Senboうそ本当

広東省恵州市→宮崎県に転居。
話題は波乗り、流木、温泉、里山、農耕、
撮影、中国語、タクシー乗務、アルトサックス。

就活革命  辻 太一朗 2010年 NHK出版

2019年03月14日 | 毒書感想(宮崎)

著者の略歴【辻 太一朗】 1959年生まれ。京都大学工学部卒業。(株)リクルートで全国採用責任者として活躍後、99年(株)アイジャストを創業。採用コンサルタントとして延べ数百社の企業を担当。

「就職活動」や「学校教育」のダメなところが様々な角度から指摘されていて、その一つひとつが分かりやすく切れ味も鋭いです。本文を切り取って紹介する・・・といういつもの紹介方法では本書の魅力が半分も伝わらない。なので今回は本書の《 目次 》を書き出しました。
     ↓

第一章 就活が学生をダメにする(1)

自分を「分析」する学生たち
自己分析のいかにも「意味ありげ」な設問 / 自己分析が求める「答え」/ 過去に浸り、内面に沈んでいく学生たち / 自己分析は過剰な自己肯定を招く / ストレス耐性を欠いて、弱くなる学生たち / 「やりたいこと」以外は「やりたくない」/ 過度な自己規定は学生の可能性を奪う

就活は “自分探しの旅” か
自己分析は「やっている」のか「やらされている」のか / 就活の「ふたつの柱」 / 「自分作り」につながらない「自分探し」に意味があるか / 自己分析をしなくても困らなかった / やるならやり方を考える /「自分探し」より「自分作り」


第二章 就活が学生をダメにする(2)

細部にとらわれる大学の就職サポート
「就職課」から「就職サポートセンター」へ  / 手探りの就職サポート / 先輩学生の 「経験談」はあてにならない / 不採用のほんとうの理由を企業は言わない 

学生を萎縮させる面接訓練
面接の答えに正解はない / 問違った面接訓練が学生の可能性を奪う 

それでも離職率は下がらない
退職理由が示す就活の問題 

第三章 就活が大学をダメにする

学生に授業を受けてもらえない大学
授業より就活が大事 / 学生には勉強をする理由がない / 海外の学生は勉強している / 日本はアジアからも取り残される / やる気のない教授に学生が群がる

大学は企業からも軽視されている
企業が大学での成績を気にしないわけ / 企業にとって必要なのは、大学ではなく 「大学入試 」/ 世界標準から外れた日本の就活

外国の大学はなぜ評価されるのか
知識をベースにした「自分で考えるカ」/ 海外における明確な成績評価


第四章 就活が企業をダメにする

長期の就活が企業にもたらす不利益
企業は莫大なコストを採用にかけている / 適正な規模の採用はできているのか / 「こんな子じゃなかった」はずなのに・・・

企業は「優秀な人材」を見極められているのか
学生たちの中身の薄い話 / 面接という手法の限界 / 面接で見える能力、見えない能力 / 面接指導で消える個性 / 面接風景の滑稽さ / 弱い学生は企業の競争力を低下させる


第五章 自分作りをはじめよう

企業が求める人材とは
企業が欲しいのは「能力のある学生」/ したいことがはっきりしている学生より、できることが多い学生 / ディスカッションで企業が見ているもの / ひとつの指針「社会人基礎力」

大学で社会人基礎力を身につける
仕事と学問は似ている / 必要なのは「知的トレーニング」/ 大学における知的トレーニング / 文章を書くことで培われる論理的思考  / ディスカッションによる能力養成 / 発言することを恥ずかしがらない / 論理的思考力の「深さ」と「幅」/ 論理的思考力はここでわかる /「やりたいこと」から「やらなければならないこと」へ / 企業は「理系」を欲しはじめた


第六章 就活を変えよう

就活を変えれば幸せになれる
企業、学生、大学が陥る負のスパイラル  /  原因は「ボタンの掛け違い」

就活を変えるには
経団連の倫理憲章では変わらない / 企業にメリットがあれば変わる / 面接で判断 できないことを、大学に判断してもらう

大学が変われば就活が変わる
鍵を握っているのは大学である  /  目指すべき「正のスパイラル」 /「知識 + 応用力」「能力+努カ」の評価を  /  シラバス、成績評価基準の公開  / 新しい取り組みははじまっている /  地方の新設校でも企業を動かせる  / やはり英語は重要な要素のひとつ 

新しい就活の形が見えてきた
企業が変化のきっかけを作る  / 二期作的採用も選択肢のひとつ / 転がりはじめた石を止めないために


終章  私たちは何をすればいいのか

力を高める機会はどこにでもある
能力を高められるのは大学だけではない / アルバイトでも「知的トレーニング」はできる / 常に「課題を見つける」ことを意識しよう

就活は私たち一人ひとりの問題だ
学生や大学だけでなく、私たちも変わろう / 一人ひとりが「当事者」になる

 

以下は本文からの抜粋です。
   ↓

そんなとき出版社側は 、
「もし経理に配属されたらどうしますか」
 と訊ねることがあるそうです。すると 、たいていの学生は言葉につまってしまうということです。
 出版社には編集以外の仕事もあることが、彼らの頭の中からは消えている。というより、 編集以外の仕事が見えていないのです。
 念願かなって出版社に入ったものの、営業に配属される。当たり前にあることです。仕事は取次会社との連絡や全国の書店回り。自分がしたかった編集とはまったく違う。自分のやっている営業の仕事に意味を見出せない。つまらない、くだらないと思ってしまう。こんなことは自分のやることじゃない、と会社を辞めてしまう。営業の仕事を許容できないのです。そして最悪の場合は、やりたい仕事に就けていない自分を許容できなくなってしまう。
 営業の仕事を許容して、その重要さを知れば、次第に仕事も面白くなってくるかもしれない。そしていずれは編集に異動することもあるかもしれないのにと思うと、残念でたまりません 。
 私自身の話をしましょう。
 私も最初に就職した会社で一時、経理部門にいたことがあります。そして経理という仕事は自分には向いていないと思っていました。
 私はそれまで、数字を通じて目の前にある現象を読み解くことを知りませんでした。そんなことができるということすら、知らなかったのです。ところが数字は、これまでとはまったく違う角度から、物事を解釈することを教えてくれました。それまでの私には見えなかった側面が、数字を読むことで見えてきたのです。
 経理時代に身につけた「数字で現象を読む力」は、人事の仕事をする上でもとても役に立ちましたし、私の武器になりました。経理に配属されたことは、その後のコンサルタントとしての仕事に大きなプラスをもたらしたと思っています。
 「この仕事をしたい」と考えることは素晴らしいことです 。しかし 、それが「この仕事でなければしたくない」に変わってしまうのは、学生自身の可能性を狭めてしまうことになる。不幸なことといわざるを得ません。

(第一章 就活が学生をダメにする より)

 

 ですから、アメリカでは学生によく論文を書かせます。また、通常の講義でも、教師側からの一方通行でなく、学生に意見を表明することを求めます。論文を書いたり意見を述べたりするためには、書籍やネットで情報を入手し、それを整理して自分の考えを組み立て、さらに他者に伝わるように工夫しなければなりません。
 情報を集めるにはどういった方法を採ればいいか、さらに詳しい情報を得るにはどうするか。それらの情報を結びつけて、どんな推論を導き出すか。それについて自分の見解はどうか。それを他者に理解してもらうために、どんな順番で、どんな言葉を使って説明すればいいか。学生はそうしたことを常に考えるわけです。
 ディスカッションも多く採り入れられます。相手の言っていること、伝えたいことを瞬時に、しかも正確に理解する。それに対する自分の考えをすばやくまとめる。そしてその意見を表明する。こうしたプロセスを繰り返し踏むことで、学生たちには「自分で考える力」が身につくのです。
 また、それらの論文や意見は、その都度、評価の対象になります 。
 通常の授業の中に 、いくつもの評価ポイントが存在するわけです。それは今日の授業かもしれないし、次の授業かもしれない。ですから、学生は一時も気を抜くことができません。継続的に勉強していなければならないのです。

(途中略)

 対して 、日本で評価の対象になるのは、ほとんどの場合、期末の試験のみです。ここでー発勝負をすればいい。しかもその試験には、考える力は反映されない。単なる知識の量であることが多いのです。
 一般的な日本の講義のしかたでは「考える力」が身につきません。知的トレーニングが充分にできないのです。ですから「大学での勉強は仕事とは関係ない」という誤解がいつまでも解けない。それどころか、その誤解が通用してしまっているのです。

(第三章 就活が大学をダメにする より)

 

 また 、面接に際して学生は、
「私は就職したらこんな仕事がしたい。こんな仕事が好きなのです」
 とアピールしてきます。
 働く意欲を強調しているのでしょうが、したいことが度を越してはっきりしすぎている学生は、企業としてはあまり望んでいません。
 出版社で編集の仕事をしたいと強く望んでいる学生は、入社して経理に配属されたら辞めてしまう。すでに書いたように、自己分析によって度を越した自己規定をしてしまった学生は、自分の好きなこと以外を認められなくなっている。視野が狭くなっているのです。こうした人は、たとえ希望どおりの部署に配属されたとしても、仕事がうまくいくとは限りません 。
 それより企業が欲しいのは「できることの多い学生」です。そして、働くことを面白いと感じ、いろいろなことに興味を持てる学生です。そういう学生は、たとえ入社時の能力が多少見劣りしたとしても、どんどん成長していく可能性がある。伸びしろがあるのです。近い将来、仕事のできる人になる可能性が高いのです。

 (途中略)

ただただ自分をアピールするだけの人間は、むしろ企業では必要とされていません 。
 ディスカッションで学生が陥りがちなのは、ほかの参加者の意見を否定できない、ということです。「チームワーク」を意識しすぎるのか、あるいはチームワークのほんとうの意味を理解していないのか、「それは違うと思う」と言えないのです。
 しかし、会議においては、ほかの参加者の意見を否定することも必要なのです。誰も否定しなければ、「あれもやろう」「それもやろう」になってしまう。これでは予算や人員には限度があるという条件を満たすことができず、結局何も決まらないうちに終わる。それでは会議になりません 。
 「それは違うと思う」というのも、立派な意見です。それを言えないと、
 「こんな明らかに違うことを、この学生たちはわかっていないのか」
 と人事担当者は思います。能力がない、と判断されてしまうのです。

(第五章 自分作りをはじめよう より)

 


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