この曲は1998年、現役高校生でTV番組「ASAYAN」のオーディションに合格し、一躍アイドルとして早々と人気を獲得し、シングル「Love the island」で歌手デビュー、チャートのTOP10に入るヒットとなり、次シングル「Alone in the room」も同様な結果となり、その勢いでリリースしたのがこの曲であり、オリコンチャート2位を獲得、シングル発売公開イベントでは万人駆けつけたり、初の写真集での握手会では徹夜組を含み長者の列を作るほど20世紀末期を駆け巡る人気アーティストのひとりとなる。21世紀になり、所属事務所とのトラブルで引退状態になるも、家族、親戚、ファンの支えもあり、しばらくインディーズで活躍し、2005年、エイベックス所属となり、現在に至る。
1979年のシングル「Life in Tokyo(ライフ・イン・トウキョウ)」を機にエレクトリック路線へ移行し、3枚目のアルバム「Quiet Life(クワイエット・ライフ)」ではその傾向を一層強めた。この頃から本国でも評価を高め始める。その後、HansaからVirgin Recordsへ移籍し、「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」と「Tin Drum(錻力の太鼓)」をリリース。最後のオリジナルアルバムである「Tin Drum」からのシングル「Ghosts(ゴウスツ)」はバンド最高のヒットを記録した。なお、オリジナルメンバーのロブ・ディーンが5枚目の制作前に脱退したため、最後のツアーでは当時一風堂の土屋昌巳がギターを担当した。
その後解散し、1991年には解散時の4人でRain Tree Crow(レイン・トゥリー・クロウ)名義でアルバム「Rain Tree Crow」をリリースしたが、Japanというグループ名称は用いられず、再結成は短命に終わった。
Come on, come on, come on, come on
Now touch me, baby
Can't you see that I am not afraid?
What was that promise that you made?
Why won't you tell me what she said?
What was that promise that you made?
1979年にリリースし、社会現象になるほど大ヒットしたアルバム「Sorid States Survivor」の二曲目に収録されたもので、作曲は細野晴臣、途中ボーカルはサンディが担当しており、「テクノポリス」、「ライディーン」がメインで取り上げられがちで目立たず地味な存在でありつつ、沖縄音楽とインド音楽を取り入れた巧みな技術は凄いものである。
クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー『イフ・ノット・フォー・ユー』(If Not For You)がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。1973年頃よりMOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル『愛の告白』(I Honestly Love You)が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。1975年にアメリカに移住した後も『そよ風の誘惑』(Have You Never Been Mellow)などのヒットを連発する。
女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演。興行成績は大成功を収め、サントラからも『愛のデュエット』、アカデミー賞歌曲賞候補となった『愛すれど悲し』、『想い出のサマー・ナイツ』が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。1980年の映画『ザナドゥ』に主演。興行成績は不発に終わるも、サントラ曲『マジック』、ELOとの『ザナドゥ』、クリフ・リチャードとのデュエット『恋の予感』(日本ではシングルにならず『Suspended in Time(春風の誘惑)』がシングル・カット)がヒット。トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス』のサントラ曲『運命のいたずら』、『デスパレート・タイムス』といったヒットを挟み、アンディ・ギブと『愛は微笑みの中に』など、AOR系のデュエット曲を発表。