家の中にいると寒いと感じるこの頃、暖かそうな日差しを浴びている庭を見るとちょっと出てみたくなる。
そぞろ歩き(それほど広い庭でないけど気分だけ・・・)をしながらぎっしり植えられた木々を見ていると
小さな赤い実を見つけた。
庭の西の方の生け垣近くに植えられているイチイの木、葉ばかりを見ていたがふと下の方を覗き込んでみたら、
なんと柔らかそうな赤い実が日差しを受けて「見てね」と問いかけてきているようにかわいくなっていた。
イチイの木の葉は固いので、こんな柔らかな見ているだけでも解けそうになっている実に驚いた。
梅擬の実、今年は思いもかけないほどたくさんの実がなっている。
長年伸びきった枝を見ながらいつか剪定する時期が来たらいけばなを生けてみたいなぁ~と思いつつ10年も
たってしまった。
伸び放題に伸び、庭主に似て気ままに思うがままに伸びきっている枝を今日も首が痛くなるほど上を向いて眺めている。
今まで、何度も生けてみようと思うと、いつの間にかヒヨドリがきれいに食べてしまっているのです。
そういえばあれほど常連だっあヒヨドリが今年は一度も我が家に来ていない年だった。そのせいなのだろうか
梅擬の熟し加減が気に入らないのかいづれにしてもたくさん実が残っている。
いけばなをいけると決めて、意を決して剪定、いや切り取ってみる。でもやはり家にかかっている切らなければならない枝だけしか切れなかった。
これはバラを始めた頃、オールドローズから入った名残りのバラ(カニカ、ドックローズともいう)が今も庭になにげなく存在している。
春に咲く花は野バラに似た花だが色は薄いピンク色の花を咲かせる、春に花を見てから細々と伸びきった枝のこのバラを忘れてしまうのです。
下ばかりを向いて雑草整理をしている時に、間違って切ってしまいそうな存在のバラなんです。
しかし、秋になるとこうして赤い実で、その存在を私に示してくれるのです。
小さな雑木林風に作った庭、ある時期にそれを壊さなければならなかった。
その残った小さな庭にはやはり持ち主の大好きな木々が育っていた。
こんな散歩が大好きなのです。でもね、10分もかからない散歩なんですよ。
そぞろ歩き(それほど広い庭でないけど気分だけ・・・)をしながらぎっしり植えられた木々を見ていると
小さな赤い実を見つけた。
庭の西の方の生け垣近くに植えられているイチイの木、葉ばかりを見ていたがふと下の方を覗き込んでみたら、
なんと柔らかそうな赤い実が日差しを受けて「見てね」と問いかけてきているようにかわいくなっていた。
イチイの木の葉は固いので、こんな柔らかな見ているだけでも解けそうになっている実に驚いた。
梅擬の実、今年は思いもかけないほどたくさんの実がなっている。
長年伸びきった枝を見ながらいつか剪定する時期が来たらいけばなを生けてみたいなぁ~と思いつつ10年も
たってしまった。
伸び放題に伸び、庭主に似て気ままに思うがままに伸びきっている枝を今日も首が痛くなるほど上を向いて眺めている。
今まで、何度も生けてみようと思うと、いつの間にかヒヨドリがきれいに食べてしまっているのです。
そういえばあれほど常連だっあヒヨドリが今年は一度も我が家に来ていない年だった。そのせいなのだろうか
梅擬の熟し加減が気に入らないのかいづれにしてもたくさん実が残っている。
いけばなをいけると決めて、意を決して剪定、いや切り取ってみる。でもやはり家にかかっている切らなければならない枝だけしか切れなかった。
これはバラを始めた頃、オールドローズから入った名残りのバラ(カニカ、ドックローズともいう)が今も庭になにげなく存在している。
春に咲く花は野バラに似た花だが色は薄いピンク色の花を咲かせる、春に花を見てから細々と伸びきった枝のこのバラを忘れてしまうのです。
下ばかりを向いて雑草整理をしている時に、間違って切ってしまいそうな存在のバラなんです。
しかし、秋になるとこうして赤い実で、その存在を私に示してくれるのです。
小さな雑木林風に作った庭、ある時期にそれを壊さなければならなかった。
その残った小さな庭にはやはり持ち主の大好きな木々が育っていた。
こんな散歩が大好きなのです。でもね、10分もかからない散歩なんですよ。
実が食べられんですか~~~。
野鳥ね、地震以来めっきりと来なくなりました。スズメがやっと常連に、今年の冬は来てくれるかなぁーと期待しているのですがそれとももっと外へ出てみなさいとでも言っているのかしら・・・・・
実家の庭にもオンコの木があります。
子供のころはその実を食べるのも遊びのひとつでした。
メイさんの庭に野鳥が来るはずですね。