、いまはまわりが更地になってしまい、面影が消えてしまいました。最後にここで一緒にラーメンを食べたのが懐かしいです。
もともとあった高原荘の現在をストリートビューで望む
面影は消えてしまっていました。
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