冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

大奥 進典侍編その④

2007年12月23日 | 大奥(進×瀬那)
「進さんは凄いですね」

無邪気な敬慕も今となっては時として、進典侍の心を酷く苛立たせる。
まさか“彼”に対し、このような冷ややかな眼差しを向けるようになる日
が来ようとは、昔の彼であれば到底信じられぬことではあったが、どう
しても素直に喜ぶ気にはなれないのだ。

「凄いことなど何一つ無い、無駄口を叩いている暇があるならば、一回
でも多く素振りをしろ」
「あ、はい……」

一瞬、叱られた仔犬のようにシュンと項垂れつつも、すぐに気を取り直し
て両手に再び木刀を持ち、自分が教えた型に倣って、懸命にそれを振る
小さな勇姿を見れば、今度は慙愧と憐憫が綯い交ぜになった感情が進
典侍の心の中に、複雑な渦を巻く。

(我ながら何と見苦しく、また聞き苦しきことを……進清十郎よ、そなた
それでも武士か?)

だが己を責めるのと同時にまた一滴──未だ諦め切れぬ、切ない想い
が典侍の心に、静かな波紋を広げる。

(だが今の彼は「瀬那」であって、「瀬那」でない……)

天は何故(なにゆえ)、我から我の“すべて”を奪い給うたか。

(ようやっと、進むべき道が見え始めたかと思うたに……)

愛しき者たちよ、そなたらと引き裂かれたこの恨みは綿々として、絶ゆる
の期、無からん──
                     ・
                     ・
                     ・
周知のように、紫苑御方ことキッドがやってくるまで、幼君より第一の
寵を得ていたのは、進典侍だった。実際のところ、※“小”樹公(しょう
じゅこう)は、稀な気高さを持つこの側室に対し、恋い慕うと言うよりは
多大な憧憬と尊崇の念を以って接していただけなのだが、彼のキラキ
ラと無邪気に輝く憧れの眼差しが傍からは、この御方に対する大層な
御寵愛と考えられていたのだった。

「ちい姫はいい子だね」

そして一年前、本人の真情はさておき、その上様よりの御寵愛(?)と
もう一つの理由に支えられて、進典侍の立場は一時ではあったが確か
に、大奥に並ぶ者無き確固としたものであった──あの蛭魔局でさえ、
しばらくは鳴りをひそめていたほどである。

(お腹さま)
(お腹さま)
(おめでとう存じ上げまする、お腹さま)
(ほんに愛らしき姫君)
(将来は光り輝くような佳人となられること、疑い無しに御座りますな)
(程無くしてお生まれになられましょう若君にさぞお優しい、良き姉君に
おなりあそばしましょうぞ)
(ま、お気の早いこと)
(じゃが、あながち間違ってもおらぬ)
(そうじゃ、そうじゃ)
(あ、お笑いになりましたぞえ、お腹さま、御覧じませ[ごろうじませ])
(我ら日夜、しかとお守り申し上げねば、このお可愛らしさに魅せられた
妖しの者に、攫われてしまうかもしれませぬなあ)
(これこれ、縁起でも無いことを)
(((((((ホホ、ホホホ……)))))))


囂しい(かまびすしい)周囲の祝福の声と笑いの中心にあって、乳母の
胸に抱かれ──乳をやることだけはさすが、男には無理であったので、
やはり乳母や子守を雇える財力のある家でしか、男からの産児は望め
なかった──、無邪気にスヤスヤと眠っていた嬰児(みどりご)。

自身も未だ、少年の域を抜け切らぬ風貌と性情の若き将軍は、自身の
血を分けた初子の誕生に、感情を隠すこと無く、素直に狂喜した。

「ちい姫、ちい姫」

その頃の彼は毎日、いつもの日課を可能な限りの速さで終わらせると、
お鈴廊下を御目見以上の者たちが平伏して出迎える中、威厳をもって
殊更にゆっくりと歩くようにとの蛭魔局からの教えも忘れ、いつも飛ぶよ
うに走って、この自分の局部屋へとやって来たものだった(※御太刀持
[おたちもち]に腰の物を預け忘れた時だけはさすがに、激怒した局にこ
ってりと絞られていたが)。

「可愛いちい姫、今、生きている人たちの中でまもり姉ちゃん以外に、
僕と血が繋がってるたった一人の大切な家族。きっときっと、幸せに
なってね」

                     ・
                     ・
                     ・
正式な命名の儀までは未だ日が有り、便宜上、「ちい姫(さま/君)」と
呼ばれていた進典侍の娘は、その仮の呼び名に相応しい、大層小さな
身体付きではあったが、まだ両目も見えぬ内からニコニコとよく笑い、両
手両脚をバタバタと元気良く動かしては、誰しもを温かく優しい気持ちに
させた。

加えて、その愛らしさだけでなく、彼女の体内には直参旗本の中でも名
門中の名門・進氏の血が流れている。

次代の天下人の長姉となるやもしれぬ御方(その上もし、同腹の弟御が
将軍家の跡目を継がれた暁には?)。不幸にして御当代に男児出生有
らずとも、彼女が持たされるであろう莫大な額の※御化粧料、並びに進
氏との姻戚関係締結を考えれば──将軍家の姫君方との御縁組はこれ
まで、何かと面倒な事になりやすく、先代一の姫であったまもり姫のよう
な例外を除いては、先代の他の娘御たちを押し付けられた諸国大名家と
京の公家衆は、将軍、姫君方とその母君たち、大奥に仕える人々を除い
ては、結納・婚儀の手配を行なった役人たちでさえ、陰ではブツクサと不
平をこぼしていたものだったが、先代の薨去に伴ってうら若き少年将軍が
立つと、彼の背後から白い両手で幕政のすべてを操るようになった、「悪
魔」の異名を持つ某・大奥総取締の辣腕によって、国力・国家財政共に
急激に充実するようになり、将軍家と幕府の威光と権力は再びあまねく
世を照らすようになった。

このような御世に於いてならばと、当代将軍家一の姫の婿君の座に、己
が血縁を据えたいと願う大名・公家衆は、姫君御出生の報せを耳にする
と、たちまちにして色めき立った。

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語釈

小樹公…
『後漢書』に記されている話の一つ、将軍達の誰もが己の軍功を
誇る中、唯一人、一言も発せず、大きな木の下、静かに佇んでい
た、謙虚な(実は作戦だったんじゃなかろうか?)馮異に付けられ
た敬称・「大樹将軍」が後世、日本で征夷大将軍の異称として使
われるようになった。
瀬那ちっちゃいし、時々謙虚が行き過ぎて卑屈スレスレになって
る事もあるんで、ここは敢えて「“小”樹公」にしてみました(笑)。

御太刀持…
主君の太刀を持ってその傍に控えていたり、主君が何らかの作業
を行う際、邪魔になるようであれば一時的に、その太刀と小太刀を
預かっておく役職。

御化粧料…
高位の既婚夫人乃至は未亡人のお小遣い。嫁の持参金を指す事
も。
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