突然ですがむかーしのハナシ
ワタスもずーーーーーっと昔は走り屋さん(走り屋ではなく走り屋さんです!!!)でしたが、当時の足回りは
暴走族・・・コニーのオイル、レーサスにワークのホイール、ダンロップのレース用
写真では
まんまこれなんすけど(友人のS氏ローレル)
当時の定番でした。
で、走り屋さんは・・・ビルシュタインにレーサス、ピレリーP7にSSR(スピードスターレーシング)なわけで
写真では
まぁこんな感じ・・・(I氏の)
で、このピレリー(PIRELLI)P7、当時の高嶺の花、一本8万もしたタイヤですからそうそう買えるもんじゃありませんでした。
独特のトレッドパターンが80年代初頭のシンボルマークでもあったわけです。
それがこれ
それよりもちょっと前ですとテクノスターレーシングのテクノホイール・・・懐かしいとお思いのアナタ!暴走してましたな(笑)
N氏所有のでしたね。
テクノの後にヒーロー(ヒーローズはスカイラインの族車パーツメーカー)のホイールが出ましてこいつの3ピースは別の会社が出していました。
ホリデーオートを引っ張り出してくれば良いのですがめんどくせーので割愛
こんなホイールがヒーローです。
その後の族車定番ホイールはスターシャークあたりへと移り変わり・・・
いよいよBBSの登場です。
80年代中期のバブル突入直前にはサスはGABにヒーローのテーパーサスという組み合わせは誰もが認める名コンビでしたね。
ビルシュタインも素晴らしいのですが(ポルシェ純正ですから)日本の重たい車体とグニャグニャの足回りだった当時は最強だったわけです。
BBSの話の前にP7のお話しを。
P7は当時のタイヤの中では革新的だったあのトレッドパターンが愛用者を増やし、カーマニアの心をくすぐったのですが、性能はまぁそれなりに良いって感じであまり好評価する人はいませんでした。
何故かというとまずドライビングノイズが結構デカイ!
一応共鳴防止としてトレッドパターンのワンブロック単位の大きさを列ごとに変えていましたが・・・実はグリップ力を意識するあまり柔らかすぎるコンパウンドを使いすぎてネチャネチャなタイヤだったのです。
それがパターンノイズを大きくしてしまったのでしょうかね?
サーキットで走っていた友人は「コーナーでちぎれるぞ、ゴラァ!」なんて言って笑っていました。
そこへ割り込んできたのがブリジストン「ポテンザ」・・・当時出たときは”トラクタ”のタイヤか?なんて馬鹿にしていましたがかなり良いタイヤでした。
しかーし、それよりも良かったのがユコハマ「アドバン」・・・左右非対称のトレッドパターンが一躍走り屋の定番タイヤになりまして私も一時履いていました。
そうは言っても個人的にこの当時のP7はやっぱり大好きでしたね。
ところが・・・1985年当たり、そう「おにゃん子クラブ」が爆進中、世の中バブル突入ってー時に「ハイソカー」ブームもやってきまして土曜の夜はフェラーリ、ポルシェ、BMW、ベンツ、国産はソアラがダントツのハイソカーだったわけでそーんな車が沢山「ナンパ」するために六本木へ繰り出していました。。。が私も言ってました・・・^^;
で、そこへドイツよりBBSのオデマシとなるのです。
当時のBBSは鋳造(鋳物・・・イモノ)と鍛造に分かれていまして日本製が鍛造(ワシマイヤー)、ドイツ製が鋳造と言う意外な物だったのです。
日本のホイールメーカーはほとんど全て鋳造品で鍛造を見た途端に目が釘付け!
そりゃ日本人ですから日本刀の様に鈍く輝く鍛造を目にした途端、遠い祖先から受け継いだ血が騒ぐのでしょう・・・か?
とにかく素晴らしい輝きで鋳造のポリッシュとかメッキとは全く別物でした。
近くで見るとなんてこと無いのですが1mも離れるととても輝いて見えます。
当時は生産性と軽量化しやすい3ピースと(個々のパーツを薄く強く作れるので)一体成型の1ピースのみでした。
1ピースは型から抜く必要があるのでどうしてもゴツくなったり鋳物のような製法では強度不足を回避するために根本をリブ構造で太くする必要があったのですが、BBSはそれを鍛造で薄く作ったのでとても軽量でした。
当時の定番は「RS」これに尽きます。
(サイトから拝借)
3ピースでとても綺麗なメッシュは誰もが憧れましたが値段は・・・1本15万越え!
こんなん買えませんがなー
しかもFR用は15インチ以上、FFは14インチからとはなっから外車ターゲットでした。
今でこそ16インチはおろか18~19インチが当たり前でしたが当時16インチなんてフェラーリ買えるぞ!なんて言う奴くらいしか手が出なかったもんです。
このRSにピレリーP7、ビルシュタインのショックは本当の意味で憧れでしたね。
ソアラ買うの精一杯でそんなん買えませんでした・・・が。
さて、そのBBSホイール、売れ始めると当然価格も下がってきまして沢山のオーナーが履くようになり当初「ドイツ製」と思っていた人(私も)は「やっぱりドイツはすげーな」なんて言っちゃってた人があとで赤っ恥をかくことになろうとは・・・。
因みにドイツのイモノホイールはイマイチで日本では結構腐食が早かったようです。
気候が日本とは合わなかったのでしょうかね。
そのBBSも世代が変わりいまじゃワンボックスのドキュンカーにも多々見受けられます。
P7なんて名前だけ残ってあの独特のトレッドパターンは完全に消えてしまいました。
BBSのホイールセンターキャップも簡単に外れるので盗難が相次ぎ(今でも盗んで売る奴が後を絶たない)今はBBSに限らず疑似センターロックは流行らなくなりました。
BBSを簡単に振り返ると先ほどのRSを筆頭に1ピース化したRG(個人的にはこれが一番好き!)が初代で
RSもRS2、3と続き3ピースのRSを2ピース化した現在のスーパーRSとなるわけですが、現在でもやっぱり良いなと思いマスです。
方やRGもRG2と変化していましてスポークの本数を減らしてデザイン変更となっています。
そして最終的には昔からグループカーやシルエットフォーミュラなどで使われていたデザインまんまなLMとなったのですね。
まぁ現在のスーパーRSとRG2をくっつけたような安直なデザインですがそれはそれ、BBSですから許されちゃいます。
ワタスもずーーーーーっと昔は走り屋さん(走り屋ではなく走り屋さんです!!!)でしたが、当時の足回りは
暴走族・・・コニーのオイル、レーサスにワークのホイール、ダンロップのレース用
写真では
まんまこれなんすけど(友人のS氏ローレル)
当時の定番でした。
で、走り屋さんは・・・ビルシュタインにレーサス、ピレリーP7にSSR(スピードスターレーシング)なわけで
写真では
まぁこんな感じ・・・(I氏の)
で、このピレリー(PIRELLI)P7、当時の高嶺の花、一本8万もしたタイヤですからそうそう買えるもんじゃありませんでした。
独特のトレッドパターンが80年代初頭のシンボルマークでもあったわけです。
それがこれ
それよりもちょっと前ですとテクノスターレーシングのテクノホイール・・・懐かしいとお思いのアナタ!暴走してましたな(笑)
N氏所有のでしたね。
テクノの後にヒーロー(ヒーローズはスカイラインの族車パーツメーカー)のホイールが出ましてこいつの3ピースは別の会社が出していました。
ホリデーオートを引っ張り出してくれば良いのですがめんどくせーので割愛
こんなホイールがヒーローです。
その後の族車定番ホイールはスターシャークあたりへと移り変わり・・・
いよいよBBSの登場です。
80年代中期のバブル突入直前にはサスはGABにヒーローのテーパーサスという組み合わせは誰もが認める名コンビでしたね。
ビルシュタインも素晴らしいのですが(ポルシェ純正ですから)日本の重たい車体とグニャグニャの足回りだった当時は最強だったわけです。
BBSの話の前にP7のお話しを。
P7は当時のタイヤの中では革新的だったあのトレッドパターンが愛用者を増やし、カーマニアの心をくすぐったのですが、性能はまぁそれなりに良いって感じであまり好評価する人はいませんでした。
何故かというとまずドライビングノイズが結構デカイ!
一応共鳴防止としてトレッドパターンのワンブロック単位の大きさを列ごとに変えていましたが・・・実はグリップ力を意識するあまり柔らかすぎるコンパウンドを使いすぎてネチャネチャなタイヤだったのです。
それがパターンノイズを大きくしてしまったのでしょうかね?
サーキットで走っていた友人は「コーナーでちぎれるぞ、ゴラァ!」なんて言って笑っていました。
そこへ割り込んできたのがブリジストン「ポテンザ」・・・当時出たときは”トラクタ”のタイヤか?なんて馬鹿にしていましたがかなり良いタイヤでした。
しかーし、それよりも良かったのがユコハマ「アドバン」・・・左右非対称のトレッドパターンが一躍走り屋の定番タイヤになりまして私も一時履いていました。
そうは言っても個人的にこの当時のP7はやっぱり大好きでしたね。
ところが・・・1985年当たり、そう「おにゃん子クラブ」が爆進中、世の中バブル突入ってー時に「ハイソカー」ブームもやってきまして土曜の夜はフェラーリ、ポルシェ、BMW、ベンツ、国産はソアラがダントツのハイソカーだったわけでそーんな車が沢山「ナンパ」するために六本木へ繰り出していました。。。が私も言ってました・・・^^;
で、そこへドイツよりBBSのオデマシとなるのです。
当時のBBSは鋳造(鋳物・・・イモノ)と鍛造に分かれていまして日本製が鍛造(ワシマイヤー)、ドイツ製が鋳造と言う意外な物だったのです。
日本のホイールメーカーはほとんど全て鋳造品で鍛造を見た途端に目が釘付け!
そりゃ日本人ですから日本刀の様に鈍く輝く鍛造を目にした途端、遠い祖先から受け継いだ血が騒ぐのでしょう・・・か?
とにかく素晴らしい輝きで鋳造のポリッシュとかメッキとは全く別物でした。
近くで見るとなんてこと無いのですが1mも離れるととても輝いて見えます。
当時は生産性と軽量化しやすい3ピースと(個々のパーツを薄く強く作れるので)一体成型の1ピースのみでした。
1ピースは型から抜く必要があるのでどうしてもゴツくなったり鋳物のような製法では強度不足を回避するために根本をリブ構造で太くする必要があったのですが、BBSはそれを鍛造で薄く作ったのでとても軽量でした。
当時の定番は「RS」これに尽きます。
(サイトから拝借)
3ピースでとても綺麗なメッシュは誰もが憧れましたが値段は・・・1本15万越え!
こんなん買えませんがなー
しかもFR用は15インチ以上、FFは14インチからとはなっから外車ターゲットでした。
今でこそ16インチはおろか18~19インチが当たり前でしたが当時16インチなんてフェラーリ買えるぞ!なんて言う奴くらいしか手が出なかったもんです。
このRSにピレリーP7、ビルシュタインのショックは本当の意味で憧れでしたね。
ソアラ買うの精一杯でそんなん買えませんでした・・・が。
さて、そのBBSホイール、売れ始めると当然価格も下がってきまして沢山のオーナーが履くようになり当初「ドイツ製」と思っていた人(私も)は「やっぱりドイツはすげーな」なんて言っちゃってた人があとで赤っ恥をかくことになろうとは・・・。
因みにドイツのイモノホイールはイマイチで日本では結構腐食が早かったようです。
気候が日本とは合わなかったのでしょうかね。
そのBBSも世代が変わりいまじゃワンボックスのドキュンカーにも多々見受けられます。
P7なんて名前だけ残ってあの独特のトレッドパターンは完全に消えてしまいました。
BBSのホイールセンターキャップも簡単に外れるので盗難が相次ぎ(今でも盗んで売る奴が後を絶たない)今はBBSに限らず疑似センターロックは流行らなくなりました。
BBSを簡単に振り返ると先ほどのRSを筆頭に1ピース化したRG(個人的にはこれが一番好き!)が初代で
RSもRS2、3と続き3ピースのRSを2ピース化した現在のスーパーRSとなるわけですが、現在でもやっぱり良いなと思いマスです。
方やRGもRG2と変化していましてスポークの本数を減らしてデザイン変更となっています。
そして最終的には昔からグループカーやシルエットフォーミュラなどで使われていたデザインまんまなLMとなったのですね。
まぁ現在のスーパーRSとRG2をくっつけたような安直なデザインですがそれはそれ、BBSですから許されちゃいます。
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