松江人の日帰り登山

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東比田へ

2022-05-24 | 風物詩

2年前から資料を集めていた安来市広瀬町東比田にある坊床の歴史。4月に資料集ファイルを東比田交流センターへ持参したが、もう少し資料を付け加えたくなって、再度写真撮影を兼て東比田へ出かけた。
5/22(日)
未だ訪れたことのない角力庭すもうにわへ行ってみることにした。休日ということもあって、サイクリング車で走る若者を何人も見かける。国道432号線から県道274号線に入り、途中の標識の無い市道を奥に入る。前谷川に沿って、田植えの済んだ田んぼを見ながらどんどん進むと突然開けた盆地に出た。車で走ること2.3kmで一番奥の民家、坊床道の半分の距離。その手前で軽トラのおじさんと話しておられた人に坊床開拓のころのことを聞く。手前3軒目の方だそうで、終戦後に12人の開拓団員と団長がここから尾根を越えて坊床まで建築資材を運んだこと、自分の家に彼らが寄宿していたこと、自分たちも坊床に住んでいたことがあるなど話された。家の前には、田んぼだった所に水を引き入れてドジョウを養殖されている。坊床も広々とした盆地だが、角力庭は田んぼが広がり、空が明るい。角力庭は3軒の農家があるだけののどかな盆地集落で、「寂しくないですか?」と聞いてみたら「うん~あるけど、いい所」。
引き返して県道に戻り、坊床に行ってみようとしたが、入口に「工事関係者以外はご遠慮ください」の看板。奥に入るのを止めて道城集落に行き、Fさんに会って聞いてみると、再び坊床の伐採作業が始まっているとのこと。つい先ごろ、坊床で若者たちがレーザービーム銃遊びをやっていて火薬を使ったらしく、その火が草に燃え移り、防災ヘリが飛んで来るという騒ぎがあったという。ニュースでも流したようだが私は知らなかった。
要害山の入口まで案内してもらったが、イノシシの侵入を防ぐ柵扉から奥へは太い竹が倒れていたりして荒れており、入ることは諦めた。未整備の、忘れ去られてしまったような山である。
5/24(火)
パソコンの写真ファイルを見たら要害山の写真を撮ってないことが分かり、暑いけれど撮影に出かけた。写真を撮れば「坊床資料集」を完成させることができる。要害山や案内板を撮影したが、住人の姿を見たのは近所のお婆さん1人だけ、静まり返った道城であった。


角力庭集落の一番奥にある民家 左奥の山を越えれば坊床 


赤い屋根の建物に開拓団先遣隊が寝起きしていた 手前はドジョウの養殖池(元は田んぼ)


一番奥の民家前に咲いていた花 何という花? 園芸種?


無量寺の前にある要害山の案内板 山へはこの裏から入るが未整備で登山不可


要害山の城名は「松本山靎ヶ城とびがじょう」とある 一般的には「道分城」