団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 26 オコゼと女将と正弁丹吾

2019-02-20 11:05:18 | 夫婦

お店の名前も覚えていません。料理の写真も有りません・・広島の夜です。

娘夫婦が転勤で広島に来たのは1年前・・社宅から自分達のマンションに引っ越して僅かな期間しか経っていません・・

市内に有る支社へ毎日通う日々の暮らしの中で、気に入った飲み屋さんを見つけるのは中々難しいと思っていましたが・・そんな中では良いお店なのかも知れません・・

岡山から駆け付けたご両親とは私達も久々の対面です。

初めてと言っていい程、何十年ぶりかの広島の夜です。

二家族6人のお酒の入った居酒屋の宴は賑やかに始まり、2時間余り賑やかに終わりました。

 唯一私のデジカメに入っていた映像です。何でも地元?の利き酒3種の試し飲みだそうですが、ビールを飲んでいた私にも「試して・・」と言われて「いや私は何を飲んでも解らないと思いますよ」と初めから弱腰に・・「それでも・・」と言われて飲んで・・恐る恐る変わる替わるチビっとお酒に唇をつけたのだけど結論は・・「ヤッパリ全然解らない」で降参いたしました。

後で娘から、お店で「広島牡蠣も用意致しますが・・」と申し出が有ったが「前日牡蠣は宮島で充分戴きましたので・・」と断ったそうですが・・一言私に言って呉れれば「マダマダ牡蠣が食べたいよ」と・・私も残念・・お店も残念・・食いしん坊、悔い辛抱です・・

解散してホテルへ戻った私達ですが・・妻の携帯に電話が・・「お父さん忘れ物したでしょう・・」「エッ?何?・・」「袋に入った・・アレ・・変なおつまみみたいよ」

宴会をした居酒屋で私が傍らに置いた儘、忘れて来たらしい・・まあおつまみで良かった、忘れ物出て来て良かった・・

 旨いです、目の前に有ると、妻の目の無い所で、つい一つ口に放り込んで、、暫らくしがんでいます。以前噛んだガムより味が有ります・・噛めば噛むほどに・・は間違いなかった・・

旅行に行く時に家に忘れて出て来る、旅先で大事なものを忘れる・・今回の旅行で唯一の忘れ物がこのお土産のせんじ揚げ・・今、食いしん坊はホッとしています。

ところで、若い頃の話、記憶では40代頃の事です。

広島へ仕事できて数日、取引先の宿舎のようなところへ一人で滞在したことがありました。

夜は何処かで一杯やって帰るのですが、当時はスマホも無く(今も持っていませんが)初めての事で中々市内に好みのお店も無く、最終日・・偶然入ったお店が正弁丹吾と言うお店でした。

初めてのお店だったので何を注文したら良いか解らずに店内をキョロキョロ見回していたのですが、幸いその日お勧めのお魚が壁に張り出されていたので、中から瀬戸内海の方へ来たら一度は食べたいと思っていた魚「オコゼを下さい・・」と・・

ビールを持って来た女将さんが「オコゼでしたらお刺身が良いです・・頭と骨は唐揚げが良いと思いますが・・」「それで、お任せします・・」

やがて出て来たお刺身も美味しかった(昔の事で刺身の味は覚えて無い)のですが、ビールで喉を潤す内に、揚がって来たオコゼの唐揚げ・・大きさも手の平位のサイズで・・

これが絶品、箸で、黄金色に揚がったオコゼの頭を、バリバリと突き乍ら手頃な大きさに砕いた奴を、小皿のポン酢に浸し・・やおら口に放り込めば、舌の上でオコゼのこの上なき香ばしさと共に歯応え充分に砕け散り、ビールとの相性もバッチリで次いで身の付いた中骨、最後は尻尾と次ぎ次に平らげて・・骨、ビール、骨、ビールと遂に二本目のビールを注文・・その勢いで三本目をと、空のグラスを目の高さに・・振り向いて・・そこへ近づく女将「お客さん、ビールはその辺で・・」とやんわり嗜める・・私にとって初めてのお店、正弁丹吾にとっても初めての客・・若かった私がブレーキを掛けられて・・やんわりと「調子に乗りなさんな」と言われて「そうですね・・解りました・・」優しそうな女将の顔が微笑んでいました。

お勘定を済まして、女将さん「又今度、いらっしゃって・・」と自家製のポン酢を一本持たして呉れました。思わぬお土産を戴いて気分よく、私は夜遅く広島の繁華街を後にしました。

妻は今でも、その時私が持ち帰ったポン酢の味を覚えているようで、広島、正弁丹吾、ポン酢と連想するようです。私は広島、正弁丹吾、オコゼです。

広島商店街散歩の途中で、娘にスマホで検索を頼んだら正弁丹吾は直ぐに出て来たようですが、その場所からは、少々遠いらしく今回は行くのは諦めました・・でも今はスマホでも直ぐに出て来る広島の有名店らしいのです。新鮮な瀬戸内の魚料理、勿論オコゼの文字も乗っていました。

又いつか機会が有れば広島へ、正弁丹吾に、女将に、そしてオコゼに会いたい私です。

「食べないの、焼けたわよ」と今夜は焼肉と言っても、割引で150円位の豚小間切れ1パック、料理名人の手で見事に変身していました。「もやしが合うね~」と妻も満更でもない様で・・

ゴチソウサマ

 

 

 

 

 


常盤平団地の54年 26 コストコ倉庫の買い物

2019-02-19 14:33:06 | 夫婦

コストコ倉庫広島店って言うそうです。

会員登録をすると本人以外に、もう一人が非会員でも一緒に入店できるそうで、丁度良かった、年寄り二人は一緒に店内へ入れて貰えました。

中は正しく巨大な倉庫の様、うず高く積まれた大きな箱、大きな商品、食品中心なのでしょうか、ビールなどは全てカートン500㎖24本いり、1缶売りは勿論半ダース売りも有りません。

通路は広いので、例のカートが擦れ違いしても充分、皆棚に積まれた商品を横目に見ながら品定め、と言っても、殆どの人が何を買いに来たのか予め決めて有るようでカートの籠は殆一杯、私なんかが近所のスーパーで冷かしながらブラブラ歩く姿の人は全く有りません。

若い夫婦は(と言っても50歳に手が届くほど)矢張り自分たちの買い物を楽しんでいる様子で・・さっき見たマンション内の冷蔵庫を私は見て無いので・・きっと我が家に有る冷蔵庫より遥かに大きいんだろうと想像しています。

そう言えば、居間に置いて有ったTVも「団地の我が家に置いて有るTVより可成り大きいぞ・・」と内心子供らの新しいマンションで何もかもデッカイのが羨ましいような、嬉しいような・・思わず苦笑いの私です。結局私達は娘夫婦の買い物の後を、タダくっ付いて行っただけの冷かしでしたが・・

でも「このようなお店を見られただけ面白い経験をした」と言うのが本音でしょうか。

レジを通過するのもカートに品物を入れた儘、車まで直接運んで買い物完了です。

コストコは広島ではここ1店、全国には何店舗も有るようですが・・

仮に我が団地の周辺にこんなお店が出来ても、当然私達には縁の無い存在になるでしょうに・・勿論コストコさんが来る訳がない・・

コストコ店見学のあと、夕方まで時間がたっぷりありましたので、私は「地元の商店街をブラブラしたい」と希望したら娘が喜んで案内してくれました。

マンションは広島市の中心部に当たるらしく、歩き始めて直ぐにアーケードのある商店街に入って行きましたが、コストコと比べて、私達夫婦に取っては何とも嬉しい綺麗で立派な商店街が続いています。

色々な、お店が有り、然もこの商店街はシャッターが閉まっているお店が非常に少ないのが印象的でした。きっと閉店しても、直ぐ新しいテナントが入るのでしょう。

アーケード街は人通りも多くて賑やかで活気があり・・

私達夫婦ウキウキルンルンです・・

メインの商店街から一本裏の通りには居酒屋、焼肉店等が軒並み・・夜は飲食繁華街になるのでしょう、流石にこの時間は未だシャッターを降ろしている店が多く見られましたが、人が店の前を忙しそうに動き回っていました。食いしん坊は嬉しくて嬉しくて「良い処へ案内してくれてありがとさん・・」と娘に言ったら「私もこっちは初めて・・」なんだと・・

 商店街の中程に広島近辺の物産を売っているお店が有りました。

店内は人で賑わい、キョロキョロしてる私に気付く人も無く、一人で色々と「これ何だろう・・これどんな味が・・美味しいのかしら・・賞味期限は?・・これは見た事有る・・等々」・・「コレ豚のホルモン・・せんじ揚げって書いて有るけど・・噛めるかな~」娘「広島の名物よ」で決まった!広島土産第一号です・・

せんじ揚げが幾らだったかレシートを失くしてしまって・・でも安かったと思います・・

商店街で買ったお土産はこれだけで、妻は何も買っていません。勿論娘も・・・

当夜、娘の亭主の実家岡山から、ご夫婦がこの広島へ私達に合流して歓待下さるそうで・・賑やかな広島の夜になりそうです。

 

「アレ、胡麻が無い・・」「白いのなら有るよ・・」「じゃ~今朝だけ白いのでいいや」

 昨日、黒ゴマを買って参りました、お徳用黒ゴマ一袋を・・

 矢張り地元に西友スーパーは欠かせません。ゴチソウサマ

 

 

 


常盤平団地の54年 25 コストコに水が無い

2019-02-18 15:36:45 | 夫婦

 娘夫婦が広島市内を案内してくれました。

娘夫婦が住むマンションから暫らくブラブラ歩いていたら道路脇に大きな自動販売機が・・

近くに寄って良く見たら、ペット入りのだし汁の自動販売機?「エッ?こんなの売れるの??」

娘に聞いたら、この販売機、市内には他にも有るそうです。

「広島って意外に進んでいるんだな~」これからの市内見物が楽しみになってきました。

私達年寄り夫婦の、特に私の食いしん坊を解っていてくれたのか・・

お昼過ぎ娘夫婦の車でコストコへ(ネットで後で名前を知りました)・・入り口に有るフードショップ?へ連れて行かれて・・

スイスイと導かれてデッカイ学校体育館のような建物の中へ・・

中には大勢の人達が向き合って席に座っていました、立って忙しそうに歩いている人も・・数人づつ座れるテーブルが整然と並べられて大勢の人達が楽し気に、忙し気に、喋り合い、食べ合っているのを見て・・唖然・・ここは何だ・・若しかして大衆大食堂?・・

ところが娘夫婦は手慣れたもので幾つか別れている列の後ろにサッサと並んで、カウンター越しに待ち構えた女子店員に何か告げると、頷いた彼女の手には瞬時に大きなストローが付いた紙コップと棒状のパンみたいな物が娘夫婦の手に渡り、それを2人が手分けして受け取ると直ぐ踵を返すように歩きだし・・途中でコカ・コーラと書かれた器械の前に立ち停まると、器械の下に紙コップ置いてコーラ?らし飲み物を自分でレバーを操作して慣れた手つきでドカドカと注ぎ入れ、お隣の器械へ、今度はパンに器械から赤いケチャップらしき液体をドロドロと掛けて・・それがデッカイのです・・入れ物が、ホットドッグが・・

私達は促されて席に座り、改めて辺りを見回すと、隣から遠くの席まで、誰も周りを気にする風も無く、各々がペチャクチャ喋り、何かを口に、何かを飲みつつ・・ここまでアッと言う間も無く、たった数分の出来事で・・・

さっき、このお店に入った時見上げた大きな写真のメニューが私の頭に残っていました・・

中で一番高い価格が付いていたのが480円?(高そうな品がこの程度と安心していたのですが・・勿論自分が払う心算では無く、御馳走いただけるのですから・・フーン・・)

娘夫婦は私にそのこのお店で一番高いホットドッグのお化け?みたいなのを、真っ先に買ってくれていたようです。

前に座った彼の分は普通のホットドッグ・・それでも大きい・・

私は一口、太く細長いパンに何やら詰まったパンを、端の方から千切って食べました・・チョッとピリッとして美味しいようだけど、彼の食べてるホットドッグの方を、急に食べたくなって・・「こっちを上げるから、ソッチ半分くれない?・・」

彼は私の申し出を素直に受け取り、黙って私に彼のホッとドックを呉れました。「ハイっ」と

私が差し出した高い??ドッグを無心に食べてる彼は満足そうで・・

私も半分貰った、食べかけホットドッグを「これなら以前に食べた事がある・・」と「ウン旨いよコレっ・・」

何気なく彼が飲んでいるコカ・コーラのカップを見ながら「お水は?・・」

彼は怪訝な顔で「お水?・・・無いようですね~・・」

今度は娘の方に顔を向けて「水は?・・」「・・?」

喉が渇いて水が飲みたくなるのは普通の事だと思うのですが・・ここではコーラなんです。

隣の妻に「水飲みたいんだけど・・無い・・」

4人で大きな紙コップのコーラが二つ・・止む無く合い飲みのコーラをチュルッと一口・・

そう言えばここには水の飲めるコップも全く置いて有りません。

後で考えて見たのですが、ここでは誰でも飲める水を置いたら肝心のコーラが売れない?

そんなケチな?いや当然か?然し飲めないと余計に飲みたくなるのはお酒だけと思った私が可笑しいのか・・広島の人は皆不思議な人達ばかりだと・・

 今朝はカレーパンが一つづつ・・牛乳もお水も飲み放題です。

 今お茶も出て来ました。コストコフードにはお茶も無かったな~・・

でも楽しかった・・コストコではこのあと年寄り仰天のお買い物も・・

ゴチソウサマ

 

 

 

 


常盤平団地の54年 24 広島平和記念資料館 

2019-02-17 16:08:04 | 夫婦

二人して広島へ来たなら必ず訪れると決めていたのが、この資料館です。

何故か観覧券と言う3文字が個人的に引っ掛かるのです。観覧と言う文字のニュアンスを私が勝手に作り上げているせいなのでしょうが・・

 ともあれ誰でも広島を訪れた際は見なければならない場所だと思いました。

館内では「近くの国民学校(現在の小学校)一二年生の生徒400名教師10名の尊い命が、あの原子爆弾で一瞬の内に消えてしまった・・・」と、・・・中年の案内員の説明を聞きながら、被爆直後の広島爆心地付近の光景をジッと見つめている内に・・私は涙を堪え切れなくなり思わずその場を離れて歩き出しました・・妻はジッと案内員の説明に耳を傾けてジッと何かを考えている様子でしたが・・・

その当時4年生だった私も栄養失調で集団疎開先の群馬県草津町から焼け野原の東京へ連れ戻されて8月15日を迎えました。

その9日前に広島に原爆が落ち、何か特別な爆弾だと大人が話して呉れた・・

そのあと長崎に又同じ爆弾が落とされたと聞いた時も、その被害がどんなものか想像すら出来ませんでした。

8月15日、間もなく近所の畳屋さんの裏で、直立不動の大人達の背中の向こうからラジオの音が微かに聞こえて来たのですが・・何も分からない内に、不意に大人達がばらばらとその場を散り始め・・顔見知りの大人の一人から「負けたんだ!負けたんだ!・・」と・・焼け野原の高田馬場で終戦の日の事はハッキリと思い浮かぶのですが・・

私達がバラックで生活して毎日を必死で生きていたその間にも、広島では、長崎では、多くの人が死の恐怖と闘い慄き苦しんでいたのですね・・亡くなった多くの人々に改めて謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

あの爆心地中心付近を映したパネル写真が、私に戦争の悲惨さをを改めて心に刻み付けています・・

館内を一周して入り口付近で家族と合流した時に・・我に返り、今現在84才も長く生きられるとはと思いました・・

妻と、家族と、旅行が出来ている自分の幸せを噛みしめている私、そこに私がいる実感・・

終戦後、5人兄弟の次男だった私が、いつも一人母親について行ったサツマイモの買出し・・

当時配給のオキナワ(菊芋)やイバラギ?号、農林1号より、買出し先で担いで帰った埼玉のお芋は遥かに旨かった記憶が有りますが・・

それでも終戦後に主食として食べていたサツマイモです・・

空腹を満たす程は食べられなかったオキナワ、イバラギ、農林・・当時は感謝して食べてた筈です・・

そして母親が配給で来た、少ない小麦粉を使って小さく角に刻んだサツマイモを混ぜて、蒸した小麦饅頭・・時にはお芋に火が通って無くてガリガリしてたけど・・今思えば・・ご馳走でした。母は男5人を飢えさせない為に必死だったと思います・・

その小麦粉もアメリカからの援助物資だったのかも知れません。ララ物資援助と言って、色々なものが日本に送られてきました。中には家畜の飼料とか言われた赤カボチャのような美味しくない送り物も有ったけれどもコンビーフ、ソーセージ、バタピーナッツの缶詰等々皆、口に入れた私はアメリカでは「こんな旨いものを食べていたのか・・」と・・

戦争が終わって・・「原爆は戦争を一刻も早く終結させるには致し方ない手段だった」と言うのも、ある意味真実なのかも知れません。

あれから何十年、今では世界中の食料、食品が私達の食卓を潤しています。

 ケンタも然り、 ケンタ、焼きおにぎり、サツマイモ

皆仲良く・・トランプさんも自分の国の事だけ考えないで・・又余計なところへ脱線してしまいました。

暮に買って来た紅あずま芋を蒸して呉れた妻も、終戦当時は茨城県勝田市(今はひたちなか市)で農家では無かった家族は食べるものに苦労していて今は亡き姉と台所で食べるものが無くて向き合って・・ひもじさに泣いたと言う話をします・・何回でも聞いて「そうか・・そうか・・」お互い苦労をしているんだと・・

 若しかして、私達が他人様に一見仲良く見られているとしたら、お互い幼い頃の貧困生活が基になっているのかも知れません・・ゴチソウサマ

 

 

 


常盤平団地の54年 23 高速船で広島平和公園迄

2019-02-16 15:17:27 | 夫婦

宮島錦水館の送迎バスで近くの近くのボート乗り場迄5分ほどですが、マイクロバスは右に左にハンドルを切って巧みな運転で目的地に到着・・この間商店街の道路を2度ほど横切っていますが、人通りの多い商店前の道路は一度も通らない・・流石ですね~降りる時「有難う御座いました」「こちらこそお世話になりました、有難う御座いました」・・錦水館とはお別れです。

 前日の宮島商店街です。もみじ饅頭の食べ歩き楽しかったです。

大型高速船で45分平日で朝早い時間のせいか、乗客は私達4人と若いカップルの二人の計6人だけ、一人片道2000円として・・乗務員も数人乗っているので、この便だけで考えれば大赤字だろうと・・余計な心配をしてしまいました。

然し荒れ気味の瀬戸内海の海上を突っ走る高速船は撥ねるように、ガタンガタンと波を蹴立てて、そりゃ~爽快と言うか豪快と言おうか・・船内から窓越しに振り返れば正に波しぶきをあげて広島目掛けて突き進んでいく‥何とも言えない気分で・・

広島港の河口近く、先程迄私達の傍まで来てアレコレ説明をしてくれていた年配の乗務員が、やおら立ち上がって、船尾デッキに・・私達にデッキに出て来るように促す・・

先程迄豪快に波を切っていた高速船も今はエンジンの音も軽やかに川を上流に向かって・・

曇り空ながら今日も広島の空は穏やかに、遠くの高いビルが徐々に近づいて・・

デッキでニコニコ笑顔のオッサンの手にはビニールの袋が・・どうやらパン屑らしい・・

船の姿を見てか、何処からか、カモメらしい鳥が1羽2羽と現れて・・やがて群れになって高速船の周りを飛び回る・・

オッサンの手から上空にパン屑が撒かれる・・と・目の前でカモメが素早く空中でパンを啄ばむ・・次から次とオッサンの手元近くカモメが寄って来ては飛び去る・・パン屑を娘に手渡しながら「さあ、やってみて・・」・・

娘の手からパン屑が空高く投げられて・・見事一瞬にパン屑がカモメの嘴に・・

数分の後、カモメは何処かへ消えて仕舞いましたが高速船デッキのカモメショー、オッサンの演出はお見事でした。乗客6人だけの高速船だったからこそ目いっぱいカモメと遊べたのかも・・

低い橋の下を、船は首を竦めるように潜り抜ければ、やがて広島平和公園の船着き場です。

 国民学校4年生の私が鮮明に蘇って来ました。

同行した上の娘は誕生日が8月6日なのです。

今日はゴチソウサマは有りません。

奥様がお茶を出して呉れました。