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充電日記     

オフな話で一息を。

旧明宝村博物館

2013年04月07日 | 


・先週は、旧明宝村博物館にも行ってきたのでした。現在は、明宝歴史民俗資料館。まぁ、よくある、昔の農機具とかを集めて展示してるだけのところですし、そうも思っていたので今まで行かないでいたのでした。

・が、が、が。所蔵点数47000点。これはどう考えても、この手の資料館の常軌を逸しています。普通なら、せいぜい数百点どまりでしょう。基本的には明宝村一村のモノの集積なんですが、このくらい集まるとどういうことが起こるか。国指定の重要有形民俗文化財に2つも指定されたりします(明方~と奥美濃~)。最近見かける「登録文化財」というのは、持ち主側から文化庁に指定を持ちかけるものですが、国指定は逆。国から指定にくる(でいいかな)。



・なので、農山村関係のものだけでなく、書籍もどーんとあったりします。館自体は古い小学校をメンテナンスして(特に、直射日光をきらって窓をふさぐなど)使っていますが、書籍・文書だけでも教室1つ分をあてるほどです。



・そのなかに、江戸時代の節用集も、最低5点は見つけることができました。なかでも『真草二行節用集』寛文三年刊本は、ここと石川県歴史博物館にしかないものです。しかも、石川県のよりも状態がいい。

・これからはどしどし、この種の資料館に出かけねば。そう決意させる物件でした。

追記)
・同じもの、似たものは収蔵しないのが普通のありようでしょうが、重複をいとわず集めることが利点を生んでいるように思います。唐箕もいくつかありましたが、年記のあるものでは日本で二番目に古いものが収蔵されてるとか。生活史の重要な資料ともなり、古くなった建物の有効活用ともなるので、他の市町村でもやってほしいなぁ。




若人よ、拾いたまえ!

2012年12月12日 | 
 

・岐阜大学生協で、岩波書店フェア。100円コーナーも出現した。私の学生時代にこんな企画があったら箱買いしてた(と思う。きっと)。

・10冊ほど拾うつもりになったけれど、はっと我に帰る。学生優先でしょう、と。今度行ってごっそり残ってたら、覚悟するがいい! 公費で買ってやる!!

・「読書とは自分さがしの旅である」と1年生には言い続けて、読書のススメをしているけれど、効果のほどはどうかな。自分とはどんな人間であるかを知るために多読し(乱読でもなんでもいい)、書かれている内容に、共感するのか拒否するのか感動するのか死にたくなるのか……を見極めることでアイデンティティを形成すればいい。「中2病」で変な行動をとるより、ずっとましだ。

・その機会が100円で得られる幸せ。100円とはいえ、自分の財布を痛めた本は愛着度もちがうだろうから、ぜひ、手にとってほしいんだよね(というような、組織的な宣伝を生協にもしてほしいが、さて)。

さて、土曜日は……

2012年08月10日 | 
・採点も終わり、ほっと一息。

・土曜日はカミサンもいないから、カラオケ同好会のメンバーをさそって軽く御礼ドライブでもと思ってました。岐阜もこんなところとか、道の駅2~3個所とか、鍾馗の里とか、レトロな駅とか、いろいろありますよツアーで労をねぎらう……

・と、好事魔多し、カミサンから電話。11日から京都・糺ノ森で古本市があるじゃないの、と。ああ、すっかり忘れてました。来週くらいに思ってた。

・どーしますかねぇ。最近、京都の古本市に行っても、収穫が少なくなってきたから、ちと腰、重し。メンバーのみなさんの都合次第にするか。御連絡ください。(笑)

失せ物・忘れ物のさがしの定式化

2012年08月09日 | 
・図書館に返しそびれて、行方不明になっていた本、出てきました。

・おぼろげな記憶をさかのぼると、講義の帰りに図書を返すことが、あるいはそうしようとしたことが、何度かあったように思えてきた。手に持てば忘れまいが、資料が多いときなどは生協の紙袋に入れる。そこに本も入れたまま、放置してしまってはいまいか…… 案の定、出てきたというわけです。

・世の中、面白いと思うのは、忘れ物パターンを捜せばいいのだと気づき、かつ、広く意見を求めようとする人がいること。もちろん、それに効果的な提案・アドバイスのできる人がいること。

・今回の私の事例も、自分の、失せ物探しポイントにしておこう。その意味で、ここに記しておきます。忘れたときの用心に。

学研、いいかも

2012年07月26日 | 
・ちょっと必要があって、高校生~一般向けの漢和辞典(紙版)をあれこれ見ています。で、ちょっと面白いというか、関心したのが学研のもの。求める字にたどりつかせるまでの工夫が周到な気がしてます。

『漢字源』(改訂第五版)だと、ノンブル(ページ数表示)が、なんと2個所にあるのです。まずは、見開き左右上端に横書き・洋数字ですが、これは他の辞書でもやってることだし、現在刊行されている本のほとんどが、横書き・洋数字。だから、常識というか通念というか、そういうものに従っただけのこと(と言い切っていいのかな)。

・そして、見開き左右下端(正しくは、見開き下部左右端というべきか)に、縦書き・漢数字が来るんですね。泣かせます。いや、「泣かせます」と書くと20%くらいノスタルジーがはいっちゃいますが、実は、部首索引では、縦書き・漢数字表示にしてるんですね。だから、肝腎の本文でも縦書き・漢数字表示の方が自然ですよね。その辺の、首尾一貫ぶりがいいなと思うし、利用者の感覚・常識を逆撫でしないような配慮があるように思うのです。

・そう気づけば、他の本でも確認したくなる。『全訳用例漢和辞典ビジュアル版』では、ノンブルは1個所、見開き左右上端のみです。横書き・洋数字。現代の通念通りですが、部首索引は洋数字なんです。見事に首尾一貫。

・もう一つ、『新漢和大字典 普及版』。ノンブルは1個所、見開き下部左右端。もちろん、縦書き・漢数字。部首索引もそうなってます。首尾一貫・首尾一貫。

・それにしても『漢字源』の2個所ノンブルには脱帽しますね。どうすれば利用者に違和感を起こさせず、スムーズに引けるかを熟慮したんでしょうね。そして、よいと決まれば通念にとらわれず実行してしまう。好きです。きっとみんなで自由にアイディアを出し合ってる、そういう社風でもあるのかな。

・だから、『漢字パズル辞典』も出せるのかもしれない。「漢字パズルを解くための辞典」ですよ。思いつく人も人だが、出した会社も会社です。正直、よく思いついたなと少々あきれてもいますが、逆に感心もしてます。具体的な形でよいものを送り出すには、常識を突破した発想をしてみることも必要でしょう。簡単にいえば妄想することが大事なんです。ただ、妄想なら普通は表に出しませんが、この場合は出しちゃった。そこが面白く思いました。つい買いそうになりましたからね。出版社の妄想は、御飯屋さんのまかない飯みたいなもの。まかない飯って、おいしそうだしね。

ブックオフめぐり

2012年07月16日 | 
・連休最終日。マイフィールドに行くのもさることながら、月末締め切りのエッセイのために集書。多分、ブックオフでそこそこ揃うはず。

・まずは、岐阜うさ店。岐阜市の住宅街にあるだけあって、回転が早いのか、こちらの思うものは『ビジュアル版全訳用例漢和辞典』一点だけ。いや、これは、予算を1冊105円にかぎったからのこと。しかし、「用例全訳」ではないのだなぁ。

・実は、出掛けに店舗情報を確認しておらず、どこにあったものか、よく分からない。おぼろげな記憶をたよりに、258号大垣インター店。やはり住宅街で回転が早いのか、105円では買い物なし。

・さくっとマイフィールド、水郷パークセンターに寄ってから、平田店へ。こういうと失礼にあたるのですが、人口密度からすると出店するかどうか際どい場所かもしれません。それだけに、売り上げに協力したいんですが、105円では買い物なし。エッセイストクラブ編『’05年版ベストエッセイ集』(文庫)を買うのみ。

・ただ、美術全集の国宝と御物のとがあり、ちょっと欲しくなる。特に書跡について勉強せんといかんと思っていたので、その分を見てみる。1冊1500~2000円なので(いや、定価はその8~10倍なんですが)、気分は見送り。『製本装幀関係の文庫1冊をレジに預けつつ、ダメモトで聞いてみる。「あのう、掛け払いといいますか、現物前納・後払いには対応してますか」と。で、なんと、対応してくれた。海津市のなんとかいう施設分のも前納・後払いでしてますので、と段ボール箱まで見せてもらった。国宝分3冊・御物分4冊を1万円ちょっとで。売りあげに貢献できた。がんばれ。

・最後は、21号穂積店。すっかり忘れてた店舗。国道の帰り道でたまたま見つけて入店。ここも住宅地から微妙にはずれているので、回転が悪いのだろうか、その分、文庫以外の105円物件が多め。つい、『五体字類』まで買ってしまう。『四体ペン字付漢和重宝辞典』もゲット。しかし、ペン字の書体例を漢和辞典で引きますかねぇ。と、『五体字類』を買った人がいう言葉ではないね。『この辞書・事典が面白い』(350円)も買う。

・ここ、ちょっと面白いかも。角川地名大辞典が10冊ちょっとあった。各4200円。2000円まで降りてきたら考えないでもない。あ、思い出した。オーキッドパーク店では、あの『言語学大辞典』のほぼ全巻が出てたこともあったんだった。お知らせした、東京のSさんがすべて買ったはずですが、それにしてもブック・オフ、おそるべし。

虫損直しの不安

2012年03月27日 | 
こちらの方法、言葉での説明はあちこちのサイトで見るのだけれど(たとえばこちら)、も一つ分からない部分もあり、不安です。

・まず、「食い裂き」を作ります。水をふくませた筆などで和紙(美濃紙)に線を引いて弱らせ、その部分を境にして紙を裂いていく。境界部分にできた、はぼさぼさとした繊維の露出を利用するようです。糊も含みやすいし、厚みもすくないので、虫損部分にも負担がかからないことでしょう。

・さて、虫穴の周囲に糊を小筆で塗り、そこに食い裂きを当てがっては抑え(リンク先では「印刀」による)、食い裂きの本体を引っ張ってちぎることになります。そこで、分からないのが次のこと。多分、1)なんだろうと思います。少しは本体を使うにしても、その加減がね。
  1)ぼさぼさっとしたところだけを使うのか、
  2)多少(以上に)本体も使うのか、
 また、
  3)食い裂き部分は(ある程度)湿ってた方がいいのか
  4)乾いてた方がいいのか
 3)の方がやりやすそうです。特に、食い裂きのついてる本体を引っ張ってちぎる際、印刀などによる過度な「抑え」がなくて済みます。本紙(修繕の対象紙)にやさしい。4)だと、紙の強さがもどるので、抑えも強くなりがち。疲れるし、本紙にも負担がかかることになる。でも、余分な水分を与えないで済む。

・圧着は気にしなくてもいいのかな ^^;、仕上げにぎゅうぎゅう締め上げるみたいだし(行程の6) (^^;;;;;;

・ただ、こちらの方のように、すばらしく慎重になさっている方もいます(以前からの方法。「メスで削る」? 食い裂きを作っている? 自作重しがキュート。もらった!)。食い裂きを押し付け、補紙をちぎるの(書陵部発祥)は、随分と乱暴だとの印象を受けます。でも、食い裂き部分は、糊の水分で柔らかくなるのだから、心配するほどダメージは与えないのかな? もちろん、一度、どこかで見せてもらった方がよさそうではありますね。糊と紙さえ気をつけていれば(=やりなおしができるようになっていれば)、最悪の事態は避けられそうだから、経験を積むのみ、というのもアリでしょうが。

和本のために買う意外なもの

2012年03月26日 | 
・久しぶりに和本の修繕をしようと思いました。

・そのまえに軽く風にあてたい。日陰で30分くらいだろうか。でも、ずっとそばにいるのはちょっと。もちろん、ぽんとベランダに放り出して、風を受けるままにページがめくれていけば好都合。でも、どこかに飛んで行きそうでもある。どうしたものか…… で、ホームセンターで干物用の網カゴを買ってきました。こんな感じのヤツ。買ってから気がついたけれど、つるす場所がない…… まぁ、カメラの三脚か何かを流用することにします。

・元の紙が9割方(!)ちぎれちゃったのは裏打ち。紙が弱っている(何やらふわふわ感がある)のもそうする予定。多少の虫食いは「つくろい」で済ませる予定です。が、「多少」の判断にちょっと迷いますけれど。こちらのようなことをするのですが、画像より、もっともっと大きい虫食いも、これで何とかしてしまうつもり。大丈夫だろうか。

・リンク先の画像には、紙を抑える「印刀」が出てきます。アクリルで自作されたようですが、ステンレスの方が力が入れやすいとか。要は、用紙への接地面が比較的広く、かつ、角がある程度立っていること、でしょうか。分かりづらいかもしれませんが、

ぺたっと紙を抑える部分があって、先端部分から(先で)用紙を引っ張ってちぎりはなすイメージです。で、とりあえず、彫刻刀を買ってきました。切れすぎてはあぶないので100円ショップのもので十分とみました。「刃」はコンクリートか何かでこすりこすりして落してしまえばなお安全でしょう。

・実は、バターナイフでもいいかなとちょっと思ったんです。けっこう丈夫ですしね。もんじゃ焼きのヘラとかも(何でも売ってる100円ショップ)。ただ、エッジを作るのがむずかしそうだったのでやめました。

・それにしても、和本のおかげでおかしなものを買い込むことです。
 はけ3種   実はニス用・タール用を流用。だって本式のは高いんだもん。こちらは比較的良心的?
 小型アイロン 古本屋さんで見てまねして。痛めそうな気がして最近は使わず。
 衣装ケース  保存に。合成樹脂製なので本当はよくないのでしょうね。
 リボン・紐  簡易帙を作ってたので。最近は作ってませんね。
 霧吹き    3000円ほどの調理用。裏打ちで水掛けに。
 針各種    分厚い本用に縫いぐるみ用針も。

『江戸時代初期出版年表』と『真草二行節用集』

2011年12月25日 | 
・寛永16年刊の『真草二行節用集』に二種あることが知られます。これは私にとって新情報。天理吉田(天理図書館の吉田文庫?)に、既知のものとは別刊記のものがあるとのことでした。うれしやうれし。

・つぎに慶安4年。これがちょっとややこしい。

・『年表』459ページに慶安四年刊『真草二行節用集』とあるものは、配架番号からすると「真草二節用集」とあるべきもののようです(
亀田文庫本岡田希雄旧蔵書)。なお、これとは別に慶安四年刊の『真草二行節用集』はあり、『年表』469ページに載っています。

・ただ、慶安4年の『真草二行節用集』には別の版木で刷られたものがあります。刊記上は同一なので、おそらく『年表』の方針としてはよいのだと思います。それはそれとして、かなりよく似ているので、さっと見ると見落としますが、たとえはユ部の標目の「由」が草書か、草書の左辺が伸びて「皮」にまでなっているかで、とりあえず見分けられます。


・『年表』明暦2年の末尾には『真草二体節用集』が掲出されてます。香川大学の神原文庫本ですが、『国書総目録』の記載を引用したとのこと。原本をみると明暦二年のものだ、とかいうメモ書きが付いてます。これにしたがったのでしょう。刊記上半分が欠損していて「(年)孟秋吉旦/(豊)興堂新板」が読めるだけです。ただ、書名も考え合せ、版木の欠損も参照すると、上にみた慶安四年版『真草二体節用集』でよさそうに思います。

『江戸時代初期出版年表』と『二体節用集』

2011年12月23日 | 
・山田忠雄(1961)『開版節用集分類目録』を参照していればなぁとのぼやきから。



・『二体節用集』(横本3巻)で、刊記のある、もっとも早い本は寛永3年の嘉久開板本です。これに先立つものに、刊年・刊記のないものがある、というのが山田目録の主張であり、山田忠雄氏の蔵本です。よくみれば、亀田次郎文庫本(国会図書館)にもあり、西尾市岩瀬文庫にもあります。私も持っています(二種)

・ただ、刊年が記されてないので、『年表』には載せづらいでしょうね。私たちは「元和・寛永頃版」などと呼んでいますが、たとえば寛永三年の項に載せておいてもよかったかなと思います。「山田目録によれば、これ以前の版ありという」とか注記して。


・寛永3年版の本屋・嘉久。私は、後に財閥を形成する住友家の家祖、住友政友だと考えています(マンガもあるよ)。ただ、リンク先にもあるように「嘉休」と書くことが多いので、「嘉久」としか書かれない寛永3年版『二体節用集』はちょっと心もとない。そこで、「嘉久」=「嘉休」を証明しないといけない。で、船橋市立西図書館で寛永6年版の『即身成仏義』『般若心経秘鍵』に出会い、証明できました

・『年表』では、この2冊『即身成仏義』『般若心経秘鍵』をなぜか載せていません。奥野彦六『江戸時代の古版本』の記述を引用するだけです。国文学研究資料館の調査は1979年(「54年」)になされていたようなので、ちょっと不思議です。たた、刊記には、
   為奉報高祖鴻恩蒙貴賎助成
   謹以開印板矣
   〔本云〕元和二〔丙辰〕暦二月二十一日願主東寺順宗
   此點本寛永六年五月上旬令
   開板之   員外沙弥嘉久(弥=方+尓)
 とあるので、元和2年の分だけを採ったのかもしれません(元和2年の項には記載がある)。




・寛永6年にも『二体節用集』があります。これは『年表』にも掲載してあります。ところが、「寛永六年」の刊年をもつ『二体節用集』は二種類あります。寛永3年嘉久版に細工したものと、純然たる寛永6年版です。ただ、記された刊記はともに「寛永六年/九月吉日」ですが、純然たる寛永6年版は「吉日」がなぜかほぼ一字分に押しつぶしたように変形しています。たとえば上図のように。だから、原本を見比べれば一見して判ります。(なお、上の寛永10年本は、どうやら「六」を削って「十」にしたもののようです。後述)

・活字(というか現代ならフォント?)になると差が分からなくなるわけですが、これはひょっとしたら『年表』メンバーだけでなく、他の多くの人もそうだったでしょう。私もそうでした。だって、目録には活字・フォントでしか載せようがないのですから。「同じ寛永6年本だ」と思ってスルーしてしまうわけです。もちろん、「版木の別よりも文字で書かれた内容の異同を見る」という立場はありえます。ただ、二つの寛永6年本とも書肆名のないことは、この際、気になります。

・なお、現在、細工版は、東京大学国語学研究室と東洋大学本が知られるだけです。あるいは、『年表』の寛永6年の項末に、奥野目録の記載を引用して(=未確認情報として)「敦賀屋版」を挙げています。細工版か本来版かのいずれかにあたるのかもしれません。が、この敦賀屋、ほかにも多くの本があるのですが、どうも既存のものを買い取ったりすることも多かったみたいで、名前を示すのにイレギュラーな場所に書いたりして、よく分からないところがあります。




・そして、前掲の寛永十年本。拡大しました。↑ 以前、書いたことがありますが、実はこれ、数字「十」のところだけ手書きなんです。国会図書館の亀田次郎文庫には「寛永十四年」本がありますが、これも手書き。『年表』では両方とも挙げてませんが、手書きでは致し方ないでしょう。ただ、刊年数字のみ欠けるものは、そうはないでしょうから、刊記のありようの特殊な(その分、注目すべき)ものとして掲げてもよさそうです。