快晴だったし、いつもと違う道を走ってみました。
先日、良く擦れ違う自転車乗りの方とお話しする機会があって、「あそこも良いよ。」と言われたので行ってみたわけですが…。
…ごめんなさい、知らぬふりしていましたが、実は私そこで生まれ育ったんですよ…
余りにも色々と忌まわしい思い出のある場所だったんで、避けてましたが、せっかく良いよと言われたので行ってみたわけです。
忌まわしい思い出は自分の家庭内でのことだし、場所自体を忌み嫌っていたわけではないし。
ひっきりなしに往来するダンプと、一部荒れた舗装の場所がちょっとしんどいのと、だらだらと続く緩く長い上りは辛いけど確かに「自転車で走るのは。」良い場所かも知れないなぁ…。
ただなぁ、やっぱりダンプの多さは閉口するわ…それさえ無きゃだけど、積極的に足運びたいと言うほど良い感じではなかった。
日曜日なら違うのかも知れないなぁ、でも自分、日曜日は走らないからな…。
…ちなみにその地域、改めて自転車で行ってみると「こんなに狭かったっけ?」と言う位、自分の記憶と距離感がまるで一致しないのが面白かった。
もっとずっと広大な地域だと思っていたんだけどね、あっという間に通り過ぎちゃった。
車だって使ってたし、決して移動に不自由していたわけでは無かったはずだが、何故かもっとずっと広大な場所だと印象付いていたんだな…。
あと、実家のあった場所が解らなくなっていて驚いた。
河川の護岸工事で景観が変わった事と、周辺にあった納屋や畜舎の類も綺麗に一掃されて目印になる物が全くなくなっていたってのもあるが、それにしてもまるで解らなくなるもんなんだなぁ…。
通り過ぎたことに気がついて、引き返したら見つけたけど、唯一残っていた住居は、取り敢えずまだ廃屋という感じではなかったが…完全に周囲を拒絶するようなおどろおどろしい佇まいになってた。
随分前に聞いた話では住居は現場作業員の宿舎になっているという話だったんだが、そういう雰囲気じゃなかったなぁ…。
そもそも、鬱蒼と茂った樹木に遮られてそこに建物があるのは知らない人には解らないぞ、あれじゃ。
敷地への出入りだけでもかなり不便な位木立に囲まれちゃってるし、建物もその木立に埋もれているし、こんな晴れ渡った日に建物には日差しが当たってない…自分なら、例え社宅でも絶対住みたくない位の不気味さ…。
住人がいるならせめて立木を整理すれば良いのにと思ったが、関係ない人間が思い巡らせてもしょうがないな。
一応、生まれ育った場所だからそれなりに思い入れはある、いや、あったんだが、流石にどこにも面影残っていない上に廃屋より恐ろしい佇まいを目の当たりにすると…なんだろうあれ、親父の怨念が地縛霊にでもなって悪しく働いているのか…?と半ば真面目に考えちゃったぞ。
建物自体は私が成人後に建て替えられた物で実際に住んだこともないし、相続も放棄したから以降関わりは無かったが、縁が切れてて大正解だなあれじゃ…。
何となく縁があって今日、自分の生まれ育ったちっぽけな集落を改めて訪ねて…まつわる記憶も、自分の中では強烈だけど、実はちっぽけな出来事だったのかな…なんて思ったりもしますが、それは「今になってみれば。」と言うことですね。
当時は、そこを「広大だ。」と感じていた位には「重大な。」出来事だったのは間違いなかったんだと思います。
それで随分人生歪んだ気がするし、凄く時間も浪費したし…(苦笑)。
ま、それも「今となっては。」過ぎたこと、と言うか過ぎて良かったわ本当…。
今回自転車で通り過ぎてみて、悪い柵や縁は完全に過去の事、思い出の中だけになったんだなぁ、と、実感して帰ってきました。
気分は今日の天気のように清々しくて、行って良かったですわ、真面目に。
お陰で今後は気楽に行けますが、ただあのダンプの多さはなぁ…やっぱり自分はあまり立ち入らない方が良い場所なのかも知れないな。