goo blog サービス終了のお知らせ 

千里山ブラウズ

SENRIYAMA BROWSE 千里山の商店街や街並みを散策しながら、素敵な人やお店そして風景と出会えれば‥‥

千里山マーケットの朝顔

2006-07-06 00:02:37 | 千里山花物語り
ここ何日か鬱陶しい雨空が続いています。千里山は露地が比較的多く残された街なので、草熱れというのか湿度の高い空気に満ちています。この季節ばかりは亜熱帯のような気怠い日々に千里山人は耐えなければなりません。ついつい仕事の手を休めて気分転換に、カフェへ出かけていくことも頻繁になってきます。
シーズ・ガーデン・カフェに入ると、ひんやりとした乾いた空気が肌に心地よく、清涼感のある間接照明と柔らかい光のオブジェが、ジャジーなBGMと絡まり合っています。僕はあまり物事を考えることもしないで、ただひたすらに持ってきた本に没頭することで、何か心にまとわり付いている多様なものを沈静化しようとします。時に“はちみつシュー”を注文し、出てきたその大きさに少し後悔しながらも、結局食べ尽くしてしまいます。こういう季節は様々な感覚が異常をきたし、わずかにコントロール不能となっているのを感じています。
今日もしばらくの間心身の火照りを沈めた後、次第に混み始めたカフェを出ました。帰り路、千里山マーケットの横柵に、朝顔が雨滴にぬれて艶やかな花を開いています。カフェの時間がそうさせたのか、傘を持つ僕の手腕に紫紺の涼感が染みわたってきました。

枇杷盗人(ぬすびと)

2006-06-30 00:36:18 | 千里山花物語り
以前に“サクランボ盗人”という記事を書き、良識ある人達から少し顰蹙を買ったことも忘れたわけでは無いのですが、阪急タクシーの車庫裏の枇杷が美味しそうに実って、この前から僕を誘惑し続けていたのです。僕は田舎育ちで学校帰りの道すがら、季節の果物をおやつ代わりに良く食べたものでした。それが当たり前に許される時代・地域だったのです。その習いでしょうか、いつも誘惑に負けてしまいます。
ただ、今回は僕だけでは無かったのです。僕の後を他ならぬカラスの一群があっという間に食べ尽くして仕舞ったのです。想うにカラスは実が熟して一番美味しい時を(僕と同じく)知っていて、一斉に解禁になるのではないでしょうか。その光景に子育て中の近くの親ツバメが警戒の帆翔を繰り返します。覗き込むと雛ツバメ達が巣の中で怯えて身体を寄せ合っていました。

MY桜

2006-06-27 00:03:43 | 千里山花物語り
先日、千里山のブログ仲間である夢さんからメールで、お友達がブログを再開されたので見て下さい、というご紹介を頂きました。
霊山寺という奈良にある由緒ある古寺の、珍しい薔薇園のカフェで食した、薔薇の花のアイスクリームが美味しく綺麗であったという記事に、アイスクリームで造られた薔薇の花の写真が添えられていました。
僕は“薔薇を愛す(アイス)”というタイトルのコメントを投稿させて頂いたのですが、そんなことはどうでも良くて、同時に投稿されたgogonetさんのコメントの中に、茨木市では赤ちゃんが産まれたお祝いに、市の花であるミニ薔薇の苗が贈られるということが書かれていました。吹田市の花はサツキなのですが‥‥‥と続きます。
それで思い付きました。以前に『桜あそび』という素敵な本をご紹介しましたが、その中で「MY桜」という小さな桜を持つ嬉しさ・愛しさについて触れていました。千里山で生まれる全ての子供に桜の小鉢を贈り、街を愛する心を持った千里山人(ちさとのやまひと)として、健やかな成長を祈念してはどうかという提案をしたいと思います。
ところで、桜の木は普通生長が早いので接ぎ木で増やしますが、種子から育てた苗を「実生(みしょう)」というそうです。実生はなかなか花が咲きませんが、接ぎ木と違ってどんな花になるのか楽しみだということです。手を掛けた子供ほど、どんな花を咲かせるのか楽しみになる親心、というのでしょうか。

噴水のツタ

2006-06-08 00:12:05 | 千里山花物語り
雨季が近づく頃は植物の繁殖力がとても旺盛になります。特にツタやシダ類などは、大地から湧き出てくるかのごとき様相を呈します。
僕は毎年マンションの花壇からツタの蔓葉を何本か手折ってきて、お洒落な薄ガラスの水入れに挿してデスク周りを飾ります。初めてそうした時に、思いがけず根が出てきて、ツタの生命力に驚きました。浄水器を通した綺麗な水を与えながら、夏の終わりまで楽しめました。そのままずっと成長するものと思っていたのですが、結局枯らしてしまいましたので、以来秋口には元の花壇に戻し、根付かせてやることにしております。デスクの隅に一輪挿しも素敵ですが、ツタの若葉を這わせてみるのも心癒されるものです。
さて千里山の第一噴水では、年に数回ほど花壇の苗の植え替えが行われます。千里山草花の会の人達が中心となって、最近では街の有志も加わり、午前の日差しが強まる前に作業をされます。先日この作業に参加される友人と、噴水のツタを切らないで自然に伸ばしてやった方が絶対に良い、という話をしました。午後に付近を通ったので覗いてみると、願いが叶ってツタは刈り揃えずにしてありました。

千里山草花の会の花壇の植え替えの模様は、こちらの友人のブログに詳しく報告されています。

石垣の花々

2006-05-29 00:08:14 | 千里山花物語り
千里山ナオミ幼稚園の石垣のわずかな隙間には、色々な種類の野草達が逞しく根付き花を咲かせています。長い時間をかけてその地に繁植した野生の植物というものの生命力は、いかなる環境の不運にも負けないものだということを実感させられます。
植物は種が落ちて根付いた場所でしか生きられません。これが“土”を身体の中に納めた動物の生の在りようと大きく変わるところですが、例えば人はどんなに移動したとしても、言葉を越えていくことも、まして文化を超えていくことにも限界はあります。究極は与えられた環境の中で、精一杯の自分の生命を活かしていくことしか無いのだと思います。
今日は午後から千里山のボランティア・グループ「ペイフォワード倶楽部」のチャリティー・ライブに、天神橋筋商店街を久しぶりに訪れました。ペイフォワード倶楽部は以前にも千里山人(ちさとのやまひと)でご紹介しましたが、「ドイツ国際平和村」を支援する目的でフリーマーケットなど様々なチャリティー・イベントを企画しています。
ライブに交えて「平和村」のスライド報告も行われました。紛争の行われている国から送られてきた傷ついた子供達が、心身共に癒されて帰っていく子供らしい明るさと逞しさが印象的でした。過酷な状況を背負いながらも、強く生きていこうとする姿にボランティアの人達も又励まされることが多いと報告されていました。
ライブで子供達の写真とオーバーラップさせ、「世界で一つだけの花」をみんなで一緒に歌いながら、この石垣の隙間に咲いた野の花を想い出していました。

ライブ写真

サクランボ盗人(ぬすびと)

2006-05-15 00:03:16 | 千里山花物語り
一昨日の事ですが、その時も夕飯の買い出しに、峠を越えてジャスコ方面へ坂道を下りていくと、二人の年輩のご婦人が立ち話をされていました。何気なく立ち止まると、目の端の方に赤みの色を感じました。仰ぎ見ると桜の青葉の中に点々と、可愛いサクランボが実っているではありませんか。僕は思わず手を伸ばし一つをちぎり取ると、直ぐに口に放り込みました。
その瞬間にご婦人の一人がこのお家の方だと直感したのですが、僕が悪びれもせずに「懐かしい味です!!」と言って「美味しい!!」と続けると、「もっと赤いのでないと‥‥」と少しも怒っている風でもないのです。「いえ、これでも十分」と言いながら、僕はもう坂道を下り始めていました。
買い物を終えてもう一度通りかかった頃は、もう誰もいませんでしたが、暗くなっていて赤い実も目立ちにくくなっていました。
今日も買い物に出たので、ついでに写真に撮りましたが、サクランボは盗みませんでした。そして一昨日も僕は決して盗んだ分けではなかったのだと気が付きました。

『桜あそび』に遊ぶ

2006-05-12 00:27:52 | 千里山花物語り
桜あそび

WAVE出版

このアイテムの詳細を見る

最近TVの俳句講座で「余花(よか)」という言葉(季語)を識りました。桜の国で、桜の花の季節を、最後のさいごまで大切に感じ尽くそうとする、とても味わい深い言葉だと思います。
ところで今年の桜のエントリーは「プリマドンナ」で最後にしたはずでした。でもこんな素敵で美しい本を見つけてしまいました。僕の中ではもう少し余花に浸る日々が続きそうです。
著者の岡村比都美さんはアリタリア航空(おそらくキャビン・アテンダント)を経て、フラワー・アレンジメントをされている方ですが、この経歴だけでも絶対に美しい人なんだろうと思います。(財)日本さくらの会会員でもあり、こういう会があるのも初めて知りました。
さて、本の内容ですが、先ず桜の花を楽しむことから、桜の花の種類や、桜の実の話、葉と枝のことなどが“エッセイのように”解説されます。そして桜を食べる章では、桜ご飯や桜もち、桜ゼリーや桜酒(咲け)、そして作るの章では、織り糸の桜染めや、同じく桜で染めたフェルトや和紙でクラフトしています。桜の枝で可愛い飾りボタンも作ります。桜をすべて楽しみ尽くそうとしています。
僕自身はおそらくこのように美しく、桜で遊ぶことなどできないと思いますが、そういう女性を側で見ていられたら‥‥とは思います。

野の花が好き2

2006-05-09 00:27:48 | 千里山花物語り


これらの写真は真ん中の一枚をのぞいて、千里山駅東口の前の団地の土手に咲く野の花を撮ったものです。2、3メートル四方の中で直ぐにこれだけの花を見つける事ができます。色目も無くて全く紛れてしまっている草もあるかと思いますので、目を凝らすともっと有るはずです。
僕の日々続けているブログのエントリーも、毎日の中で自分が感じたことや考えたことが、普段なら時と共に忘れ流されていくものが、僅かですが心優しい人達に気付かれて記録(憶)に残っていきます。そのことが野の花に似ているような気がして一句‥‥。

忘れな草 ブログの原に 咲きており

季宙

住まい(庭)は人そのものです!!

2006-05-01 00:52:23 | 千里山花物語り
現在、まちづくり協議会のプロジェクトで「まちづくり作法集」という、千里山での住まい方のマナーやルールのようなものが、小冊子の形にまとまりつつあるのは、以前にも機会を捉えて紹介してきました。
その中でも特に木々や草花といった、緑の環境に関する提案や実際の参考写真がふんだんに掲載される予定です。それは千里山の住環境のイメージとして欠かすことのできない要素と言えます。そして千里山ではこの写真のお宅のように、長い年月を掛けて作り上げられた、素晴らしいグリーン・エクステリアによく出会えます。
新田地区の峠を越えてジャスコへ買い物に行った帰りに、思わず写真を撮っていましたら奥様に声を掛けて頂きました。先日の「千里山グルービーブルーム」の時、礼拝堂でゴスペルを聴いていて、前の席に座られていたクリスチャンのご夫婦とお話をしましたが、偶然にもその時の奥様だったという訳です。奥様のお話ではもう30年このモッコウバラを育てていて、その下に並んだ小さな春の花達は押し花を教えておられる為に植えられているということでした。鬱蒼として自然に任せている風情でもあり、しかし何か確かにその人の感性が宿っているのを感じます。
やはり信仰という深い精神生活を送ってこられた人達のライフスタイルとはこういうものなのか、ということまで想像してしまいました。まさに住まい(庭)は人そのものだと思います!!

春の雑草が好きです!!

2006-04-25 00:25:34 | 千里山花物語り

僕は実は春の花では雑草が一番好きかも知れません。やはりその逞しさに憧れを感じたり、媚びることの一切無い生き方に襟を正したり、ひっそりとそれでも健気に咲き競っているところが気に入っています。
千里山でも、例えば線路脇の菜の花群や千里山団地の石垣にのぞく菫草、駐車場の一隅に咲くタンポポなど、ちょっと気にして見れば直ぐ目に飛び込んできてくれる雑草の花々が、本当は千里山の春の主役かも知れません。

千里山.NETの「街並み案内」×「桜・草木」に千里山の春を彩る草木達のページを作成致しました。もちろん千里山の春は桜ということなのですが、前にも紹介させて頂いた白木蓮を始めとする、たくさんの草花や花木が一斉に咲き誇ります。庭木やベランダ・ガーデニングなど、千里山の住人は自分達の生活に潤いを求めるだけではなく、道行く人にも春の息吹を分け与えようとされています。

千里山.NETのページにも限りがあります。残念ですが多くの素敵なエクステリア・ガーデンを紹介しきれません。順次入れ替えたり、今後もページを追加していければと思っていますので、自薦・他薦の「千里山・四季の彩り」へのご協力をお願い致します!!

【追記】僕が春の雑草が好きな理由はもう一つあります。それはたんぽぽの葉のお浸しや根のキンピラ、菜の花の芥子和え、野蒜(のびる)のもろみ付けなど、食べて春を感じることが出来るからです!!

プリマドンナ

2006-04-24 00:05:31 | 千里山花物語り
これが今年の最後の桜のエントリーとなります。
千里山では色んな興味深い桜の木があるのですが、その中でもこの木には僕は「プリマドンナ」と名付けたいと思います。胸を張って両手を伸ばし、スカートを翻して今にも踊り出しそうではありませんか? シンプルでなかなかお洒落モダンなお家の、駐車スペースのコーナーを守る美しい立ち姿です。
以前の記事での「両門桜(かどざくら)」も、僕は勝手に名付けてしまったのですが、あれ程の桜になるとご近所などでは、きっと名前が付いて呼ばれているに違いありません。どなたかご存じならば教えて頂きたいものです。
名前を付けたりすると、俄然愛着が涌いてくるものです。千里山の桜の名前を調べたり、皆で名付けたりしていくのも、きっと楽しいと思います。

季節のバトン

2006-04-17 00:46:23 | 千里山花物語り
今日は朝から久しぶりに晴れ間が続きました。しかし日曜日で最後の花見となっても良いところですが、余りそういう光景が見られなかったのは、おそらく先週末で花見の休日は終わりになると皆が予想していたことと、今日もやはり花冷えで肌寒かったことが原因でしょう。今年の千里山では、何と三週間ほど花が散ってしまわずに残っています。そうしている間に大阪造幣局の通り抜けの桜が咲き始めたということです。
しかし、さすがによく観察すると花が少し落ちた枝には、もう新緑の備えが顔を出していたのです。これまでは桜は一度花が散ってしまって、それから若葉が芽吹き出すものだとばかり思っていました。今年の寒さのお陰で、そうではなくて既に桜木の方では新緑の用意がされていて、リレーゾーンのように季節のバトンタッチがされる、という事に今更のように気付きました。何だか全ての物事の有り様を発見したような、そんな思いで新緑を一枚切り撮りました。
ようやく千里山にも本格的な春がやってくるのを感じています!!

両門桜

2006-04-15 00:57:27 | 千里山花物語り
オークビレッジからの季節のメールマガジンには「こちら清見ではまださくらは咲いていません。あちこちの桜の便りを不思議な感じで聞きながら‥‥」というような前書きがありました。千里山の桜はおそらく今日が満開というところかと思います。今週末は桜散る様子を動画におさめて、千里山.NETの桜の紹介ページづくりに使いたいと思っています。
何日か前にまちづくり協議会の人達数人と、千里山の個人庭に咲く桜巡りに参加して、大正時代に街がつくられた頃からの大樹や紅白の花を付けた桜、まだ少し咲き始めの枝垂れなど、色々と見て回る機会がありました。案内役は酒屋「稲富」さんです。稲富さんは代々ご用聞きとして、千里山の家の庭を知り尽くしておられ、毎年の桜の姿をカメラに留めてこられた方でもあります。顧客との信頼の上でなければ撮影できない桜の名ショットも見せて頂きました。そしてこの時に僕が撮った写真の一枚がこの両門桜です。千里山ではこの桜で有名なお宅だとお聞きしました。ちなみに奥様が出てこられて、頻りに屋上の洗濯物を気にされていましたので、レタッチで修正をさせて頂いております!!
半日くらい歩きながらつくづく思いました。確かに桜の名所は数々在ります。近くは万博公園を一望する桜、中之島公園の両川縁の桜、夙川沿いの桜の散歩道、吉野は中千本の桜等々、みな圧倒的な美しさを誇っています。しかし、千里山の桜は街中の桜であって、家々の庭にそれぞれの楽しみで植えられた桜が、年月を経て街全体に愛されるようになった姿の優しさなのだ、ということに気付きます。そういう意味で生活の中で愛される千里山の桜を、もっと山じゅうに(街じゅうではない)増やしていければと改めて思いました。

花の紋

2006-04-13 00:13:23 | 千里山花物語り
昨日の花玉模様の記事をご覧頂いた方から、第一噴水にも花玉模様の水紋が広がって綺麗ですよ、とお電話で知らせて下さいましたので、今日も又お昼時に駅前へと下っていきまして、この写真を撮りました。
実際に見てみると未だ想像したほどの花びらの量ではなくて、少し寂しい感じでしたが、水面が見えないほどに花びらがビッシリ埋め尽くされてしまうと、返って桜の華麗さが表に出過ぎて、重くなるかも知れません。それでも川の流れのように動きがあれば良いと思いますが、噴水の水面にはこれくらいがちょうど良くて、水紋ならぬ花紋という言葉が“浮かび”ました。
今日も一日曇り空で、時折りシトシト降る雨の中で、噴水の水の音と細かく揺れる花紋を眺めていると、一瞬のことですが周りの雑踏を忘れることができました。


花玉模様

2006-04-12 00:08:31 | 千里山花物語り
「千里山花物語り」カテゴリーの初めの記事は、写真家の杉本恭子さんの幻想的な作品「影とサクラ花びら散る」を紹介したものでした。桜の花は数日で散ってしまう儚いものですが、落花してしまってからも、地面の木の影に再び満開に蘇った花びらを、感動的に写し取っていました。
今日は一日雨が降り続いて、食事などで外出するのも億劫だったのですが、仕方なく駅の方へ下っていくと、道ばたで見る桜の花びらは未だしっかりと頑張って咲き誇っていました。でも早咲きの花びらはさすがにアスファルトに散り敷いています。例の写真を想い出しました。
雨の日はもちろん地面に木の影は見えません。替わりに数台のバイクに花玉模様を描いていました。モノトーンのいかついバイクに薄ピンクの花びらは案外似合うな、と思い何枚か写真を撮りました。