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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

メガトロン(藤商事、一発台)

2014-01-11 17:32:11 | 一発台

1989年(平成元年)登場の一発台「メガトロン」(藤商事)

 

当時、アレンジボールやアレパチの製造で知られた藤商事が送り出した一発台。

同社の一発台といえば、「シャトル21」も既に大ヒットしていたが、アチラはデジタルを使ったアレパチタイプ。一方のメガトロンは、2段構造の役物を利用した振り分け式の一発台である。

V入賞があまりに一瞬過ぎて、思わず見逃すことも…。大当り中のメロディは「メリーさんの羊」。通常時、アタッカー作動中の電子音も独特。

 

※メガトロンの登場時期…当時の資料に目を通すと、登場時期を「平成2年(1990年)」とするものと、「平成元年(1989年)末」とするものがある。認可は平成元年2月頃で、同年後半のホール導入も十分ありうる。→当初は一応1990年としたが、諸々の情報を勘案して、「平成元年」登場とする。情報提供して下さった方々、有難うございました。


 

★現役時の主な対戦店

・高田馬場「ダイナム」、新宿・歌舞伎町「パチンコ747」、新宿・西口「アラジン」など


(当時の馬場ダイナム。本機との対戦機会が一番多かったのがココ。同時期には、平和のデジタル式一発台「サイクロン」も置いていた)

(C)Google
(現在、跡地はロイヤルホストに変わった)

 


(当時の歌舞伎町「パチンコ747」(旧・パチンコ金嶋)。階段を下った地下ホール。スロはバニーガール、ハネモノではドッカン島13やドッキリマンSPなどがあった。

 

(C)Google
(現在は、同名のカラオケボックスに)

 


(当時の新宿「アラジン」。当ブログでもよく登場するホール。設置台の数、種類共に多かった。)

(C)
(アラジンは、同じ場所で現在も営業)

 


 

★ゲーム性について

盤面中央にある上下2段構造の役物が、本機の大きな特徴である。

上段はプラスチックのピンが並ぶ振り分け役物。下段はアタッカー式の電動役物(通称・ベロ)。

この二つの役物が、常に打ち手をジリジリ・イライラさせてくれた。メガトロンを10回打つと、ストレスで寿命が1か月短くなったとか、ならないとか…w。

 

・クイーン(またはキング)上の命釘から、役物に玉を飛び込ませる。ここに入賞した玉は、ピンの間を伝って落下。

・黄色で囲まれた「GO」チャッカー入賞で、下部の電動アタッカーが0.2秒×5回開放。

・5回の開放動作中、アタッカーがタイミング良く玉を拾えば大当り。左右の袖チューリップが開放。

・大当り中は右打ち。右袖チューリップの右先端に玉が当るとコースが変わり、通常入賞しづらい右下のチャッカーに次々と入賞して、出玉を稼いでいく。

 

 

…とまぁ、簡単に書いたが、やはり大当りへの道のりは遠かった。

通常時のイライラ度は、当時の一発台の中でもトップクラス。私なんぞは、あまりの当らなさ加減で、トラウマになった程だ。その理由は、本機の独特なゲーム性にある。

・上段の「GO」入賞の為には、役物に多くの玉を放り込まねばならない。

・下段アタッカーの周囲は、釘で厳重にガードされている。よって、左右から玉が飛び込む事はなく、上部役物を経由した玉のみ、アタッカー入賞のチャンスがある。

・つまり、短時間に複数の玉が上段役物に飛び込まないと、大当りのチャンスはない。

・具体的には、GO入賞後、アタッカーが0.2秒×5回の開放動作中(開始から終了までは約4秒)に、上段の役物へ追加玉を入れなればならない。0.2秒開放と0.5秒閉鎖を繰り返す為、アタッカーが玉を拾うタイミングは極めてシビアだ。

・本機の場合、上段役物にポンポン玉が入る調整も決して少なくなかった。だが、その飛び込み具合に、かなりの「ムラ」があるケースも多かった。玉が役物に次々飛び込むが、中央の「GO」チャッカーに入らない。逆に、やっと「GO」に入ったかと思えば、そういう時に限って役物に追加玉が飛び込まない…といった具合である。

・さらに、上段役物と下段アタッカーには、V入賞を困難にする様々な「仕掛け」もあった。ここでは、これら役物の特徴について、考察を加えたい。

 

 (上段・振り分け役物の特徴)

・昭和61年に奥村から登場した電役機「トランプ8」と同タイプの役物。

・盤面左(右はシメ調整が大半)から役物に入った玉は、ピンに絡みつつ役物内を落下。

・ピンは、上から「2本-3本-4本」の計9本。釘配列の如く、3段横並びで配置。

・ピンは、外側6本がピンク&赤、内側3本(「GO」周辺)が黄色&黒と、色分けされている。

・単に色が違うのみならず、ピンクが柔らかめ(中が空洞)、黄色が硬め(中に詰まっている)で、玉の反発度合いも違う。柔らかいピンクは玉が絡みやすく、硬い黄色は玉を弾きやすい。ピンの形状も、黄色とピンクでは微妙に違う。

・ピンの並びをよく見ると、2、3段目のピン配列は水平でなく、黄色の位置はピンクよりもやや下。

・最終的な振り分けは、3段目で行われる。黄色いピンの間(中央)を通った玉は、電動アタッカー用の「GO」チャッカーに入賞。一方、ピンクと黄色のピンの間(両サイド)を通過した玉は、「GO」下の命釘から役物外に落下後、下部アタッカーにアプローチする。いったん上段の役物に入った玉は、これら2コースのどちらかを必ず通る。

・但し、3段目のピン配列には「カラクリ」がある。二本の黄色いピンの間隔は両サイドよりも狭く、その分GOチャッカーに入りにくい。さらに、硬い黄色ピンは玉を外に弾き易く、玉は中央の「GO」よりもサイドに流れ易い。

・上段役物に飛び込んだ玉が「GO」に入る確率は、メーカー発表では約1/10。しかし、実際は役物の個体差、台のネカセ、命釘周辺の釘調整などにより、1/5~1/20と大きな幅がある。

・役物の個体差が大きい為、「プラスチックピンは、釘のように向きを変えられる」との噂も流れた。だが、これは完全なガセで、ピンは盤面に固定されて、動かす事はできない。

 

(下段・電動アタッカーの特徴)

・上段役物「GO」チャッカー入賞で、下部の電動アタッカー(銀色)が0.2秒×5回開放。

・一方、「GO」の両サイドを通った玉は、「GO」真下の命釘を通過して、アタッカーにアプローチする。このルート以外に、下部アタッカーに入る事はない。

・但し、アタッカーとはいっても、デジパチのように大きくなく、玉1個拾うのがやっとの小型。

・しかも、「アタッカー」とは名ばかりで、実際は銀色の平らな「板」(ベロ)が手前に飛び出すに過ぎない。板の先端中央に、玉が引っ掛かる三角の突起があり、この突起が玉を手前に引き寄せる。

・よって、命釘から落下した玉が左右にブレると、たとえアタッカーに乗っても中央の突起に引っかからず、入賞は困難となる。但し、この時に台を強くドツけば、板の中央に乗らなかった玉もアタッカーに入りやすい(但し、出禁覚悟で)。

・「GO」下の命釘の間隔が広いと、玉が左右にブレて安定せず、アタッカーに拾われないケースも増える。命釘の幅は、玉が通りさえすれば狭い程良い。但し、左右に偏りのない調整も必要。

・また、命釘が「上げ調整」か「下げ調整」かによっても、アタッカー入賞率に影響する。上げ調整の場合、玉は命釘の根元側を通って落ちる。命釘の下には、黒い「ネジ止め」の出っ張りがあり、釘の根元から落ちた玉は、この出っ張りに当ってガラス側に跳ね易い。ガラス側に跳ねれば、それだけ盤面から玉が遠ざかり、アタッカーが開き切った時以外は、玉を拾いにくくなる。よって、基本的には下げ調整の方が良いとされた。

・但し、ネカセとの絡みでは、違った側面も持ち合わせた。一般的には、ネカセがキツい方が玉が盤面に近づく為、アタッカーが玉を拾い易くなる。だが、ネカセがキツいという事は、命釘の「上げ調整」と同じ効果もある為、アタッカー上の出っ張りに当り易い、というマイナスの効果もあった。

・アタッカー下に並んだジャンプ釘(バラ釘)の向きも、玉の挙動に影響した。アタッカーの真下には3本のジャンプ釘があるが、これが下向きではそのまま下に落ちてしまう。一方、ジャンプ釘が上げ調整ならば、いったんアタッカーが拾い損ねた玉が、ジャンプ釘に当って真上に跳ね上がり、再びアタッカーに拾われるチャンスが増える。但し、多くのホールはこのジャンプ釘を下げ調整した。

 

 

このように、本機は目に見えにくい「トラップ」も多く、大当りの道を一層険しくしていた。いくら打ってもVをハズしまくる展開も、至極当然といえよう。

ただ、イライラ感が募っても打ち続けた…という事は、「当りそうで当らない」展開に、それだけ惹きつけられたともいえる。「遊技」という側面でみれば、非常に優れていた訳だ。

太公望の如く、完全一発タイプの台で、命釘を抜ける瞬間をジッと待つのも良いが、本機のように常に動きを持った一発台も、ルアーやサビキ釣りのようで面白かった。

V獲得のキツい本機に執着したのも、そんな「動的」な魅力があったからだと思う。

いずれにせよ、平成2~3年に一発台を打っていた頃が、私のパチ歴(既に終了)でもっとも充実した時期だった事は間違いない。今は、すっかり回顧三昧の日々だが…。



6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメント (白夜男)
2014-01-11 20:00:45
国宝級の最高傑作U+203CU+FE0E

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懐かしいです (amikurumika)
2014-01-11 21:00:46
私が大学に入ったのが平成元年。大学前にあるパチンコ屋にこの台がありまして、何の知識もなく初めて打ってあれよと言う間に当たりました。いわゆるビギナーズラックってやつ。その後何度か打ったのですが、やっぱり厳しく当たったのはその後1回だけでした。大学入学したてでまだ覚えてます。
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懐かしすぎます!!! (公営)
2014-01-12 22:25:13
当時色々な台がありましたが・・
大当たり迄どんな経路を玉が通るのか。。
この台も斬新でした。
東村山のエンゼル?で大敗の記憶。
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Unknown (ひげ)
2014-01-15 15:20:43
メガトロンは京都で浪人中、
1990年の正月に里帰りもせず、
当時、千本中立売(西陣)のパチンコ店タイガーで
打っていた記憶がありますので、
少なくとも京都での登場時期は平成元年(1989年)末です。
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Unknown (えむ)
2014-11-24 21:21:05
この台は上野でよく打ちました・・・収支も確実にプラスと言えるので好きでした
コメントを書いた理由は新台でアレトロンって台が出ると今CSで見たからですが
デジタルが皆無な台ということだけでちょっとワクワクしています
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Unknown (釘師マン)
2015-04-20 22:30:17
最近までは、もう一度打ちたい一発台ベストスリーに入ってました。過去形になっているのは、年末に登場したアレトロンを打ち、美しい思い出が完全に崩壊したからに他なりません。メガトロン復活の喜びどころか、メガトロンのフラストレーションのみを強調するようなこの機種、我々の仲間内では、ハズレの『スカ』とウンコの『スカトロ』を掛けて、スカトロンなどと呼んでおります。
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