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清運寺だより

ようこそいらっしゃいました。甲府市にある日蓮宗寺院の住職のブログです。日々の出来事、感想、行事などをご紹介します。

千葉さな子さんの名前入りのお守りができました。

2009-06-20 11:32:25 | 

清運寺では、いままで清正公祭りの時にお授けする木札と車載用キーホルダー型お守りがありましたが、あらたに、携帯ストラップ型のお守りを御用意いたしました。

新しいお守りは、片面に坂本龍馬室千葉さな子という名と坂本家の家紋が入っています。

もう一方の片面には清運寺守護の文字が入っています。

清正公祭りの木札と車載用お守りは祭りの時だけの限定とさせていただきますが、新しい携帯ストラップ型お守りは通年お授けしております。

御希望の方は、清運寺に直接お越しいただくか、お申し込みいただいて郵送することもできます。

郵送の場合には送料のご負担をお願いします。

<携帯ストラップ型お守り 500円>

 

(清運寺守護)   (坂本龍馬室千葉さな子の文字と坂本家の家紋)

<清正公吉祥祈願会の木札(清正公さんのイラスト付き)と車載用交通安全お守り>

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ナマ足はだめよ。

2009-06-08 18:24:21 | 

<僕はいつもナマ足だけどね。>

昔、「日曜日はだめよ」という映画がありましたが、それとは全く関係ないナマ足のお話です。

 最近、女性のファッションで、パンプスや、サンダルを履くときに、ストッキングを使わず素足のままということが多くなっていますね。

ファッションとしては別に物申すことはないのですが、夏になると、ちょっと困ったことが起きてしまいます。

というのも、毎年何人かの女性が素足で本堂に入るという事態が起きてしまうのです。

 本堂は神聖なところですから、素足で入るということは土足で上がるに等しいことですから、そういうことをされると非常に困るんですね。

 服装は喪服なのに、足だけは素足とか、服装も夏の軽装でしかも素足というケースもあり、若い女性ばかりでなく、30代ぐらいまでその傾向がみられるようになってきています。

 昔はそんなことはなかったんですけどね。

常識として、かしこまってよその御宅へ伺う時に素足で行くことはなかったですし、お寺へ法事や葬儀に来る時に普段着で来る方もありませんでしたから、当然素足はあり得ませんでした。

 ハレとケ(非日常と日常)の区別が曖昧になってきた結果でしょうか。

 まあ、日頃ちゃんとしたお宅ではそんなことはないのですが、普段あまり、お寺にも足を運んだことのない方やその親族などにその傾向がみられるようです。

 できれば注意したいのですが、なかなか大人を注意するのは難しいですし、施主さんの家族ならまだしも、施主さんがお招きした方ともなると、注意することで施主さんに恥をかかせることにもなりかねませんから、苦々しく思いながらも見過ごすことが多くなっています。

 唯一注意しやすいのは、施主さんのご家族の若いお嬢さんです。

しかるということではなく、なぜ素足ではだめなのかを説明し、これを知っている方が将来お嫁に行っても、社会に出ても役に立つし、恥をかかなくても済むよという言い方で注意をします。

 実際、こういうしきたりを知っていることで、得をすることはあっても損をすることはありませんから、できるだけ丁寧に説明して、理解してもらうようにしています。

正直言って、ここまで気を使わなければならないのかとも思いますが、わからないものをわからないままにしておくより、理由を理解して、できるようにすることのほうが、その方にとっても利益になると考えて、できるだけ注意するように心がけています。

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お寺の仕事って。

2009-04-24 23:01:37 | 

<差し上げるために用意した植物の数々>

 最近、自分のブログを見て、ほとんど園芸や植物のことなどや出かけた話ばかり書いていて、読む方にとっては、お寺ってガーデニングをしたり、家庭菜園をしたり優雅に暮らしているんだなと思われているのではないかと少し反省しています。

 でも、実際にやっている仕事や活動というのは相手のあることが多いので、プライバシーの問題もあったりして書くことができないことのほうが多いんですね。

そして、ほとんどがそういう仕事なんです。

今日もある病院に病室から見える庭に植物を植えるお手伝いをしてきました。

その病院では、はじめはちゃんと植栽をしてパイプで給水するシステムで運営していたらしいのですが、その後手入れをしないために荒れ果てた状態になっていました。

そこをボランティアの方々ががちがちになっていた土をほぐし(ほぐしてもすでにほとんど植物が養分を吸収してしまって土自体がなくなっているような状態になっていましたが)枯れた草を取り除いて、新たに植物を植えるということになったのです。

そんな状態なので土や肥料を入れないと、植物を植えたところで根づかせるのはかなり難しいように思うのですが、それでも、皆さん一生懸命に作業されていました。

察するところ、その植え替え作業に対して何らかの予算がついている様子もありませんでしたので、人手も植える植物もすべてボランティアの方々が持ち寄って行っているようでした。

ということは当然土や肥料を買うお金もないということなのでしょう。

私も、昨日さしあげる植物、特に手間がかからず丈夫で育ちやすく、花も咲くというものを半日かけて境内から掘り上げたり、鉢ごと差し上げるものやポリポットに小分けしたものを発砲スチロールの箱に何箱も用意し、今日はそれを病院に運んで植え付けのお手伝いもしてきたわけです。

たとえば、このようなボランティア活動をして、その活動の内容を書くといっても、どこの病院か特定できたり、詳しいボランティア活動を紹介するとクレームがつく恐れがあったりするので、これがぎりぎりの線なんですね。

他のボランティア活動でも同じようですけれど、特に公の機関に関係するところのポランティア活動に関しては非常に神経を使います。

また、日々行う法務や事務作業のほかに、檀信徒の方々などお寺と関係があったり、面識がある方だけでなく、まれに突然見ず知らずの方から御連絡があったり、訪問されたりして、お話を聞いたり御相談を受けたり調べものを頼まれたりすることなんかもあるんです。

そういうことは非常に手間と時間がかかることなんですが、個人のプライバシーにふれてしまうことになるので、これもご紹介できないんですね。

となると、どうしても無難なこと、さし障りの起こりにくいことを書くということになってしまうのです。

もっと法話を書けっていう声も聞こえてきそうですが、これも、慎重に言葉を選ばないとならないんで、時間の取れるときに書こうと思ってなかなか筆が進まないんです。(かなり言いわけ入ってます。)

それから、毎月何かしら、いくつもの宗門関係の仕事に駆り出されることもありますし、なかなか自分でスケジュールを立てて仕事をしようとしても、イレギュラーなことがたくさんありすぎて、自分で自分の予定が立てられないなんてこともよくあるのです。

 お寺というと、静かに座禅でも組んで、ゆったりした時間が流れているようなイメージがありますが、実際は水上で優雅な姿で泳いでいる白鳥が見えない水面下では必死に足をばたつかせている、そんな姿に似ているのかも知れません。

あるいはとりあえず行けばあいているし、たいていのものは揃う24時間営業のコンビニエンスストアといった感じでしょうか。

昔、老僧の言われた言葉で、「坊さんはどんなに忙しくても、忙しそうに見せてはいけない。そんな姿をみせたら、相手が気兼ねして声をかけづらくなってしまう。だからどんな時でも、相手を受け入れられるように、悠然としていなければならない」というのを聞いたことがありますが、なかなか難しいことです。

それに、悠然としているつもりでも、働いてないみたいに思われたらいやだなんていう邪念もあったりして・・・まだまだ未熟者です。

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桜のお寺の葬儀。

2009-03-26 20:20:29 | 

<有名な神代桜。まだ1分咲き。>

今日は北杜市にある桜で有名なお寺の葬儀に行ってきました。

亡くなったのは前住職、亡くなられたのは、春彼岸前ですが、お彼岸中はお寺は皆忙しいので、彼岸明けの葬儀になったようです。

しかも、このお寺は桜が有名で、桜の開花時にはたくさんの観光客の方が訪れます。

そのため、お彼岸が過ぎて、桜が咲く前ということでこの時期になったのでしょう。

桜はまだ一分咲きといったところですが、すでに花見の方も何人お見かけしました。

境内には有名な桜のほか、たくさんの桜の木があります。

しかも、桜の開花時期の前後に咲くように水仙やチューリップも植えてあります。

すべての桜が満開の時はさぞかし美しいことでしょう。

亡くなられた前住職も毎年、桜を愛でていたはずです。

そして、有縁の皆さん方も桜が咲くころになると、亡くなられた前住職を思い出すことになるのでしょう。

 この桜を見にきた方々はたぶん、春には一面に桜が咲き誇る、こんなところに住めたらどんなに素敵なことだろう、とか思ったりするんでしょうね。

 確かに素敵ですね。でも、いったい誰が掃除をするんだろうという疑問。

桜の花が終われば、花がらの片付け、秋には落ち葉の掃除、考えただけでも腰が引けてしまいます。

きれいだと思うより先に、掃除が大変だろうなと思ってしまう自分がちょっと悲しかったりもします。

案外、山から吹き下りてくる風で、落ち葉や花がらはすべて吹き飛ばされてしまって、掃除いらずだったりして。

 今日はこのお寺の方の葬儀でしたが、今までもこの桜はたくさんの人々の生きざまを見てきたことでしょう。

そして、これからもたくさんの人の生きざまを見続けるのでしょう。

桜の木の寿命に比べると、人の生きる時間がいかに短いか痛感させられます。

だからこそ、限られた時間を大切に生きていかなければならないとあらためて考えさせられます。

<この奥の本堂で葬儀です。本堂の周りにも桜がたくさん。黄色く見えるのが水仙、手前がたぶんチューリップ畑でしょう。>

<身延山のしだれ桜の子株から育った桜。>

<水仙は満開です。>

<一面の桜、これが満開なら、まさに桃源郷の趣。>

<寺を見下ろす山、さぞ吹き下ろしの風は冷たいことでしょう。昔ネパールのポカラ近郊でみたマチュピチュレに似た山ですね。桜がなければ、日本というより、ネパールの風景に似ているような気がします。>

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ワインの花環。

2009-03-25 10:09:28 | 

最近、葬儀でも、生花以外にいろいろな花輪が開発されているようです。

生花が流行る前は、果物の缶詰の花輪とか、タオルの花輪がありましたが、このごろ、ワインやお米の花輪があるそうです。

花輪や生花はお供えものですが、実用的なものをお供えすると、後でお手伝いをしてくださった方に分けることができるので、北海道などでは、お米なんかを花輪にしてお供えするという話を聞いたことがあります。

このあいだ、初めてワインの花輪を見ました。

山梨は日本有数のワイン産地ですから、山梨らしい感じがしますね。

らしさということであれば、新潟なら日本酒、沖縄なら泡盛とかもありなんでしょうか、聞いたことはありませんが。

あまりやり過ぎると物産展みたいになってしまうかも知れません。

あくまでも、お供えですから。

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最近見かけた納棺の話。

2009-02-28 21:57:14 | 

        <世の中はホントに広いニャー>

最近見かけた納棺の話です。

 場所は甲府近郊でしたが、納棺の際、不思議な光景を見ました。

立ち会っている人全員が腰に1メートルほどに切られた細い藁縄を巻きつけて、納棺と湯潅を行うのです。

しかも藁縄の結び方は縦結びと決まっているとのこと。

喪服を着た人が皆、腰に藁縄を巻いている姿は初めて見ました。

そして、その状態で、まず、湯潅の形式化されたものと思われる行為(小さく切った和紙で御遺体の御顔をなでる)を行います。

そのあとの納棺は皆で御遺体を布団から棺に移し、旅じたくを整えます。

聞くところによると旧山梨市の方でもそのような風習があるとのこと。

地域によって、本当にさまざまなやり方があるのですね。

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新型霊柩車「おくりぐるま」

2009-02-26 21:16:13 | 

昨日、今日と近隣寺院のご住職のお母様の葬儀でした。

その寺院は同じ地域の組寺院ですから、うちも含め、組寺院の方々がお手伝いします。

昨日の通夜、そして今日の火葬、葬儀、初七日と無事終了しました。

 最近は霊柩車というとリムジンが多く、宮型の霊柩車をみることは少なくなりました。

昔、子供のころ、道で霊柩車を見かけたら、親指を隠さないと親の死に目に会えないという話があって、学校の帰り道で霊柩車を見かけると、あわてて親指を隠した覚えがあります。

いったいどんな根拠があるのかいまだにわかりませんが、子供の間ではちょっとした都市伝説のようになっていたのを思い出します。

今日の葬儀で使われたのは、珍しく宮型の霊柩車でした。

火葬場で何台かの霊柩車を見かけましたが、どれもが黒のリムジンで、今や宮型は絶滅寸前なのかも知れません。

 霊柩車と言えば、先日アカデミー賞をとった「おくりびと」、それにちなんだのかどうかはわかりませんが、光岡自動車が新型霊柩車「おくりぐるまtype2-04」を発売したそうです。

タイプ2ということですから、タイプ1も発売済みなのでしょう。

この光岡自動車は個性的な車を製造販売しているメーカーですが、まさにグットタイミングな発売です。

きっと、「おくりびと」のヒットに伴って「おくりぐるま」もヒットすることでしょう。

霊柩車という響きよりも「おくりぐるま」という呼び方の方が、優しい感じがします。

もしかして、そのうち霊柩車のことを「おくりぐるま」と呼ぶ時代が来るかも知れませんね。

<ずらっと並んだ生花など。>

<宮型の霊柩車>

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昨日の研修会、直葬とは何か。

2009-02-21 21:22:35 | 

昨日の研修は「寺院における葬儀のあり方」と題した講演でした。

運営をお手伝いする都合で、朝から会場に詰めていましたので、一日がかりの仕事となってしまいました。

講師は生命保険会社の研究所に所属されている死生観などを研究する女性の方でした。

 講演内容は、調査資料をもとに出生率と死亡者数の推移、アンケート調査による一般日本人の死生観の説明などが中心で、今週火曜日に行われた講演と似通った内容でした。

それぞれの主催者がこのテーマを選ぶというのは、それだけ葬儀に対する危機感が高いからなのでしょう。

昨日も講師から話が出ましたが、最近は”直葬(じきそう)”と呼ばれる葬儀が増え、東京では既に葬儀全体の4割を占めるまでになっているとの報告もありました。

直葬とは、ご家族が亡くなっても、家に戻さずそのまま火葬場に直行するやり方のことです。

いわゆる普通思い浮かべる葬儀、たとえば、自宅や、お寺や、斎場などで、会葬者がいて、家族がいて、僧侶による葬儀が行われてという形ではなく、社会的な通過儀礼、宗教的な儀式を行うことなく、いわば、遺体処理とでも言ったほうがいいようなやり方のことを指すのです。

ですから、何か字だけを見ると葬儀のような錯覚を起こしますが、実際には葬儀をしていないのですから、葬という字を使うのは間違えで、”直送(ちょくそう)”とすべきでしょう。

病院からそのまま御遺体を火葬場に運ぶといっても、実際には亡くなった方は法律上、死亡してから24時間は火葬できないことになっていますから、その間、火葬場などで待機し、時間が来たら火葬するということなのです。

 しかも、ほとんど立ち会うのは家族のみ、火葬炉の前で僧侶の読経があればよい方で、それさえもないというケースが多くなってきているとのこと。

そして、この火葬炉の前で読経するだけの形をワンデイセレモニーと呼ぶこともあるのだそうです。

ワンデイセレモニーの名前の由来は、普通葬儀はその前に通夜がありますから最低でも2日はかかります。

それを一日、しかも火葬炉の前だけで行うのでそう呼ばれるのだそうです。

でも、まだお経をあげてもらえるのはいい方で、それさえもない形が増えているとのこと。

 しかし、そういう形で家族を送った方も、亡くなって1年ぐらいすると、一周忌をしたいのだけれどどうすればいいのかというような質問をその講師の方の勤め先である研究所にされるということがあるのだそうです。

 僧侶による葬儀式を受けていませんから、当然戒名などもありません。

その状態で法要をしてもらうことはとても難しいことです。

 また、最近韓流ドラマのシーンでよく散骨のシーンがあり、それにあこがれたり、家族に経済的な迷惑をかけたくないとの思いで散骨を希望された方が、亡くなった後、その希望通りに散骨されたものの、残されたご家族が心のよりどころが持てずに困惑したり、どこに手を合わせていいかわからないので、散骨をした海上まで、わざわざ船をチャーターしてお参りに行くという事例もあるそうです。

そんなことなら普通に葬儀をして、お墓に納骨された方が良かったのではないかと感じることもあるそうです。

 葬儀については諸説いろいろな考え方があるかとは思いますが、いままで続いていたやり方というのは、それなりに意味があるから今まで残ってきたともいえます。

 宗教的な意味はそれぞれの宗派によって違いますが、社会的にみて葬儀というのは人が必ず通る通過儀礼でもあり、社会的なシステムでもあるはずです。

歴史的に見ても、葬儀というのは家族のものではなく社会的なものでした。

それを家族という、あるいは個人という小さな単位で考えてしまっているところに問題があるように感じます。

 それぞれの社会というのは、その社会を維持し、共同体として機能するための様々なルールを持っています。

人をその共同体から送りだす儀式としての葬儀は、社会を維持するためのルールの一つです。

葬儀だけでなく、さまざまな社会のルールがなおざりにされています。

 かといって、いままでのルールが壊れて新しい社会のルールができたとも思えないのですが。

こんなことが続くと日本の社会はどうなってしまうのでしょう。

宗教的立場だけでなく、社会的な立場から見ても心配です。

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今日は朝から研修会。

2009-02-17 18:07:49 | 

昨日心配された冷害。植え替えた蓮の芽だけやられました。

鉢の上にビニールを掛けておいたのですが、風でめくれてしまい、水面に出ていた芽が凍ってしまいました。

それ以外は大丈夫だったようです。

 さて、今日は朝から日蓮宗山梨県第四部宗務所 平成20年度教師・寺庭婦人研修会に出席です。

 研修は「宗教法人の税務調査動向について」と「少子高齢化社会の到来と今後の寺院経営」と題しての講義です。

 税務調査動向といっても、何か裏ワザを教えてくれるというわけではなく、要するに公私混同をせず、ちゃんと経営をせよという話です。

 そして、今後の寺院経営ということに関しては、非常に厳しくなることが予想されるとのこと。

言われなくてもわかっていますが、実際にどう対処するかとなると難しい問題です。

 そもそも、お寺というところは経営という言葉がなじみません。たいていの場合、経営ではなく運営という言葉を使います。

今日の講師の話によると、運営と経営は全く違うもので、運営とは決められた予算の中でどうやっていくかということを指すのだそうです。

しかし、どうも、経営というと営利企業のようで違和感があるんですね。

 でも、講師によると、お寺の永続性を実現するためには経営の安定があってこそ可能なので、法務を中心とした教学だけにかたよらず、教学と経営を両立させなければならないとのこと。

つまり、教学と経営のバランスを取り、どちらにも偏らず、中道を行く必要があるということです。

確かに、お寺も法人ですから、経営に失敗すればつぶれます。

最近の不況で倒産・リストラ等が問題になっていますが、お寺が倒産すれば、一番困るのは檀家さんです。

長年にわたり、先祖代々をお祀りしてきた墓地もなくなってしまいます。

そうなることのないように努力することが寺院の住職としての大切な責務の一つなのです。

しかし、実際には経営は努力だけではなく、才能も必要な気がするのですが・・・。

 清運寺が創立されてから500年あまり、たくさんの方々の心の支えとなってきました。

とりあえず創立1000年をめざして、それまで永続することを目標にして頑張りましょう。

(壮大すぎる目標かもしれませんが、お寺の場合、考えるスパンが一般社会よりも非常に長いので、このくらいの目標は十分ありです。)

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日蓮宗のお経はわかりやすい?

2009-01-29 21:08:39 | 

時々、法事の後のお斎の時に出席された方から「日蓮宗のお経はわかりやすいね」といわれることがあります。

他宗と比べてなのか、単に読んでいる言葉の意味がわかるからなのかはわかりませんが。

 日蓮宗のお経は漢文で書かれた経文を真読または訓読で読みます。

真読の場合は漢字を漢音・呉音で読み、訓読の場合は書き下し文として読んでいきます。

たとえば、日蓮宗のお経「妙法蓮華経」の中の如来寿量品第十六の自我偈の冒頭はこんな風に読みます。

文字では「自我得佛来 所経諸劫数 無量百千萬 億載阿僧祇」。

真読では「じーがーとくぶつらい しょうきょうしょーこっしゅ むーりょうひゃくせんまん おくさいあーそーぎー」。

訓読では「わーれーほとけーをーえてよーりーこのかーたー へたるーところーのーもろもろのーこっしゅー むーりょうひゃくせんまんおくさいあーそーぎなりー」となります。

日常的に漢字は漢音または呉音で発音することが多いですから、真読で聞いてもわかりますし、訓読にすればさらにわかりやすくなるのでしょう。

 確かに、私も以前、他宗の葬儀の際に経文を漢音でも呉音でもない音で読まれて何を言っているのかさっぱり分からなかった覚えがあります。

 法要で、何を言っているのかわからない、何を行っているのかもわからないではありがたみも湧かないし、じっと座っていること自体が苦痛に感じられるのかもしれません。

 日蓮宗のお経がわかりやすいといった方も、意味がわかったからこそ、親近感もわき、参加した充実感も得られたのでしょう。

 法要を行っている導師と参加した方々がともに充実感を得られることこそ、法悦といえるのかもしれません。

 

 

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