ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

在宅で体休め

2017年07月20日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温28℃。寝付きが悪し。
72.1
105 65 49
○燃えるゴミ出し。脚が動きにくい、歩くのしんどい。後退しているのか?
○朝食用の牛乳がほんのわずかしか無い。やむを得ず、好きで無いカフェオレにした。それで、ふと、頭をよぎったことー。
 セガンが、自身の実践に基づく知的障害教育論を綴りパンフレットで公刊した、その2ヶ月後に、やはりパンフレットで知的障害教育実践指針書を公刊している。その指針書の中に、次のようにある。
 「コーヒーとりわけカフェオレは悪い習慣です。」(『子息の教育についてのO氏への助言』1839年刊=セガン27歳の時の作品)
 19世紀半ばのパリの人々の食習慣を綴った書物によると、職人頭家庭での朝食習慣はライ麦パンとコーヒーであったようだ。もう少し下層になるとコーヒーだけというのが普通の光景。脱線話で、第一次世界大戦中のヨーロッパ軍隊の朝食はコーヒーとシガレットであったと知った(映画『凱旋門』より)。
 要するに、コーヒーは「主食」の位置を占めているわけで、それをセガンが禁じている。これはどういうことなのか。このぼんくら頭をひねり書物のページをめくり続けて10年経っても、未だ、解決への明かりは見えない。
 指針書の文脈でいうと、「主食」後の「飲み物」の位置づけとしてコーヒーまたはカフェオレが指摘されているのだが(こうしてみると、セガンが教えた子どもの階層はかなり上層であることが分かるのだが)。推奨される「飲み物」は、「ワインの入った水」だそうで・・・。我が純粋日本的生活習慣からいえば、ワインなんぞ、ガキの飲み物では無い!
 (だから、横文字文化を直線的に縦文字文化に「異訳」してしまった研究に、大きな疑問符をつけざるを得ないのですけれど、ね。)
○今夕の食事は「山羊スープカレーにしますね。」と、弘美君に語った。あまり好みでは無い、という顔をなさったが、まあ、たまには亭主の作る夕食を召し上がれ。外の暑さにへばってご帰宅ですから、滋養に良いものを流し込んで。タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ニンニク、黒胡椒、それに山羊肉。今、ことことと煮込んでおります。

○ ぼくは「ボンボン」が大好きだ。とりわけ「ウィスキーボンボン」は、酒が飲めないくせに、ガキの頃から口いっぱいに頬ばって食べるほど。支援者さんと町歩きをし、お別れをするとき、「はい!」と言って手渡されることがある「今日のお土産」は、ウイスキーボンボンである。もちろんホンの時々だが・・・・。
 例によってセガン話。彼は知的障害児(白痴児)教育に関する記述の中で「ボンボン」をたびたび登場させている。丁寧に分析的に読めば、おそらく特定の、ブルジョアの子どもを描いているのだが、ボンボンに食い意地が張っており、とうてい手の届かないところに置いてあっても、なんとかして、ボンボンの入った器を手に取るボンボンの大食らいだ、との表記もある。
 そこでセガンは「白痴教育指針書」の中で、ボンボンをおやつに与えてはならない、と綴る。ボンボンは、17世紀に生まれた砂糖菓子。砂糖でナッツやフルーツなどを包んで製品化したもの。今日では、砂糖の代わりにチョコレートでナッツ等をくるんだのもある。「あまり食べるとニキビが出るぞ。」との脅し文句があるほどに、大人気菓子だ。
 で、ここから類推(確証は無い)。先に、セガンは子どもにコーヒー類を禁止している。それは、ボンボン禁止記述にすぐ続いている。コーヒーに砂糖やミルクを入れる風習はいつ頃、どうして生まれたのかは知らないが、セガンのこの時代には、コーヒーに砂糖(やミルク)を入れる習慣が確立していたのではないか。
 「甘いものの誘惑」。セガンはそれを禁じたのだろうか、と思う次第である。通所先でお出しするコーヒーに、たっぷりと砂糖とミルクを嬉しそうに入れる利用者の方々の姿も、そこに被さってくる・・・。