Say Anything!

セイピースプロジェクトのブログ

八重山教科書問題から見える教育の「危機」

2011年10月02日 | 東アジア情勢・歴史問題
1.はじめに

 八重山地区の教科書採択をめぐる議論が混迷を極めている。沖縄県石垣市・竹富町・与那国町で構成される教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)は、2012年度から4年間、地区内の中学校で使用する教科書について協議を行い、公民の教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版「新しいみんなの公民」を選定した。しかし、選定通り育鵬社版教科書を採択した石垣市・与那国町に対し、竹富町は不採択の意向を貫き、9月8日に行われた3市町の全教育委員による協議では、多数決で育鵬社版教科書を採択しないことが決定された。
 ところが、8日の協議結果に対し、石垣・与那国の両教育長が反発しているほか、中川正春文部科学相も協議は整っていないとの認識を示すなど、事態は一向に収束の見通しが立っていない。今回の八重山教科書問題をめぐっては、教科書採択に関する法律の不備が指摘されることが多いが、単なる制度上の不備に留まらない重要な論点が存在する。
 本稿では、八重山教科書問題をめぐる流れや問題点を具体的に検討しつつ、今回の問題が沖縄社会ひいては日本社会に及ぼす影響についても論じていきたい。


2.八重山教科書問題の経緯


 まず議論の前提として、八重山教科書採択をめぐる流れを簡単に押さえておこう。八重山採択地区協議会の玉津会長は今回の教科書採択を見据え、協議会の大幅な「改革」を実施した。具体的には、協議会委員から学校現場の経験がある教育委員会の専門職員などを外し、必ずしも学校現場の経験がない教育委員や学識経験者などを協議会委員に加えた。さらに、専門性の高い調査員による推薦教科書の「順位付け」を廃止するとともに順位のない「複数推薦」を採用し、調査員の推薦の有無に関わらず、協議会の責任と権限によって教科書を選ぶとしていた。実際、調査員による推薦教科書の報告書には、今回選定された育鵬社版公民教科書は入っていない上に、問題点として「沖縄の米軍基地に関する記述がまったくない」といった14意見が列挙されている(「沖縄タイムス」11年8月25日http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-08-25_22546/)。
 8月23日の協議会では8人の協議会委員が密室で議論を交わし、無記名投票の結果、公民科については育鵬社版公民教科書が最多の5票を獲得し選定され、歴史科でも育鵬社版が3票を獲得し、4票で選定された帝国書院版に肉薄した。23日の教科書選定をめぐっては、与那国町の崎原用能教育長と具志堅学子教育委員との間で育鵬社版社会科教科書に投票することで事前合意し、玉津会長に報告していたことが後に明らかになっている(「沖縄タイムス」11年8月30日http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-08-30_22751/)。教科書の選定を受けて協議会は、各自治体に答申を行い、石垣市・与那国町の教育委員会は答申通りに育鵬社版を採択した。一方、竹富町教育委員会は全会一致で育鵬社版を採択しないことを決定し、8月31日に行われた3教育長による役員会も決裂した。
 議論の決裂を受けて急遽開催された3市町の全教育委員による地区教育委員協会(会長・仲本英立石垣市教育委員長)の会合では、与那国町の崎原教育長が会場を退席する中、12人の教育委員のうち8人が東京書籍版を推し、育鵬社版を不採択とすることが決定された。この協議結果に対して玉津石垣市教育長や崎原与那国町教育長は反発し、文科省宛てに協議の無効を訴える文書を送付、中川文科相もこれを受けて協議は無効との認識を示している。一方、各自治体の教育委員会を束ねる3教育委員長は、協議は「有効」とし、玉津・崎原両教育長が文科省に提出した文書は、「教育委員会の議を経ておらず、公務文書としての機能を有しない」と指摘している(「沖縄タイムス」11年9月16日http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-16_23486/)。
 今回の育鵬社版教科書選定に対し、世論も厳しい目を向けている。県内外の教育関係者や団体、保護者などが育鵬社版教科書採択に反対の声を上げているほか、琉球新報が八重山3市町を対象に行った世論調査(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181358-storytopic-238.html)でも、「つくる会」系教科書採択について、「絶対に採択してはならない」「あまり採択してほしくない」という回答が合わせて61.3%に達し、「採択してもよい」「ぜひ採択してほしい」と回答した人の割合は22%に留まっている。育鵬社版教科書を採択した石垣市・与那国町でも「反対」が「賛成」を大きく上回り、民意とかけ離れた採択がなされた実態が浮き彫りとなっている。


3.育鵬社版教科書の問題点


 ここで、育鵬社版教科書の内容と問題点を確認しておきたい。採択をめぐり議論が紛糾している育鵬社版「新しいみんなの公民」は、これまでの歴史教科書を「自虐的」だとして非難する「新しい歴史教科書をつくる会」系の出版社・扶桑社を継承する育鵬社が新たに出版した教科書である。愛国心や国粋主義などに重点を置いた記述が特徴で、とりわけ自衛隊に関しては、戦車や戦闘機といった装備、災害派遣の様子などを写真を用いつつ掲載した上で、「多くの国民が自衛隊の存在を肯定的にとらえている」と記述している。一方、在沖米軍基地問題については本文中で全く触れられず、写真と数行の説明のみに留まっている。
 「男女の平等」については、「男女の性差を認めた上で、それぞれの役割を尊重しようとする態度も大切」とし、性別役割分業を肯定するような記述があるほか、憲法第14条に規定される「法の下の平等」についても、「すべてのちがいをとりはらった絶対的な平等を保障するもの」ではなく「行きすぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性をうばってしまう」としている。また、職場における賃金格差といった現実に存在する女性の不平等についても全く触れられていない。
 「原子力発電」についても、「安全性や放射性廃棄物の処理・処分に配慮しながら、増大するエネルギー需要をまかなうものとして期待されています」とし、原発推進の立場を明確にしている。


4.八重山教科書問題採択の狙い

 以上、八重山教科書問題の経緯や育鵬社版教科書の問題点などについて論じてきた。ここでは、「なぜ八重山で「つくる会」系教科書の採択が目指されているのか」という問題について考えていきたい。それを考える上では、八重山地域の特有の文脈を理解することはもちろん、近年の日本の軍事大国化との関連から問題を捉えることが非常に重要である。
 日本の軍事大国化の流れは、冷戦終結後の90年代から除々に活発化し、以降、軍事大国化を妨げる様々な困難の打破が目指されるようになった。ここでは詳細まで説明することはできないが、日本の軍事大国化を促した大きな要因は、冷戦後の米国の世界戦略の圧力と日本企業のグローバル化の進展である。米国は、社会主義圏の崩壊によって一気に拡大したグローバル市場秩序の維持・拡大のため、NATOや日本を始めとする同盟諸国に対し、米国の戦略への同調と負担分担を求めるようになった。加えて、80年代に怒涛の勢いで始まった日本企業の海外進出も、財界の中に自衛隊の海外プレゼンスの拡大を主軸とした軍事大国化の要求を強める結果となった。
 「つくる会」系の教科書改ざんを目指す歴史修正主義運動は、それ自体としては「草の根」右派運動として進められてきた側面があるが、以上のような軍事大国化を実現しようとする政治家などが「つくる会」系の歴史修正主義運動の政治的効果を利用しようとして目をつけ、支援してきた。日本の軍事大国化をスムーズに進行させ、国家の軍事政策へ市民を動員するために、教育における愛国心や戦争賛美の強調が行われ、また、教科書採択を梃子とした教育に対する政治の介入が進められようとしているのである。
 そのように考えれば、八重山地域で育鵬社版教科書の採択が目指されている理由も自ずから明らかである。八重山地域は現在、東アジア諸国との紛争状況と密接に関わっている。中国との大きな火種となっている尖閣諸島は石垣市の「市域」であるとされており、与那国島には陸上自衛隊の「沿岸監視部隊」(100人規模程度)の配備が追求されているほか、米掃海艦の拠点化を目指す主張も公然と語られている(「沖縄タイムス」11年9月15日http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-15_23435/)。八重山地域は、日米双方から軍事的にきわめて重要な位置として位置付けられているのである。八重山で育鵬社版教科書採択が目指されている背景に、八重山地域の軍事拠点化を強力に推し進めようとする右派政治家や官僚らの意図があると見るべきであろう。育鵬社版教科書を通じて、八重山地域の人々が持つ「軍隊」への不信を「払拭」し、自衛隊配備をスムーズに実現することが目指されていると見ることができる。
 日本の軍事大国化を目指す勢力にとって、「軍隊」を嫌悪する強固な沖縄世論の切り崩しは積年の課題であった。2007年にも、高校用歴史教科書の沖縄戦「集団自決」記述から軍強制記述を削除する検定が問題となったが、沖縄県民はこういった動きに対し、11万人規模の県民大会で抗議の意思を示している。今回の教科書問題には、教科書採択を通じて、強固な沖縄の反戦世論を突き崩そうとする流れが背景にあるのである。


5.おわりに

 以上、八重山教科書問題について、具体的な経緯を踏まえつつ論じてきた。今回の問題が沖縄社会にもたらした事態は、露骨な中央からの介入により、地域に根差した教育のあり方が著しく歪められている事態である。そして、その狙いは明白である。高橋哲哉東京大学大学院教授(哲学)が著書『「心」と戦争』で論じているように、公教育の場は、国家の戦争を支える「国民精神」を創造する上で非常に大きな役割を果たしてきた。八重山地方で育鵬社版教科書の採択が狙われていることは、「中国の脅威」が声高に叫ばれる中で、自衛隊配備の最前線として位置付けられている地域に対して、国家の軍事政策への協力的世論を作り出そうとする意図が働いているのである。
 今後、文科省がどのような対応をとるかは未だ予断を許さない状況にあるが、国側が求めている再協議の場が実現する見通しは低く、国側が一方的に見解を表明して事態の「収束」が図られる可能性も十分考えられる。いま私たちに求められているのは、教育への国家の介入の危険性や狙いを正確に把握し、上から押し付けられた教育ではない、真に地域に根差した教育のあり方を模索することである。先の琉球新報の世論調査からも、八重山地域の住民は後者を望んでいることは明らかだ。八重山地域の住民の声に、私たち本土社会の側も応えていかなければならない。


最新の画像もっと見る