歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

madamadada

2010年09月15日 | 徒然 -tzure-zure-
あの台風から、季節が がらりと変わり

セミはもう、鳴いていません。

スズムシがもう、鳴いていました。


扇風機はもう、動いていません。






ちょうど今は と言うと

虫の声も聴こえなくて、

ぽとぽと と

雨が。

たまに
シュバアーーーっと、
アスファルトにたまった水を切り散らす車のタイヤの、走り去る音。

あとは もう、

ただ 降り落ち続ける、 
しとしとと、

静まりかえった、夜の音。




あの台風から、にわかに 雨が降るようになり

風は「あれ、寒い。」と 感じるくらいに変わりました。


今日はとうとう、長袖を着ました。






パソコンの調子が悪く、写真がアップ出来ない、ここのところ。
それに乗じて、
ずいぶんと間が空いてしまったけれど、

元気にこつこつ、働いています。

今日も仕事、

明日も仕事。





ええと、どこから話そうか。


ここのところの こと。





9月11日。

大学の同窓会がありました。

文学部の、宗教学科の。

世代を超え、先生も交えの、大規模な同窓会でした。
この学科、史上初の試みだったそうです。


知る人は知る、知らない人はいぶかしむ、
俺のなぞキャリア。
なぞの紆余曲折をずんずん深め突き進みゆく「スタート地点」と行っても
過言ではないであろう、

「宗教学」時代。

正式には
「文学部 思想文化学科 宗教学宗教史学専修課程」
ですが。

進学(=スタート)したのは、
2001年。
卒業したのは、2003年。

えっ、もうそんな経ったの?

って、びっくりしました。


会場のお店に着いてみれば、見た事も無い人ばかり。
なぞの若者たちばかり。

2001年進学者(=自分ら)が、何故か、一番年上のOBだったようでした。

必然的に、
同年代でぎゅっと集まる。





「宗教」というと、

ここ:ジャパンでは、とりあえず、
「えっ、」
と、なります。

「ど、どういうこと?」みたいな、ね。


確か、別に、深い意味は無く、選んだんでした。
特別、信仰があるわけでもなく。

競争率が低かったから、とか、必要な点数が低かったから、とか。そういう感じ。

「宗教」って関連づければ、何を研究材料にしてもよさそうだなと。

一番自由が利きそうだな、と思ったんだった、確か。


自分の同期に限って言えば、
ほぼみんな、大体そんな感じだったような。

確かに、フリーダムでした。


すでに進学時点から「建築」のほうにぎゅーん!と興味が傾いていた自分は、
卒論のテーマも、当然「建築」で。(当時は安藤忠雄に心酔していました。今は醒めた。)

で、
なかば無理矢理ですが、安藤建築と宗教を絡めた論文を書きました。
なかば、じゃないね。相当、無茶ぶりだったと思います。

いま思えば相当恥ずかしい内容。
(こういうのは大体において、将来振り返ると恥ずかしいもの。)

突飛というか、
ただの妄想散文というか、、、
研究というシロモノではなかったのだけど、

「ああ、建築の君ね!おもしろかったよ、あれ」なんて、
先生に憶い出してもらえたりして、そうお優しく言って頂けたりすると、

「ああすみません!」と思いつつ、
「まあ、良かったのかな」、と。


それで、

さらりと建築学科に入り直した と思ったら、
造園/庭という世界のほうへと、また、傾いていくわけですが。





同期は、仲が良くて。
ちょこちょこと、忙しいながらも能動的に、会ったりしています。

「宗教」なんていうと、やはり、ちょっと病んでる人とかも居たりするものらしいです、が、
同期に限っては、みんな、健やかなようです。精神的に。

で、
自分なりの、自分らしい道を、突き進んでる。

すごく「自由」な感じに、
とても楽しんで、生きている。
、、ようにみえます。
もちろん、それぞれに超ーー苦労しているはず!だって、自分もそうだもの。

自分なりの道を突き進むって、意外や意外、結構苦労。
最高の幸せを求めるなら、苦労しないで済むわけない。

でも、
いつ会っても、明るくて、楽しそう。


金儲けとか、立身出世とか、
そういうんじゃないところで、でもとっても頑張っている。みんな。

自分の想う「これぞ俺の楽しい生活!」をまっしぐらに追求する、という姿勢が、
なんでかな、みんな、共通している気がします。



 出版業界に行った人が なにげに何人も居る。その他は、

 医者になった人もいれば、

 歯医者になった、、かと思いきや、また医学部に入り直したばかりの人もいれば、

 先生になったひと、
 鍼灸師にならんと励んでいるひと、
 音楽家、
 子どもを産んだひと、
 造園家(←俺)

色々、バラバラ。

おもしろいくらい、バラバラです。

でも、集まると わーっと話が明るく華やいで、繋がって、
ぐるぐる輪が回転して伸び上がって、止まらなくて、
とにかくなんだか、
楽しい。


バラバラなのに、分かち合えるものがある。
決して、宗教談義なんかするわけじゃなくて。

共通項が すでに「宗教学科」という型や枠ではない、
別の次元で、妙にしっかり、繋がっている気がする。


みんながそれぞれに、自由奔放に、生きている。
楽しさを求めて、生きている。


それが、すごく、
自分の心の支えになっている気がします。
励み、というか。


「自分は、自分なりに、自分の想うように、
 好きなように、やりたいように、生きていっても、いいんだ。」

って、とっぷり信じてしまってもいいんじゃないか?という気持ちに、
判子押してもらえるような。

ついつい後ずさりしそうになる背中を、ぐっと、支えてもらえているような。


何気なく、
心の拠り所にしているみたい。


この同窓会で、そんな自分を、改めて感じました。


同窓会って、
気持ち的に、「原点に立ち返る」ことが出来る気がします。

日常の波の中で、なんとなく見るのを忘れていた 心の根っこ。






帰り際、

「いいですねえ。君たち見てると、未来があって、いいですねえ。」

懐かしい、同じ声で、
同じ調子で、先生が仰言た。


「君たちは、いいですねえ。なんだか、希望が持てますねえ。」

と、

「宗教学というと、だいたい、消息がわからなくなる人とか連絡つかない人とかね、必ず出るんですが、」
 
という前置きのあとに、
淡々と、

「いいですねえ。」と、仰言た。


あー、いいのかなあ。

そうか、いいのかも。


齢三十。「まだわからないと想いますけどね、」


「君たちには、未来しかないですから。」

って
こころなし強めに、先生が仰言た。





「自分には、未来しかない。」


その文言。なぜか、
去年 独り立ちし(てしまっ)た時からずーっと、胸に抱えている言葉。
ちらほらと口にもしていた言葉。


辞めた!という時に、胸にばーっと迫って来た感覚が、それだった。

「もう、未来しか、無い。」



それから一年半くらい経っても、

まだまだ、
まーーーだまだ、

未来しかないみたい。

齢三十。
いつまで経っても、駆け出しです。





まだまだ、先は長い。

まだやれていないことが、いっぱいある。

すなわち、

これからやれることも、いっぱいある。


まだまだ、まだまだ。

まーーだまだ。

死ぬまでは、まだまだだ。


やりたいことは、ぜんぶやり遂げたい。





ところで、
同期の宗教メンバーに、今、
ベビーブームが来ています。ベビーラッシュ。

続々と産まれ来る、新しいこどもたち。

気づけば、
独身者なるものも、片手指折り数えられるほどに(俺含む)。


、、、まあ、


まだまだ。まーだまだ。

やらなきゃいけないことは、いっぱいある。


明日も仕事。
明後日も仕事。

毎日修業。
日日是修業。

、あ、


明日は バレエのレッスン:第二回だー*
楽しみだ。

そして明後日は、お茶のお稽古。これまた楽しみだ。



毎日、楽しみを織り交ぜて。

やりたいことは、極力ぜんぶ、やり遂げたい。


そうこうしているうちに、

秋は深まり、
芋栗かぼちゃの美味しい季節に、なりますね。






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