<甲府工業と山梨大学の学生さんと近所の方>
先日、甲府工業高校建築科の学生さんから、「このあたりの昔の町並みのことを教えてください」との電話がありました。
「昔って、江戸時代、戦国時代、どの時代のこと?」と聞き返すと、「50年前の町並みやどんな建物が建っていたか知りたい」とのこと。
50年前か、微妙な古さだな。
でも子供にすれば、50年前は大昔ということなのかも。
などと思いつつ、理由を聞いてみると、学校の授業で、昔の町並み(50年前)と今の町並みの模型を作り、さらに未来の町並みを創造していくということをするのだそうです。
それも、山梨大学の学生さんと4人ひと組でつくりあげるのだとか。
最近はこんな授業もあるんですね。
このあたりは古くからの城下町ですから、道幅や住宅の区画などは、ほとんど変わっていませんが、建物となると戦前の古いものはほとんど残っていません。
昭和20年7月の空襲でほとんど焼失してしまっていますし、かろうじて焼け残った素敵な洋館なども、数年前まではあったのですが、皆立て直して新しくなってしまっています。
まあ、50年前なら、昭和30年代のことですから、戦後建てられた、瓦ぶきの一軒家などはちらほら残っているのですけれど。
とりあえず、電話だけでは話にならないので、実際にこちらに来てくれれば説明しましょうと言うことで、学生さんが来るのを待ちます。
そして、50年前のことをよく知っている近所の方にも来てもらって、学生さんたちにこのあたりのことを語っていただきました。
その翌日、山手通り沿い、国立病院入口朝日5丁目信号で止まっていると、昨日の学生さんたちが、山の手通りから見える二ノ堀をカメラで撮影しています。
頑張っているみたいですね。どんな、模型ができるのか見てみたいものです。
それにしても、どうしてうちに電話がかかってきたのか?
たぶん、お寺は古いことを知っているだろうからそこで聞くようにと、先生から指示があったのか、来た時に七ヶ寺で作った御朱印帳(このあたりが城下町だったころの堀跡なども書きこまれた地図付き)をもっていましたので、その発行元である当寺を訪ねたのかのどちらかの理由でしょう。
お寺にいると、本当にいろんな依頼が舞い込んできます。
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