ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

今日もセガン

2017年07月13日 | 日記
○5時30分起床、起床時室温29℃。かつてぎっくり腰で悩まされた前夜のような腰の痛だるさ。何度も寝返りを打つ。左脚の痛みは相変わらず。安眠したいものだ。
72.0
108 59 54
○昨夜のうちに三志会最終案内が田中君より届く。
*7月18日10時30分、上野不忍池公園口集合 その後はハス鑑賞など散策の後昼食会。
○粋生倶楽部増尾の通所振り替え予定日だったが、27日午前に変更。
○雨予報が崩れたので、二度目の布団干し。しっかりと太陽殺菌に努めます。布団を自室から抱えて玄関を出、車庫屋根上の洗濯物干し台へ、えんやらやー。途中で脚を引っかけないかひやひや作業。
*ついでに屈伸運動。屈伸は苦無く出来るのだが、左足の痛さは抜けてくれない。
*布団類を取り込むとき、玄関ドアを開けたままにしておかないと、作業不能。猫の「家出」が心配だったけど、大丈夫だろうと高をくくってもいた。案の定、臆病者で凶暴なマヌが、恐る恐るという漢字で玄関の外に出てきて、周りの様子をうかがっていた。ドアから1メートルも外に出る勇気がなかなかもてなかったようで、布団を抱えて玄関に向かうと、マヌは慌てて屋内に姿を消した。やれやれ。
○今日の「セガン」はセガンの名をヨーロッパの関係者に知らしめることになった第1実践(アドレアン実践)を基盤にしている。「不動と動」「対象認識」。そこに「自我認識」が生じる。この第1実践の的確な評価は藤井力夫氏によって為されているはずである。未入手文献。
*少しペースを速めないと、あとにさらに難解な原文が待ち構えているぞ。
*訳語が意味不明とのご指摘をいただき、時代文化のことだろうとお答えしたが、自身に引っかかるところがあり、原文と仏和辞典とを詳細に検討。その結果、訳語がきわめて不適切であることを理解した。感謝感謝である。中野訳では「大きな布」、ぼくの訳では「大きな手引き紐」。訳語を改めたのは「大きな端布」。
*上記のご指摘をいただき、訳語修正をしたけれど、それで終止符というわけには行かない。何故に「手引き紐」という言葉が飛び出したのか。メモなどを引っ張り出し、次のような到達を得た。
「「セガン教具の写真」は、セガン教具そのものではなく、復元ないしは再生したものと判断しています。ブルネヴィルという児童精神科医によるもので、展示会場(医学史博物館ブルネヴィル・コーナー)の説明では「ブルネヴィル教具」と命名されています。
ブルネヴィルは20世紀(初頭)の白痴教育の理論と実践とを児童医学に確立した人ですが、彼は「セガンのフランス社会における復権」の立役者。つまり、19世紀半ばの「セガン」を、20世紀精神医学で継承発展させた人です。
 写真でご覧になったのは、このように、ブルネヴィルの手が入っているものと考えられます。

 セガン以前から子どもたちの軽作業に導入されていた上履きの手編み作業の素材は大きな端布が使われていました(それがセガンの論文冒頭に記述されているわけです)。
 セガンはそれを、さらに改良し、子どもの作業・労働にふさわしくしたと考えられます。それが「セガン教具写真」に現れているわけで、大きな編み棒と紐状の布(か、なめし革か)ですね。写真解説に「手引き紐」とあったので、そのまま借用しましたが、意味は、製品製作技術を取得するための「手引きとなるような紐」、でしょうね。この訓練を習熟するようになると、商品としての価値ある手編み上履きを製作することが出来るようになる、という見通しがあったのでしょう。一種の職能訓練、だとみなせます。
 セガン以前の精神科医たちは、白痴の子どもを、職人に仕立てるという意識はまるでありません。しかし、セガンは、「職人」という労働者像を持って実践を開拓していった、といえます。まさに「社会化」。
 そのことを示す、発端期としての「端布」であり、過渡期としての「手引き紐」であった、と理解できるようです。」