冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

大奥 進典侍編その⑥

2008年07月07日 | 大奥(進×瀬那)
サァァ──

清々しい香りを放つ青畳の上に、力無く伏せられた紺碧の頭を、外から入り
込んできた風が、優しく撫でた。

(事実も真実も、この苦しさを薄めちゃくれねぇ……)

胸元に差し込んである一枚の料紙。金銀の箔が点々と散らされたそれには、
大奥と呼ばれるこの深海を、刹那、温かな日の光で満たしたかと思うと、程
無くして、海の泡のように儚く消えてしまった小さな命が、この世に於いて僅
かな日々だけ用いた名前が、水茎の跡も麗しくしたためられていた。

(ねぇ筧君、この子の名前を決めたんです)

親子というよりはまるで、兄妹のようだった。

(この紙に──って、書いてもらえないかな?)

心に細波が立たなかったと言えば嘘になる。けれど──

(この子は僕と、皆の子だと思ってほしいんです。進さんだけじゃなくて、筧君
も、水町君も、それに──


はにかんだような笑顔の愛らしさ、そしてそれに対する狂わんばかりの愛おし
さには、逆らえなかった。

続く、最大にして最高の想いを込めて呟かれるのが、自分は決して就くことの
出来ない座にある貴人の名前だと、分かってはいても。

めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。
御身は女の中にて祝せられ、御胎内の御子イエスも祝せられ給う。

天主の御母聖マリア、罪人なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え。

元后、憐れみ深き御母、我らの命、慰め、及び望みなるマリア、我ら逐謫(ちく
たくの身なるイヴの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、この涙の谷に泣き
叫びて、ひたすら仰ぎ望み奉る。

ああ、我らの代願者よ、憐れみの御眼もて我らを顧み給え。
またこの逐謫の終わらん後、尊き御子イエスを我らに示し給え。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。

慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求め、敢えて御取り次ぎ
を願える者、一人として棄てられし事、古より今に到るまで、世に聞こえざるを
思い給え。

ああ童貞中の童貞なる御母、我これによりて頼もしく思いて馳せ来たり、罪人
の身をもって、御前に嘆き奉る。
ああ御言葉の御母、我が祈りを軽んじ給わず、御憐れみを垂れて、これを聴き
給え、これを聴き入れ給え。

めでたし、海の星なる君、幸いなる天の門、至高なる主の永久に童貞なる御母。
ああ、はるかなる過ぎし日に、天使ガブリエルの宣いし、イヴの名転ぜしアヴェ
により、下界に平和を建て給いぬ。

砕き給え、捕われ人の足枷を、注ぎ給え、光を盲いたる眼に、我らのすべての
病を追い払い、あらゆる至福を懇願し給え。

示し給え、御身が母なるを、捧げ給え、彼に我らの嘆息を、御身を軽んずる事無
く、我らの為に人となり給いし彼に。

すべての童貞の中の童貞よ、導き給え、我らを御身の隠れ家に、優しき者達の
中の最も優しき者、我らを純潔にして優しき者と成し給え。

助け給え 我らのか弱き努力を、我ら猶お旅路にある故に。
至高なる天に於いて御身とイエズスと共に我らが永遠に喜ぶその日まで。

全能の聖三位、聖父、聖子、聖霊に、唯一にして同一の光栄有らんことを。

アーメン。

                       ・
                       ・
                       ・
ここ二、三日前から何でか知んねーけど、筧は元気が無い。や、病気とかそん
な感じじゃないんだけどさ、何かこう……いつでもどこでも、うなされてるみてえ
な顔してんの。

俺、心配して聞いてみたんだ。お前大丈夫かよって、医者に診てもらった方
がいいんじゃねえのって。そしたらさー。

「俺はっっ、何も……っ! ……あっち行ってろ……俺に、構うな!」

すんげえ剣幕で怒鳴られちまってさ、ンッハー吃驚したの何のって!

え、いや、ほら、俺って悪気は無いんだけどよく筧に迷惑かけちまうこと多く
てさ、怒られたりど突かれたりすんのしょっちゅうだから、別に今更怖くも何
ともないんだけどさ、俺が吃驚したってのはね、そん時のあいつの顔が……
俺、あいつがあんな、何か怯えてるような面してんの見たの、大奥来てから
初めてだったから。

で、本日今日ただ今、その筧大先生さまさまは、ここ数日間の中でも最っ高
~に、気分最悪ですって感じで、多分象牙? で出来たちっさい塔の置き物
の前で、数珠いじりながら何か小さな声でブツブツ呟いてんの。あいつ、俺や
他の皆に知られたくねーこととか、独り言とかにはいつも、何語か知んねーけ
ど、外国語使いやがんのな。

でも、今日はその様子があんまりにも鬼気迫ってるもんだから、俺としてもさ
すがに茶々入れっ気にはなれねえや。大先生のためならたとえ嵐の中津波
の中の二人ヒロシでさえ、息を殺して遠くから様子を窺ってるだけだ。

何かお祈りでもしてんのかな? 俺的には最近来たあの無精髭の人が、どっ
かですっ転んで瀬那の前で鼻血出しますよーにとかのお願いがいいと思うん
だけどなー。

あ、でもそう言えば今日って、瀬那の一番最初の子の命日じゃん。そーすっ
と、そっちのための追善って可能性も有り? お経って俺、ちんぷんかんぷん
で、外国語みてーに聞こえるからなー……って、お経はもともと外国から来た
んじゃん。

ま、そんなこたどーでもいいや。俺も後で真似だけしとこ。瀬那がいいよって
言ってくれたから、俺も何度か抱っこさせてもらったけど、人懐っこくて超可愛
かった。あの子が今も生きててくれたなら、瀬那があの紫の髭の人にベッタ
リになるどころか、そもそもあの人が大奥に来ること自体無かったのに……
ちぇっ。

それにしても筧の奴、熱心にブツブツ言ってんなー。

「なぁ、ぴっとー、筧どーしたちゃったんだと思う?」
                       ・
                       ・
                       ・
心配と困惑の色を深めるばかりの世話係の、地面から遥か高い目線の高さ
にまで抱き上げられた、白黒まだら斑の猫はそれに同調するかのように、「ナ
ァ~、ナァ~」と鳴いた。

ナァ~……ナァ~……ニャ~ウ…ァ~~ウ……ア~ウ……アウゥ……

耳に響くは猫の鳴き声か、それとも──

「!」

背筋だけはしゃんと伸ばしていた筧の上半身が、グラリと揺れた。

(泣かないでくれ……)

この国では信ずることを許されない教え。崇め奉られる唯一の神の御子を、一
人で産んだと伝え聞く慈母に※己がなぞらえた、白い塔が、その小ささも相俟
って、気を失う直前、筧の脳裏で愛しい誰かの面影と重なった。

(もっと、早く、知っていたなら……)

あの日の恐怖と喪失感が今、再び冷や汗となって彼の背中を伝う。

(俺の中の……)

白い産着に包まれていた、愛しい彼と、自分ではない誰かの子。低めの美声
で小さく歌いながら、その子の頬に優しく指を這わせていた──

(くれないの……)

春雨の故に、温かく湿った空気の中、薔薇の針さえも柔らかく感じられたあの
日の午後。

(違う違う違う、そんなこと……!)

見ては、ならなかった。見たくも、なかった。
気付いては、ならなかった。気付きたくも、なかった。
結局、紅(くれない)は呉(くれ)の藍(あい)と思い知らされたあの日、あの日、
あの日……!
                        ・
                        ・
                        ・
パタパタパタパタパタパタッ

「お、畏れながら申し上げますっ!只今山里の丸より、あの……、その、みみ
み、み、御台さまがお越しになられたそうで、既に先触れが……!」

御座の間へ転がり込むように注進してきた、※明らかに御目見得以下と知れ
る小袖姿の若い侍女に、衆目が一斉に注がれた。

「……んだと?」

蛭魔局の金色の双眸の中、漆黒の瞳孔が三日月のように細くなり、剣呑に光
った。周囲も小さくざわめき出し、御手付きということで比較的前方に座を与え
られていた筧と水町も、一体何事かと顔を見合わせた。

「赤羽さん、が……?」

困惑と居た堪れなさと驚きと、そして……一点の喜びが入り混じった将軍の表
情を目の当たりにして、進典侍はほろ苦く口元を歪めた。

(やはり、か……)

一度砕け散ってしまった玻璃の欠片たちを拾い集め、膠で張り合わせたところ
でそれは決して、壊れる以前の状態と同じであるとは言えない。

「御台さま、おなりで御座います!」

遠くからでもそれと分かる名香、銘も正しく「紅」(くれない)と称する伽羅の匂
いが少しずつ濃くなってくるにつれ、進典侍は静かに身をしさらせた。

将軍御座と我が身のこの尺寸(せきすん)の距離、その何と遠く感じられるこ
とか。

それ即ち、心と心の距離ゆえに……。
                       ・
                       ・
                       ・
「……やや子?」

柳眉が不快げに逆立った。

「怒らない! まずは私の話を最後まで聞く!」

耳にするだにおぞましいとばかり、そっぽを向こうとした主の前にタン!と勢い
よく扇子を立てて、樹理は御台所の意識を強制的に自分の方へ向けさせた。

「フー……まったく、何だと言うんだ……」

他の近侍たちであれば、一睨みで下がらせることが出来るのだが、御台所の
乳母の実の息子、即ち乳兄弟の光太郎同様、物心ついた時には既に自分付
きの女小姓として傍らに侍しており、主たる自分の※降家(こうか)の際も、親
兄弟とは今生の別れになるやも知れぬというのに、江戸での引き続きの奉公
を躊躇うことなく願い出た樹理の忠誠心と芯の強さは、共に過ごしてきた十数
年来の歳月から、己が一番よく知っていた。

何より、樹理がいなければこの山里の丸の一切が機能しなくなってしまう。高
貴の者の常として、一人では身支度も満足に整えられず、また、何かをしてい
る最中に、ふっと別のことに気を取られると、琴爪や読みかけの楽譜をそこら
に放置してそのまま忘れてしまい、後で見つけられず、独り不機嫌にむくれて
いることなどしばしばの御台所としては、彼言うところの“音楽性”に合った生
活の維持には必要不可欠の有能な老女が、斯様なまでに強調するほどの事
柄であれば、さすがに耳を傾けない訳にはゆかなかった。

「こんなこともあろうかと思って、御庭番の縁者で大奥勤めしてる※御次(おつ
ぎ)を一人、前々から買収してあったの。んで、とうとう御内証の進さまの御木
に御結実の兆しが見てとれたって、情報が届いたんだ」
「……フー、それで話は仕舞いかい?」

ならもう失礼するよと、スィ……と飛翔しかけた鳳凰の、華麗な尾羽──なら
ぬ、貴(あて)にして艶なる黒地※紅返し(もみがえし)の後ろ身頃、その腰か
ら下へ、帯の代わりとして煌びやかにたなびく金銀の組紐の束の内、数本を、
樹理はグイと引っ張った。

「な……っ!」

思わずつんのめりそうになるのを辛うじて堪えた御台所は、ムッとした表情で
腹心の老女を睨んだ。

「……危ないじゃないか」
「まだ終わってないっつーの!」
「……?」

さっぱり呑み込めぬ事態というのは、御台所の音楽性をいたく負の方向に刺
激するようで、もともとあまりよろしくなかった御機嫌は、立ち所に急降下して
いった。

「もー、順を追って話そうと思ってたのに……しゃーない、結論から先に言う
わ。もしもね、ことが上手くいけば、進さまのお子さまがアンタと瀬那君をもっ
かい、一緒に仲良く暮らせるようにしてくれるかもしれないのっっっ!」
「!」

これならじっくり腰を据えて自分の話を聞くだろうと、樹理は、片手で組紐を
掴んだまま、腰にもう片方の手を当ててふんぞり返ろうとして──

ドタン!


「きゃっ!」

瞬時に、紅玉の如き凄艶さが薄れた。替わって、驚きに喜びの微粒子が混
ざったのか、※薔薇水晶の柔らかな光を放つようになった彫刻──の、よう
に立ち尽くした御台所。が、ために主思いの老女は、派手に尻餅をつく破目
に陥った。

「こら、急に棒立ちになるんじゃないっ!」
「樹理、今、何と……」
「危ないから突然立ち止まるんじゃないって……「その前! その前に
何と言ったのか聞いているんだ!」


日除け眼鏡をかけていない、横顔の端麗さはいつものことながら、その燃え
立つような真紅の髪との対照が目にも綺(あや)な白皙の頬から、細い頤に
かけての線が、微かに震えていた。

──

「じゅーりー、障子開けてくれ、障子ー!」

緊張感の欠片も無い光太郎の声が、張り詰めていたその場の空気を、カラ
カラと突き崩した。

「うし、届いたわね」

作法に反して、勢いよく立ち上がった樹理が両手でダン!と、障子を開け放
つと、そこには紅白・朱金・金銀といった、色鮮やかな水引で美しく整えられ
ていたり、或いは鶴亀、尾をはね上げた鯛、松竹梅などの縁起物をかたどっ
た※御島台(おしまだい)などなど、贅を凝らした贈り物の山があった。

「っし! 光太郎、目録と※御舟(おふね)の手配は!?」
「おう、ばっちしよ!」
「運ぶ御次や御三の間たちと向こうの※部屋方(へやかた)たちへの祝儀も
準備したわね?」
「※直に金目のモン渡すよか、ず~っと粋なのばっか用意してきたぜ!」

俺らの御扶持米までぶっ込んだんだかんな!と、光太郎もどこか吹っ切れた
ように爽快で、ウキウキと楽しげな様子だった。彼の後ろで忙しそうに、行っ
たり来たりを繰り返しながら立ち働いている、山里の丸のお仕え人たちの表
情も、すべてを諦めたようないつもの乾いた表情と比較すれば、雲泥の差で
あった。久々にやり甲斐のある仕事を得て、彼ら・彼女らは魚が水を得たよう
に、キビキビとした動作であちらこちらと走り回っていた。

「よーしアンタたち、御台様と私と光太郎はちょっと相談しなきゃなんないこと
が有るからちょっと茶室行ってくるけど、その間もしっかりと頼んだわよ!?」

口々に「はい」、「承りまして」、「お任せ下さりませ」と頼もしく返してくる部下
たちをグルリと見渡し、満足気に大きく頷くと、樹理は自ら先触れを買って出、
「お通り遊ばす!」と叫びながら、幼馴染の男二人を茶室に連れて行った。
                       ・
                       ・
                       ・
「あっかばー、テメーの音楽性とやらはいつまで経ってもぜってー理解出来
ねーだろうと思ってたけどよぉ、今日これからオメーが聞くのはめっずらしく、
俺もお前も嬉しく思えることなんだぜ!」

だから心して聞けよーと、勿体ぶってスゥと深呼吸をした光太郎ではあった
が。

「……えっと、みだいさま……御台さまお焼き茄子、だっけか?」
「※“御台様御養ひ”(みだいさまおやしない)じゃ、この馬鹿たれがー!」

樹理が放り投げた柄杓は、光太郎がいつも、暇さえ有れば念入りに整えて
いる頭にカコンと軽い音ながら、その頭皮に容赦無くめり込んだ。

「……成程、つまり進の所に限らず、これから瀬那君の子として生まれてく
るやや子たちを皆、僕と瀬那君の子ということにする訳か」
「そ、表立っては誰も文句言ってこない。ってか、言える訳無いわ。たとえ御
実家が大身旗本でいらっしゃる進さまの御木からお生まれにになったところ
で、庶出ってことには変わり無いもん。けど宮家出の赤羽が嫡親になってあ
げれば、御世子さまなら箔が付くし、姫さまでも未来の将軍姉君ともなれば、
下手な所にはご縁付けられない以上、やっぱそれなりの後見があった方が、
後々いいに決まってるでしょ?」
「……」
「赤羽、色々思うところは有るだろうけどさ、ややさま方に非が有る訳じゃな
いんだし……」
「ああ、それに……瀬那君の、子だ」

久方振りに聞く御台所の穏やかな声音。それに彩られた言の葉を紡ぐ、薄
い唇の両端が、どちらかと言えば上を向いているように見えたのは、樹理と
光太郎の気のせいだったろうか。

「瀬那君の血を引くその子は、瀬那君の、一部……」

愛しい彼の一部が、この自分を親と慕う。さすればその本体とて、当然のこ
とながら──

「瀬那君はきっと、その子のことをとても、可愛がることだろうね……」

まるでその場景を本当に目の前にしているが如く、赤御台は歌うような呟き
を続ける。

「瀬那君が、己が一部を愛しく思うと言うのなら……」

昔はその価値を一顧だにすること無く、機嫌の悪い時などは、わざと片手で
持ち上げたりしたこともある※井戸(いど)の茶碗を、その時の御台所は恍
惚とした表情で、臙脂色の絹の古袱紗(こぶくさ)の上へ、普段なら信じられ
ないような恭しい所作で載せ、押し戴くようにして口をつけた。

コクリ──

白い喉が液体を嚥下する音は、その一瞬の茶室が静謐のみに支配されて
いたため、恐ろしいほどに趣深く響いた。

「どうして彼を愛するこの僕が、その一部を愛しく想わない筈があると言うん
だい?」

髪の一筋も血の一滴も、骨の一欠片まで、あの子のすべては僕と共に在る
べきなのだから。

ピチャリ……

濃茶で過度に濡れた唇。その片端からツゥ……と、雫が顎へと流れる様も、
名残惜しげになかなか茶碗から唇を離そうとしなかったことも、やっと離した
かと思えば、茶碗を次の光太郎に回そうとせず、飲み口さえ拭わぬまま膝
の上に置いてしまった赤御台は、単に作法に外れているだけでなく、そのあ
でやかな存在の何もかもが、恬淡とあるべき侘茶の精神にはまったくそぐわ
なかったが、この時茶室に在ったのは間違い無く、ある種の「美」であった。
                       ・
                       ・
                       ・
「この度は、姫君の御誕生、誠に、おめでとう……」

いつもは物憂げで抑揚が少なく、しかし淀みは無い低い美声が、その日に
限っては何やら、妙に歯切れが悪かった。

「あ……」

有難う御座いますと言いかけたところへ、蛭魔局から厳しく刺すような視線
を向けられて、将軍はコクリと頷くに留めた。これなら将軍の威厳は損なわ
れない。

「上さま、此度は姫君さまの御誕生、祝着至極に存じ奉り、我ら山里の丸付
きの者たちよりも心より御祝い申し上げまする。また本日は御台さまより、上
さま、姫君さま、進典侍お腹さまへのお心尽くしの御七夜祝いの御品々を持
参致しておりますれば、どうかご嘉納下されますよう」

祝いの言葉の後に続く言葉をすっかり忘れてしまった御台所に代わり、老女
の樹理が後を引き取って、弁舌爽やかに述べ立てた。

「これへ!」

パンパン!と、樹理が両手を叩くと御座の間へ、次々と御舟に乗せられた祝
いの品々が運び込まれてきた。

「お局さま、目録を上さまへ……」
「……考えやがったな、祝いのついでに御養いの件ってか」

蛭魔局の錐のように鋭い言葉へ、樹理は笑顔のみを返した。慌てたり、下手
な受け答えをして言質を取られてしまえば、後は局の思う壺だということを彼
女は、これまでの経験から身に沁みて知っていた。

(折角赤羽が自分からやる気になってくれたんだもん、今回は負けませんか
らね!)

素直でない上に人嫌い、風変わりな所ばかりではあったが、それでも樹理は
光太郎同様、赤毛の主を嫌いになることは出来なかった。
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