受信機の性能の指標としてよくダイナミックレンジという言葉が使われ、この受信機はあの受信機よりダイナミックレンジが広くて云々ということが言われたりするわけですが、では実際のところどのくらいダイナミックレンジがあればいいのかということはあまりよくわかっているわけでもなさそうです。ここで考えているダイナミックレンジとは、いわゆる3次相互変調歪みに関するダイナミックレンジ(IMD-DR Intermodulation-free Dynamic Range)のことです。これは、MDS(Minimum Discernible Signal = noise floor)と同じ強さの3次相互変調歪みを発生させる妨害信号のレベルと、MDSのレベルの電力の比で示されます。
これに関して3年ほど前のQEX誌に面白い記事がありました。
How much Dynamic range do we need?
G3RZP Peter Chadwick
QEX May/June 2002 pp.36
テストベンチで測定されるILDRは、同じレベルの2つの強力な信号を受信機に入力し、測定します。ところが、実際の受信環境では、多くの信号が存在するので、それらの組合せによる相互変調歪みの数も多くなるので、実際に受信しているバンド内にどれだけのレベルの信号がどのくらいの数存在するかを考慮しないと必要なダイナミックレンジは求めることができません。(ここでバンドと言っているのはだいたいRF段のBPFの帯域と考えて下さい)。
筆者は、次のような考えのもとに実際に必要なダイナミックレンジを求めようとしています。それは、
1. 感度は、MDSが実際のバンドのノイズレベルの10dB下であれば十分である。
つまりそこを必要なダイナミックレンジの下限とする
2. バンド内のもっとも強力な信号レベルを調べ、そのレベルの信号2つによって
生じる相互変調歪みが、実際のノイズレベルより10dB下であるような
ダイナミックレンジを受信機が持つとして、
3. そのような強力な信号が「非常に多くなければ」、その数は問題ではない。
つまり1,2から決まるダイナミックレンジで十分である。
というものです。
次にそれでは、どのくらいの数ならば「非常に多くない」のかが問題になるのですが、それに関しては次のような仮定というか想定をしています。
1. IM出力の数(この数は、相互変調を生み出す信号の数をnとすると0.5n(n-1)になる。
2. 1で求まるIMの数に測定帯域(IFの帯域です)の2倍を乗じたものが、測定を行なうバンドの帯域の10%より小さい、
というものです。これに従うと、(えーと途中面倒なので省きますが)測定対象のバンド幅が2MHzで、測定帯域幅が3kHzだとすると、0.5n(n-1) * 3 * 2 <2000 * 0.1が条件となり、これを解くとn <= 8ならOKということになります。
なぜこれが妥当な仮定と考えられるのか私にはいまひとつわかっていません(ここが一番大事なところのような気がするのですが、誰かわかる人がいたら教えて下さい!!)。だた、そのあとの実際の測定結果を見ると、実際の「強い信号」の数はかなり少ないので、問題はないのかなとは思うのですが。
以上の仮定のもとに、実際に各アマチュアバンドのノイズレベルと、そのバンド近辺に存在する強力な信号のレベルをある期間にわたって調査し、必要なダイナミックレンジを推定しようとするわけです。
彼の測定場所であるヨーロッパは強力な放送局が多く、もっとも厳しい環境だと言われています。また、彼のロケーションは郊外にありノイズレベルは比較的低いので、ダイナミックレンジという観点からは都会の局より高い性能が要求されることになります。
ノイズレベルの測定にはFT-102と校正されたSGとATTを、バンド内の信号の観測にはスペアナ(HP 141T)を使用し、アンテナは30mバンド以下ではダイポール等、20mバンド以上は4-5エレのモノバンド八木を使用しています。アンテナの高さは18mです。
予備調査で各バンドを調べた結果、(予想通り?)7MHz帯がもっとも厳しい条件であることがわかったそうです。そこで次に、7MHz帯で何日にもわたって測定を繰り返しました。その結果が以下の通りです。強力な信号の数は、強度を10dBごとに区切ってその範囲に入るものを数えています。たとえば「-10dBmから-20dBmの間の信号は3つ」などです。また、筆者はこの10dBごとの範囲のことを「ビン(bin)」と呼んでいます。
その7MHzでの結果は表1の通り。信号の数を調べる周波数帯は7MHzの+-1MHzの間です。時刻はUTC、イギリスですから現地時間と考えれば良いのでしょう。たとえば0200UTCでは、7MHzバンドのノイズレベルが-99dBmであり、7MHz+-1MHzの中に、-10~-20dBmのビンの中には信号が1つ、-20dBm~-30dBmのビンには12個、-30dBm~-40dBmのビンには12個あった
ということになります。
ちなみにS9 = 40dBuEMF = -73dBmとすると、-10dBmとはS9+63dBmです。
次にこの結果をもとに必要なダイナミックレンジ等を計算します。
たとえば0200UTCでは、最大強度のビンは-10dBm~-20dBmのビンである
わけですが、この範囲の信号はすべて-15dBmということに丸めます。
また、0200にはこの強度の信号は1つしか存在しないのですが、なるべく
ワーストケースを考えるため、1つしかなくても2つ存在するとして
生じる3次歪みを計算します。
一方ノイズレベルは-99dBmですから、必要な感度はその10dB下の-109dBmとなります。
3kHz帯域でNF(noise figure)に換算すると、-109 - (-140) = 31(dB)です。
必要なダイナミックレンジは-15 - (-109) = 94dBとなります。
この二つから外挿することによってIP3が計算できます。
IP3 = MDS + 3/2 IMDDR = -109 + 3/2 * 94 = +32dBm です。
より強力な信号が多くなる夕方1715UTCの場合についても最大のビンは
-10dBm~-20dBmでその中に5個の信号があります。
しかし、これは先の仮定によれば「非常に多い」には達していない(n <= 8)ので、
-15dBmの2つの信号が生じる3次歪みをもとに計算して良いことになります。
ですから、必要なダイナミックレンジは-15 - (-101) = 86dBです。
IP3は-101 + 3/2 * 86 = +28dBmとなります。
こうやって各時刻の受信状況における必要な感度、IP3、ダイナミックレンジは
下の表のようになります。
この結果から、ダイナミックレンジは100dBあれば十分であるという結論が得られます。
ということは、いわゆる実戦機、高級機と呼ばれているリグではだいたいダイナミックレンジは足りているということになります。ただし、ダイナミックレンジのスタートポイント(下端=MDS)は、そのときどきのノイズレベルに応じてATTを入れ、シフトさせてやらなければいけません。ATTを入れると、ダイナミックレンジはそのままで、ATTの減衰量の分だけ感度は下がり、逆にIP3が高くなります(よく見かけるダイナミックレンジを示すあのグラフがそのまま右側に移動するイメージです)。
つまり、リグの感度は十分に高いので、ATTを入れてやることによって、バンドのノイズレベルより十分高い感度を維持しながら、強入力特性を上げてやれば、範囲(レンジ)としては100dBで十分足りているよということを言っているわけです。
逆に言うと、ダイナミックレンジにあまり余裕のないリグを使っているときは、なるべくこまめにATTの量を調節して、最適な状態に持っていくことが重要だということになります。
最初の仮定のところをちゃんと理解できていないのに紹介するのもどうかと思ったのですが、こういう実際のデータを取った例というのはあまり見たことがなく、非常に興味深い記事だと思ったので紹介してみました。
また、この記事ではこれまで紹介した3次混変調歪みによるダイナミックレンジに加えて、フェーズノイズに起因するダイナミックレンジについても考察していて、そちらの方が厳しい場合があるということも書いているようなのですが、その辺はまたのちほど。
なお、私の解釈に間違い等ありましたら是非ご指摘ください。
これに関して3年ほど前のQEX誌に面白い記事がありました。
How much Dynamic range do we need?
G3RZP Peter Chadwick
QEX May/June 2002 pp.36
テストベンチで測定されるILDRは、同じレベルの2つの強力な信号を受信機に入力し、測定します。ところが、実際の受信環境では、多くの信号が存在するので、それらの組合せによる相互変調歪みの数も多くなるので、実際に受信しているバンド内にどれだけのレベルの信号がどのくらいの数存在するかを考慮しないと必要なダイナミックレンジは求めることができません。(ここでバンドと言っているのはだいたいRF段のBPFの帯域と考えて下さい)。
筆者は、次のような考えのもとに実際に必要なダイナミックレンジを求めようとしています。それは、
1. 感度は、MDSが実際のバンドのノイズレベルの10dB下であれば十分である。
つまりそこを必要なダイナミックレンジの下限とする
2. バンド内のもっとも強力な信号レベルを調べ、そのレベルの信号2つによって
生じる相互変調歪みが、実際のノイズレベルより10dB下であるような
ダイナミックレンジを受信機が持つとして、
3. そのような強力な信号が「非常に多くなければ」、その数は問題ではない。
つまり1,2から決まるダイナミックレンジで十分である。
というものです。
次にそれでは、どのくらいの数ならば「非常に多くない」のかが問題になるのですが、それに関しては次のような仮定というか想定をしています。
1. IM出力の数(この数は、相互変調を生み出す信号の数をnとすると0.5n(n-1)になる。
2. 1で求まるIMの数に測定帯域(IFの帯域です)の2倍を乗じたものが、測定を行なうバンドの帯域の10%より小さい、
というものです。これに従うと、(えーと途中面倒なので省きますが)測定対象のバンド幅が2MHzで、測定帯域幅が3kHzだとすると、0.5n(n-1) * 3 * 2 <2000 * 0.1が条件となり、これを解くとn <= 8ならOKということになります。
なぜこれが妥当な仮定と考えられるのか私にはいまひとつわかっていません(ここが一番大事なところのような気がするのですが、誰かわかる人がいたら教えて下さい!!)。だた、そのあとの実際の測定結果を見ると、実際の「強い信号」の数はかなり少ないので、問題はないのかなとは思うのですが。
以上の仮定のもとに、実際に各アマチュアバンドのノイズレベルと、そのバンド近辺に存在する強力な信号のレベルをある期間にわたって調査し、必要なダイナミックレンジを推定しようとするわけです。
彼の測定場所であるヨーロッパは強力な放送局が多く、もっとも厳しい環境だと言われています。また、彼のロケーションは郊外にありノイズレベルは比較的低いので、ダイナミックレンジという観点からは都会の局より高い性能が要求されることになります。
ノイズレベルの測定にはFT-102と校正されたSGとATTを、バンド内の信号の観測にはスペアナ(HP 141T)を使用し、アンテナは30mバンド以下ではダイポール等、20mバンド以上は4-5エレのモノバンド八木を使用しています。アンテナの高さは18mです。
予備調査で各バンドを調べた結果、(予想通り?)7MHz帯がもっとも厳しい条件であることがわかったそうです。そこで次に、7MHz帯で何日にもわたって測定を繰り返しました。その結果が以下の通りです。強力な信号の数は、強度を10dBごとに区切ってその範囲に入るものを数えています。たとえば「-10dBmから-20dBmの間の信号は3つ」などです。また、筆者はこの10dBごとの範囲のことを「ビン(bin)」と呼んでいます。
その7MHzでの結果は表1の通り。信号の数を調べる周波数帯は7MHzの+-1MHzの間です。時刻はUTC、イギリスですから現地時間と考えれば良いのでしょう。たとえば0200UTCでは、7MHzバンドのノイズレベルが-99dBmであり、7MHz+-1MHzの中に、-10~-20dBmのビンの中には信号が1つ、-20dBm~-30dBmのビンには12個、-30dBm~-40dBmのビンには12個あった
ということになります。
ちなみにS9 = 40dBuEMF = -73dBmとすると、-10dBmとはS9+63dBmです。
---------------------------------------------------------- Table1 (QEX誌より転載) UTC Noise Level Number of Signals (dBm) -10 to -20dBm -20 to -30dBm -30 to -40dBm 0200 -99 1 12 12 0615 -105 0 1 4 1445 -105 0 1 1 1500 -108 0 2 2 1545 -106 0 0 2 1645 -97 1 3 16 1715 -91 5 5 20 1745 -98 2 3 23 1815 -99 2 8 23 1945 -97 1 4 18 2000 -97 3 13 5 2045 -91 2 6 27 2050 -94 2 12 23 2145 -106 0 6 25 2200 -97 1 3 23 2230 -99 1 12 10 2255 -101 2 5 7 ----------------------------------------------------------
次にこの結果をもとに必要なダイナミックレンジ等を計算します。
たとえば0200UTCでは、最大強度のビンは-10dBm~-20dBmのビンである
わけですが、この範囲の信号はすべて-15dBmということに丸めます。
また、0200にはこの強度の信号は1つしか存在しないのですが、なるべく
ワーストケースを考えるため、1つしかなくても2つ存在するとして
生じる3次歪みを計算します。
一方ノイズレベルは-99dBmですから、必要な感度はその10dB下の-109dBmとなります。
3kHz帯域でNF(noise figure)に換算すると、-109 - (-140) = 31(dB)です。
必要なダイナミックレンジは-15 - (-109) = 94dBとなります。
この二つから外挿することによってIP3が計算できます。
IP3 = MDS + 3/2 IMDDR = -109 + 3/2 * 94 = +32dBm です。
より強力な信号が多くなる夕方1715UTCの場合についても最大のビンは
-10dBm~-20dBmでその中に5個の信号があります。
しかし、これは先の仮定によれば「非常に多い」には達していない(n <= 8)ので、
-15dBmの2つの信号が生じる3次歪みをもとに計算して良いことになります。
ですから、必要なダイナミックレンジは-15 - (-101) = 86dBです。
IP3は-101 + 3/2 * 86 = +28dBmとなります。
こうやって各時刻の受信状況における必要な感度、IP3、ダイナミックレンジは
下の表のようになります。
---------------------------------------------------------- Table 2 IP3, Noise Figure and ILDR Requirements for 7 MHz (QEX誌より転載) Noise NF(dB) IP3 (dBm) Dynamic Range UTC Level(dBm) Required Required Required (dB) 0200 -99 31 +32 94 0615 -105 25 +20 90 1445 -105 25 +20 90 1500 -108 22 +21.5 93 1545 -106 24 +5.5 82 1645 -97 33 +36 95 1715 -91 39 +28 86 1745 -98 32 +31.5 93 1815 -99 31 +32 94 1945 -97 33 +31 92 2000 -97 33 +31 92 2045 -91 39 +28 86 2050 -94 36 +29 89 2145 -106 24 +20.5 91 2200 -97 33 +31 92 2230 -99 31 +32 94 2255 -101 29 +33 96 ----------------------------------------------------------
この結果から、ダイナミックレンジは100dBあれば十分であるという結論が得られます。
ということは、いわゆる実戦機、高級機と呼ばれているリグではだいたいダイナミックレンジは足りているということになります。ただし、ダイナミックレンジのスタートポイント(下端=MDS)は、そのときどきのノイズレベルに応じてATTを入れ、シフトさせてやらなければいけません。ATTを入れると、ダイナミックレンジはそのままで、ATTの減衰量の分だけ感度は下がり、逆にIP3が高くなります(よく見かけるダイナミックレンジを示すあのグラフがそのまま右側に移動するイメージです)。
つまり、リグの感度は十分に高いので、ATTを入れてやることによって、バンドのノイズレベルより十分高い感度を維持しながら、強入力特性を上げてやれば、範囲(レンジ)としては100dBで十分足りているよということを言っているわけです。
逆に言うと、ダイナミックレンジにあまり余裕のないリグを使っているときは、なるべくこまめにATTの量を調節して、最適な状態に持っていくことが重要だということになります。
最初の仮定のところをちゃんと理解できていないのに紹介するのもどうかと思ったのですが、こういう実際のデータを取った例というのはあまり見たことがなく、非常に興味深い記事だと思ったので紹介してみました。
また、この記事ではこれまで紹介した3次混変調歪みによるダイナミックレンジに加えて、フェーズノイズに起因するダイナミックレンジについても考察していて、そちらの方が厳しい場合があるということも書いているようなのですが、その辺はまたのちほど。
なお、私の解釈に間違い等ありましたら是非ご指摘ください。
> 逆に言うと、ダイナミックレンジにあまり余裕のないリグを使っているときは、なるべくこまめにATTの量を調節して、最適な状態に持っていくことが重要だということになります。
私が読んでみた理解では、ダイナミックレンジにあまり余裕のないリグを使っているときは...というよりも、普通のリグは通常十分なダイナミックレンジを持っているんだけれども、こまめなATTの調整が必要条件だよ、と言っているんだと思いました。"greater operator skill is required" とも言ってるし。
> IMの数に測定帯域(IFの帯域です)の2倍を乗じたものが、測定を行なうバンドの帯域の10%より小さい
この仮定ですが、IM同士が同じ周波数に重ならない条件ではないかと思います。IM同士に重なるものがあると、その周波数ではよりレベルの高いIM(2つ重なれば+3dB)が生じることになり、必要とするダイナミックレンジもそれに応じて大きくなくてはならないでしょう。
2信号から生じるIMの帯域はもとの信号の帯域の2倍になるので、記事の中で測定帯域と言ってるものが入ってくる信号の帯域のことと考ると、測定帯域の2倍というのはIMの帯域ということになって、これにIMの数をかければIMの総帯域ということになる。仮にこれが全バンド帯域の10%以下だとすると、IMの中で同じ周波数に重なっているものはほとんどないだろう、と言う仮定ではないかということです。
ところでIMの数は0.5n(n-1)ということですが、IMは上側と下側と2つできるのでn(n-1)ではないかと思ったんですが違うでしょうか?
>私が読んでみた理解では、ダイナミックレンジにあまり余裕のないリグを使っているときは...というよりも、普通のリグは通常十分なダイナミックレンジを持っているんだけれども、こまめなATTの調整が必要条件だよ、と言っているんだと思いました。
なんか蛇足だったかな。まったくその通りです。レンジとしてはほぼ十分だけど余裕があるわけじゃないので、ATTで調整する必要があると。通常市販のリグについている6dBとかよりももっと細かく調整することが必要であると言ってますね。
確かにそうですね。この0.5n(n-1)には参考文献が示されていますが、残念ながらそれは入手できませんでした。さらに、Chadwick氏が書いている別の文献では「通常、2f_a - f_b のIMを問題にするけれど、実際の環境では f_a + f_b - f_c のIMが発生して、それの方が数が多くなる」と書いてあって、結局IMの数は
n(n-1) + 0.5n(n-1)(n-2) = 0.5n^2・(n-1)
で与えられるとの記述があります。うーむ。