「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

年末に難解な『大岡越前』を見倒す

2023年12月31日 | 日記
 帰省以後、睡眠時間を除く時間の7割以上は、amazonプライムで放送されている、『大岡越前』と『鬼平犯科帳』を見続けて暮らしている。大げさでなくこの二作品しか見おらず、これがまた面白い。特に今回は『大岡越前』を集中して視聴しており、『大岡越前』は1971年からテレビ放送があるようで、今は1974年放送分を見ている。もう50年前のテレビ時代劇になる。放送時期はいわゆる「1968年」に近く、そういう影響があるのかどうかは、あまりストーリーからは感じられない。しかし、やや難解というか、「シュール」とも形容すべきストーリーに出くわすことがあり、こういう表現は近年の時代劇にはないという意味では、何らかの前衛性があるのかもしれないと思う。例えば、話の筋が急に断絶し、飛躍し、よもやつながるはずのない脈絡へと事件が展開していくところなど、脚本に不備があるのではないか、というぎりぎりを攻めているような気がしなくもない。あるいは、場面のカット同士が、これもロシアフォルマリズムを思わせるような、「モンタージュ」や「クレショフ効果」を疑わせる、というかフィルム編集ミスなのではないかというような大胆なカットの差異と反復を見せつけられ、なんという難解な展開なのかと考えさせられること数多であった。

 少しそういう場面を取り出してみる。大岡が部下である同心の母の病のために高麗人参を送り、その人参を見た同心の目がクローズアップされ、同心は何かに気づき、風邪と偽って件の同心(この同心はひそかに犯罪を犯している)を監視していた大岡のもとに赴く。同心が大岡に風邪の具合を尋ねると、大岡はこれは「佐渡の土」(すなわち小判(金))でしか助からない病である、という謎かけのような言葉と大岡の意味ありげな顔のアップ、それを聞いた同心が何かを感受し、同心の目が再びクローズアップされ、同心は、それでは金300両を融通できる人物(同心の共犯者)を紹介できます、と言ってその場を去る、というシーンがあるのだが、高麗人参がなぜ大岡の風邪と連動して同心を大岡のもとに走らせたのかの因果関係が、難解すぎてよく意味が分からなかった。ただ大岡とその同心の間には埋めがたい断絶(カットの断絶)があると同時に、よくわからない精神的連続性(意味不明な感受性)があるということは暗示された。その高麗人参から300両を融通する事態に発展し、後に同心が共犯者として捕らえられる人物に大岡を引き合わせるまでのカットが、不可解で不気味であり、この意味不明なカットの連続のおかげで大岡は犯人までたどり着き、それを捕らえ、同心が共犯者だということまでも明らかにして、大岡の目にクローズアップが入り、それに気づいた同心は隣の部屋で罪の意識から自裁する、という流れで話は進む。とにかく訳が分からないが、しかしそのカットの断絶とそれをつなげる連続性から、その犯罪の過程には、同心の大岡に対するフェティシズムがあり、そのフェティシズムがゆえに人を殺め金を盗むという罪を犯させたのではないかという、大岡自身が同心のフェティッシュであり、最も犯罪そのものの根源ではないか、と思わせる展開がある。同心も切腹し、その家族は郊外へと追放されるのだが、事件解決後の大岡の笑顔がなんとも不気味なのだ。これも時代精神がなせる技なのか、と思ったりして見ている。とにかく、初期『大岡越前』には難解なカットが多いのである。

 また1970年代初頭の経済状況は、ドラマに色濃く反映されているのかもしれない。初期作品には、大岡が徳川吉宗から江戸の物価の安定を命じられ、それに苦心するというモティーフが実は存在する。大岡は現行法の範囲内で商人たちの「自由主義経済」をどうにか統制しようと苦心する。しかし、商いを統制することは商い自体の衰退にもつながるのでそこで懊悩するわけである。その中で象徴的なシーンがあって、大岡が部下や家族との雑談でいかにして商人による恣意的な物価高を抑制し、庶民の生活を守るのか、という話題を出す。大岡自身は法による統制を主張し、部下の同心は、贅沢なものを買わないようにするべきだという倫理的意見を言う。そして、最後に大岡の妻である「雪絵」は「商人が商いで利を求めるのは当然なのだから、健全な競争を促して、良い商いをさせたほうが良い」という意見を提出し、一同がそのご卓見に恐れ入るという構図が出来上がる。なるほど、「雪絵」は将来のサッチャーであったのか、と膝を叩きながら見ていた。

 高校の同窓会報が届いていたので読んだ。1970年代からの文化祭のテーマが並んでいたが、1988年の文化祭では、生徒たちがピカソの「ゲルニカ」を模写して掲げ反戦を主張したというのがあって、僕の時代の高校にはそういう精神はまったくなくなっていたので、少し驚いた。たしか「ゲルニカ」の闘争は、九州の高校でも同じ時期にあったはずである。

皆様よいお年を。


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