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まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ドリームX(奥村・デジパチ)

2011-09-23 07:02:01 | 現金機デジパチ

コチラの記事もご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/52d0193899e77081597a412e61abb502
(奥村・ドリームXに関する50の質問)

 

 

奥村遊機(モナコ)の歴史的名機、ドリームX。



公式HPによると、登場は1988年(昭和63年)12月とのこと。私がパチンコを始める1年チョイ前に登場した由緒ある台だ。大当り確率1/225のおまけチャッカー付きドットデジパチではあったが、「単なるノーマルデジパチ」と呼んでしまってはこの名機に対して失礼であろう。


まず、電源ON直後にドットデジタルに表示される「モ・ナ・コ」の朝イチ出目。ドリームのシマでこれを発見したら「とりあえず数回転打ってみる」のが、常連の行動パターンであった。いわゆるモーニング狙いという奴だが、これはドリームXのプログラム上、朝イチは保留ランプ4個までに限り(厳密には、保留玉を全点灯させてから保留を全消化させるまで)大当り確率が大幅にアップする期待が高かったため、非常に有効な立ち回りであった。


この場合、大当りは「000」の出目で当たることになっていたが、この「0リーチ」のアツさを後に取り入れたのが後継機「マーブルX」である。大当り後の保留玉を除き、0でリーチがかかると100%大当りするという特徴があった。


さて、このドリームXであるが、実はノーマル機らしからぬ「連チャン性」も備わっていた。といっても意図的に大当りを連続させるプログラムではなく、出目処理において一定の条件下では「50分の1の確率で前回出目をそのまま次回出目に持ち越す」という処理が働いたため、大当たり出目も同様に50分の1でコピーされたのである。したがって、ドリームXでの連チャンはほぼ保留玉一個目・かつ前回大当りと同じ出目で発生した(「ほぼ」としたのは当然自力での保留玉連チャンも発生したからである)。


この「出目」という観点からは、リーチや大当りに絡む「中デジタル&右デジタルの出目移行法則」なども、非常に興味深いものがあった。まず、中デジタルはスロー回転から5コマ先で必ず停止したので、左デジタルの出目から5コマ手前でスロー回転になれば、リーチがかかることが瞬間的に判別できた。


次に右デジタルであるが、左・中とテンパイしてリーチになると、右デジタルはその瞬間の出目から10コマ進んで停止するという特徴があった。ただし、リーチ直後は右デジタルは高速回転をしており、その瞬間の出目を判別することは不可能だったが、5コマ進んだところで急にスロー回転になるため、この「スローになった瞬間の出目」を見極めることにより(具体的には中リールの出目に対してマイナス5コマでスローを開始すると大当りになる)大当りか否かが判別できた。


別に、出目が判別できたからといって収支的になんのプラス要素にもならなかったのだが、こういう「打っている本人だけが先に大当りを察知できる」という優越感は、自己満足の世界とはいえ大きな魅力となった。


その他の特徴として印象深いのは、大当り中にアタッカーやおまけチャッカーに玉が流れ込んでザンザカ出玉が出てくるのだが、この払い出しスピードが他の機種と比べて非常に遅いことであった。釘の状態が良ければ一回の大当りで2700~2800発くらいは期待できたのだが、この払い出しの遅さゆえに大当り終了後も「チーン、チーン」という払い出し音とともに玉が出続けるという「時間差攻撃」が発生したのだ。一回交換の際はこの払い出しが終わるまで席を立つこともできず、ひたすらゆっくり払い出される玉をドル箱に落とし続けていた。まぁ、大当り後の余韻に浸ることも出来たわけで、べつにこれが悪しき特徴であったとは思っていないが・・・。


このドリームXを打った思い出深い店を振り返ると、なんといっても1990年当時の新宿・歌舞伎町にあった「日拓2号店」が思い出される。西武新宿駅前の当時「日拓村」と呼ばれていたエリアにあった店で(今で言えば喜多方ラーメン「坂内」の向い)、この2FにドリームXが確か3シマ設置されていた。当時1回交換だったような記憶があるが、この不思議な魅力がタップリ詰まったモナコの名機にさんざんバイト料を持っていかれた。


それでも、たまには先述の「保留玉ダブル」やノーマル機らしからぬ数珠連チャンなどでたくさんのレシートをカバンに詰め込むこともあった。このレシート、思い返すと長細い紙テープにたくさんのパンチ穴が空いている非常に古臭いタイプのもので、いかにも昭和臭かった(時は既に平成ではあったが)。


そして、このレシートを特殊景品に替えると、店の向いの10円ポーカー店の地下にあった怪しい換金所で現金に交換したのだが、まぁなんとも陰鬱で背徳的な匂いがプンプンする場所だった。現在のように、明るく綺麗な換金ブースで綺麗(かどうかは分からない)なオネエチャンが丁寧に応対する時代とは、大違いであった・・・。

その他にも、大塚駅前にあったパチ屋「大塚センター」(閉店)の地下で打ち込んだ時期があったり、高田馬場の駅近く「コスモ」(現存)の1Fで勝負を掛けたり…と、本機には幾つもの思い出がある。まぁ、それ以外にも多くのパチ屋で導入されていたメジャー台であるから、敢えて数店舗に絞る必要もないのだが…。


おっと、とりとめもなく色々なことを長々と書いてしまったが、それ程当時思い入れの強い一台であるということで、まだまだ語りたい事は山ほどある。まぁそれは、次の機会にでも・・・・。