背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

写楽論(その4)~女形役者二人

2014年04月22日 04時19分51秒 | 写楽論
 「蝦蔵の竹村定之進」の役者絵は、世界各地に20枚以上が現存していて、写楽の絵で残っている作品の中ではいちばん多いそうです。さすがにその頃当代一の名優だった五代目団十郎の似顔絵だけあって、所有者が大切に保管していたのではないでしょうか。それと、摺られた枚数も多かったのではないかと思われます。これはあくまでも私の推量ですが、1000枚以上は摺ったのではないでしょうか。
 写楽の絵に関して、常に問題にされるのは、たくさん刷って、たくさん売れたかどうかということと、豪華版として数枚のセットにして高い値段で売ったのかどうかということです。似顔絵の評判が悪くてあまり売れなかったと言う人もかなりいますし、買った客は関係者筋や特定の金持ちに限られていたのではないかと言う人もいます。
 写楽の大判の大首絵は豪華版で、作るのに金がかかっていると言う人は、背景の黒雲母摺(くろきらずり)のことを指して言っているのですが、材料の黒雲母が当時どれほど高いものなのか、私には見当もつきません。しかし、背景に黒雲母を使うと黒光りして、かなり豪華に見えたことは間違いないようです。現存する絵はそれが剥げてしまって、薄汚くなっていますが、新品はきっと鋼鉄のような輝きがあったと思います。そこに役者の半身像が顔の表情も豊かにどーんと浮き上がって描かれているわけですから、初めて見た人には大変なインパクトがあったことでしょう。
 ところで、「蝦蔵の竹村定之進」が寛政6年(1794年)5月の江戸の河原崎座で上演された「恋女房染分手綱」(こいにょうぼうそめわけたづな)の役柄だということはすでに述べましたが、この芝居に出演した他の役者たちの絵も残っています。9点ありますが、定之進の娘でこの芝居の主役である重の井の絵を取り上げましょう。


四代目岩井半四郎の乳人(めのと)重の井(ボストン美術館所蔵) 
 
 重の井を演じたのは四代目岩井半四郎です。当時、三代目瀬川菊之丞と女形の双璧と言われた人気役者で、この似顔絵を見ると、頬のあたりがふっくらしていて、やさしげで品もあり、美しく描けていると思います。この役者は「お多福半四郎」という仇名もあったといいます。ただ、この絵は男役の役者の個性的な似顔絵に比べると、インパクトもなく、面白みに欠けます。調べてみると、岩井半四郎は当時48歳、年の割りに若く見えます。

 同じ芝居に出演したとされる女形二代目小佐川常世(おさがわつねよ)の大首絵もあります。この絵は役名が確定していません。東京国立博物館は「奴一平の姉おさん」、歌舞伎・浮世絵研究家の吉田暎二(てるじ)は「竹村定之進の妻桜木」としています。近世文学・浮世絵研究家の鈴木重三によると、どちらも疑問視していて、「役名考証は保留して今後の研究にまちたい」と書いています。



 この絵を見ると、この女形は、貧相で色気もありません。左手の様子も不自然に見えます。「日本人名大事典」には、二代目小佐川常世は「若女方の名手として知られ、辛抱役を得意とした」とあります。
 しかし、写楽の描いた女形役者の半身像は、男が女装した様子がありありと窺えて、どうも魅力を感じません。ドラマチックな緊迫感もなく、見ていて、伝わってくるものがありません。ポーズも大同小異で、手の位置と指の様子で変化をつけているだけです。
 写楽が描いた女形役者は全身像の方がいいように思います。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿