「高校授業料無償化」問題で注目を集めた朝鮮学校については、日本社会におけるその独自性から、これまでさまざまな形で論じられてきました。そのなかでも本書は、「高校無償化」問題を切り口にしながら、朝鮮学校における「教育を受ける権利」について、体系的に整理されたものです。タイトルにもある通り、高校「無償化」問題を受けて書かれたものではあるものの、この問題を「政治論ではなく、権利論として」捉えたことで、「無償化」問題や朝鮮学校にとどまらない、外国人学校一般に関わる権利課題まで展望しています。
本書は、全5章から構成されています。第1章で朝鮮学校に関する基礎知識等を確認したのち、第2章では、朝鮮学校とその生徒たちが本来享受すべき「教育を受ける権利」の権利性を、憲法や日本の国内法、国際人権法から明らかにしています。そのうえで第3章では、朝鮮学校をめぐる、残された権利課題を細かく整理しています。そして、第4章で朝鮮学校の歴史を簡単にまとめたあと、最終章では今後の権利課題の展望を描いています。1章や4章は、初学者の導入としても、わかりやすく書かれている一方、全体としても明快な権利論が丁寧に展開されています。
著者によれば、朝鮮学校をめぐる「教育を受ける権利」は、5つの法理から導出されます。つまり、「日本国憲法による教育を受ける権利の保障の法理」、「国際人権法による教育を受ける権利の保障の法理」、「日本の学校に類する学校の実態に見合った処遇という法理」、「在日朝鮮人の納税実態に即して処遇されるべきという法理」、「在日朝鮮人の歴史的経緯と被害回復という法理」です。これらのそれぞれ異なったフェーズの論点から、主要な学説や判例、行政実務、国際機関の勧告等を引用しながら、客観的かつ具体的に権利論が構成されていることで、各種の俗論的な反対論が網羅的に論破されるとともに、本来あるべき権利保障の水準が見えてきます。
こうした権利論を踏まえたうえで、著者は、幼稚園から大学校まで、教育段階別の権利課題を示しています。このうち、すべての教育段階に共通の権利課題としては、地方自治体による公的補助の増額と税制上の差別的取り扱い撤廃の2つに大別できるとされます。しかし、それ以外にも、スクールゾーンの設定や、学校健康診断への補助、奨学金制度、部活の公式記録認定、さらには耐震対策への補助など、学校生活のさまざまな場面における差別的処遇が指摘されています。これまで、朝鮮学校は、地方自治体から各種学校として認定されたことからはじまり、公的補助の実現、大学受験資格の(個別)認定、部活動の公式大会への参加、JR定期券の購入資格の獲得など、多くの権利課題を、運動によってひとつずつ克服してきましたが、残される課題は、高校「無償化」の実現にとどまらず、多岐にわたっています。
他方、外国人学校全体への処遇改善という視点から見たとき、高校「無償化」制度の大きな意義が指摘されます。つまり、高校「無償化」制度によって、阪神・淡路大震災のときの例外を除き、初めて外国人学校に対する国庫からの公的補助が実現したこと、各種学校である外国人学校の法的位置づけが事実上向上したことです。その他にも、近年になって、「多民族多文化共生社会」の理念から、外国人学校への制度的保障を求める提案や提言が活発になされていることや、経済界の圧力から、インターナショナル・スクールの大幅な処遇改善が実現したこと、国連の人権保障機関からインパクトのある勧告が出されていること、旧植民地支配の被害回復という国際法上の義務があることなど、権利保障への展望が描かれています。
本書では、「教育を受ける権利」の権利性からはじまり、現在の具体的な課題、歴史的経緯、今後の展望と章立てされていることで、説得力のある議論が展開されているとともに、高校「無償化」問題をはじめとした現在の権利課題の示す歴史的な意味が明らかになっています。残された権利課題が詳細に整理されている部分からは、個別具体的な課題の克服だけでなく、日本社会における外国人学校に対する考え方の根本的な転換の必要が浮かび上がってきます。高校「無償化」の実現は、その前提にすぎません。
著者も強調しているように、「人権」の普遍的な正当性が承認されているはずの日本社会において、高校生から「学ぶ権利」や「差別」の訴えが発せられていることの意味は、とても重大です。「無償化」問題にとどまらず、他の多くの社会問題と同様に、絶対的に尊重されるべき「権利」が、「政治」の論理で圧殺されてしまっている構図が、ここにはあるのです。
本書は、全5章から構成されています。第1章で朝鮮学校に関する基礎知識等を確認したのち、第2章では、朝鮮学校とその生徒たちが本来享受すべき「教育を受ける権利」の権利性を、憲法や日本の国内法、国際人権法から明らかにしています。そのうえで第3章では、朝鮮学校をめぐる、残された権利課題を細かく整理しています。そして、第4章で朝鮮学校の歴史を簡単にまとめたあと、最終章では今後の権利課題の展望を描いています。1章や4章は、初学者の導入としても、わかりやすく書かれている一方、全体としても明快な権利論が丁寧に展開されています。
著者によれば、朝鮮学校をめぐる「教育を受ける権利」は、5つの法理から導出されます。つまり、「日本国憲法による教育を受ける権利の保障の法理」、「国際人権法による教育を受ける権利の保障の法理」、「日本の学校に類する学校の実態に見合った処遇という法理」、「在日朝鮮人の納税実態に即して処遇されるべきという法理」、「在日朝鮮人の歴史的経緯と被害回復という法理」です。これらのそれぞれ異なったフェーズの論点から、主要な学説や判例、行政実務、国際機関の勧告等を引用しながら、客観的かつ具体的に権利論が構成されていることで、各種の俗論的な反対論が網羅的に論破されるとともに、本来あるべき権利保障の水準が見えてきます。
こうした権利論を踏まえたうえで、著者は、幼稚園から大学校まで、教育段階別の権利課題を示しています。このうち、すべての教育段階に共通の権利課題としては、地方自治体による公的補助の増額と税制上の差別的取り扱い撤廃の2つに大別できるとされます。しかし、それ以外にも、スクールゾーンの設定や、学校健康診断への補助、奨学金制度、部活の公式記録認定、さらには耐震対策への補助など、学校生活のさまざまな場面における差別的処遇が指摘されています。これまで、朝鮮学校は、地方自治体から各種学校として認定されたことからはじまり、公的補助の実現、大学受験資格の(個別)認定、部活動の公式大会への参加、JR定期券の購入資格の獲得など、多くの権利課題を、運動によってひとつずつ克服してきましたが、残される課題は、高校「無償化」の実現にとどまらず、多岐にわたっています。
他方、外国人学校全体への処遇改善という視点から見たとき、高校「無償化」制度の大きな意義が指摘されます。つまり、高校「無償化」制度によって、阪神・淡路大震災のときの例外を除き、初めて外国人学校に対する国庫からの公的補助が実現したこと、各種学校である外国人学校の法的位置づけが事実上向上したことです。その他にも、近年になって、「多民族多文化共生社会」の理念から、外国人学校への制度的保障を求める提案や提言が活発になされていることや、経済界の圧力から、インターナショナル・スクールの大幅な処遇改善が実現したこと、国連の人権保障機関からインパクトのある勧告が出されていること、旧植民地支配の被害回復という国際法上の義務があることなど、権利保障への展望が描かれています。
本書では、「教育を受ける権利」の権利性からはじまり、現在の具体的な課題、歴史的経緯、今後の展望と章立てされていることで、説得力のある議論が展開されているとともに、高校「無償化」問題をはじめとした現在の権利課題の示す歴史的な意味が明らかになっています。残された権利課題が詳細に整理されている部分からは、個別具体的な課題の克服だけでなく、日本社会における外国人学校に対する考え方の根本的な転換の必要が浮かび上がってきます。高校「無償化」の実現は、その前提にすぎません。
著者も強調しているように、「人権」の普遍的な正当性が承認されているはずの日本社会において、高校生から「学ぶ権利」や「差別」の訴えが発せられていることの意味は、とても重大です。「無償化」問題にとどまらず、他の多くの社会問題と同様に、絶対的に尊重されるべき「権利」が、「政治」の論理で圧殺されてしまっている構図が、ここにはあるのです。