ねぎやんのしま人のたわごとパ-ト2

視覚障碍者、ねっしーのあれこれ日記・・・

昔なつかし

2005-01-22 19:58:19 | ノンジャンル

に雪の写真を載せたが、あそこに写っている写真の中の鉄塔、これにはドラマがあるのです。
今から30数年前、共和(協和?)建設の工藤氏ともう一人だれだっけ?忘れちゃったけどその人達に色々と鉄塔を造る人達の素晴らしさを教わった。
当時ブルースリーが流行っていて、確か私があの「ヌンチャク」を作ってあげた気がする。ちゃんと鉄の鎖を付けて(これは倒産した工場の中にあったチェーンを貰ってきた)角棒の面取りをして作った。ガキンチョだった頃、そのお兄さん達は私たちを大変可愛がってくれた。九州から来ていたと聞いていた。
この鉄塔は50mだそうで、5万ボルト(嘘です。後で確認したら6600Vだそうです)が流れているとか。
すでにその頃成田空港の建設が始まっていて、そこの高圧線は100万ボルトの4本ラインを使っているんだよ、線の太さもここの4倍はある、高さは倍の100m、スッゲー怖いと教えてくれた。
あの方たちはサーカス団より凄い、あんな高い所で命綱一本、しかもやっぱりそれでも事故はあるらしい、命を本当に懸けている凄い仕事なんだなと。
それでもあの人達だって人の子、最初は電柱にも上れなかったとか、上ったは良いが降りられなくなるんだってね、怖くて。腰が抜けるんだよね。
初めて鉄塔に上ったときも腰砕けになって先輩に助けられたそうだ。
何気なく見ている鉄塔、でもそこにも凄い「ドラマ」があるんですよ、建築へ進んだのも実はそれの影響が少なからずあったんだよね。でもトレーラー乗りの方がオイラ的には強かった(笑)結局建築辞めてそっちへ行ったけど夜中の商売はやっぱりパス、普通のサラリーマンになっちまった。
工藤さんともう一人(伊藤さんだったかな?)の方、お世話になりました。
もうすごい年月が経ってしまいましたがお元気ですか?ヘルメットに「高圧線」に触れて解けた跡が生々しいのをかぶって仕事していた凄い人、今でも尊敬しています。


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