「愉しい」と「楽しい」の差は?
国語辞典で調べても、同じ意味で「愉しい」と言う字が常用外である、と言うだけの話なんだけど、私の中では少し違う・・・。
「楽しく生きる」= Enjoy one’s life (生活を楽しむ)
「愉しく生きる」= Live happily (愉快に生きる)
「楽しむ」の方が能動的な感じ、かな?
ま、作者の江國香織氏が、そういう意図を持ってタイトルを決めたかどうかは別の話ですが・・・。
大まかに言えば、三十路あたりの三姉妹の結婚(観)や恋愛(観)を淡々と、そしてドラマティックに描いたストーリー。
夫のDVにさらされる長女麻子、外資系会社でバリバリ働き、恋愛にも大いに体力を注ぐ次女治子、恋愛に重きを置けず、恋愛感情の無いセックスを繰り返す三女育子、の三姉妹がメインキャラクター。
これだけを読むと、世の女性陣は「さらさら自分には関係ない」世界の話だと思うのだけれど、実際にはおそらくほとんどの女性が、この3人それぞれに自己投影できる部分を見つけるであろう人物設定であり、DVを絡めたストーリー展開のテンポの速さに、引き込まれるように一気に読める1冊。
あくまでこれは恋愛小説であるはずなのに、「恋愛する=愉しく生きる」ではない、と言うところが、いかにも江國氏らしい。
話の中心をなす長女夫妻のDV問題。
そのDVの張本人である長女の夫邦一は、妻を失いたくない恐怖から暴力をふるい、妻麻子は孤独を恐れるあまり、その暴力を愛情の裏返しだと信じ、怒りを自分の内面に封印する、そんな共依存の関係。
話の中盤以後に、それまで孤独を恐れ、自分の「のびやかさ」を封印してきた麻子が妹達に「私たちはのびやか過ぎるのよ」と話す場面がある。
本来の三姉妹の「のびやかさ」は見ていて気持ちいい程だけれど、ある意味「欠陥」でもある、と言うことである。
極端にデフォルメされてはいるものの、恋愛や結婚のように深く他者と関わる関係を築くことは、非常に危険なことであり、麻子たち夫婦のような中毒症状を起こすこともある。
が、他の2姉妹のように自我を失わず、のびやかに「愉しく」生きることは、「孤独」と紙一重で背中合わせでもある、そういうお話。
また、他の登場人物、もう一人のDV被害者主婦、雪枝が三女の育子と心を通わせ、DVから抜け出せたというエピソードがあるが、この雪枝と育子の関係が今作中で一番安定した人間関係であるという事実がなんとも皮肉。
あと、微笑ましかったのは、次女の治子とその恋人熊木の別れ話のエピソード。
恋愛小説などでは、別れた相手を美化してしまう終わり方がよくある・・・わがまま放題を言っていた女のもとを去っていった男に対して、「あの人はすべて判っていたのね。私が悪かったんだわ。」などと、女性側に反省を促すような終わり・・・男女逆パターンも有るけど。
それが、この二人の別れ際に交わされた言葉達もまさにその通りで、互いに相手のことを美化して覚えているのに、実際は未練タラタラの感情が渦巻いていた、という結末。
身近にありそうで、なんだか人間臭くて、恋しくて、「こんな人生もあっていいじゃない?」と、ホロリと来た。
国語辞典で調べても、同じ意味で「愉しい」と言う字が常用外である、と言うだけの話なんだけど、私の中では少し違う・・・。
「楽しく生きる」= Enjoy one’s life (生活を楽しむ)
「愉しく生きる」= Live happily (愉快に生きる)
「楽しむ」の方が能動的な感じ、かな?
ま、作者の江國香織氏が、そういう意図を持ってタイトルを決めたかどうかは別の話ですが・・・。
大まかに言えば、三十路あたりの三姉妹の結婚(観)や恋愛(観)を淡々と、そしてドラマティックに描いたストーリー。
夫のDVにさらされる長女麻子、外資系会社でバリバリ働き、恋愛にも大いに体力を注ぐ次女治子、恋愛に重きを置けず、恋愛感情の無いセックスを繰り返す三女育子、の三姉妹がメインキャラクター。
これだけを読むと、世の女性陣は「さらさら自分には関係ない」世界の話だと思うのだけれど、実際にはおそらくほとんどの女性が、この3人それぞれに自己投影できる部分を見つけるであろう人物設定であり、DVを絡めたストーリー展開のテンポの速さに、引き込まれるように一気に読める1冊。
あくまでこれは恋愛小説であるはずなのに、「恋愛する=愉しく生きる」ではない、と言うところが、いかにも江國氏らしい。
話の中心をなす長女夫妻のDV問題。
そのDVの張本人である長女の夫邦一は、妻を失いたくない恐怖から暴力をふるい、妻麻子は孤独を恐れるあまり、その暴力を愛情の裏返しだと信じ、怒りを自分の内面に封印する、そんな共依存の関係。
話の中盤以後に、それまで孤独を恐れ、自分の「のびやかさ」を封印してきた麻子が妹達に「私たちはのびやか過ぎるのよ」と話す場面がある。
本来の三姉妹の「のびやかさ」は見ていて気持ちいい程だけれど、ある意味「欠陥」でもある、と言うことである。
極端にデフォルメされてはいるものの、恋愛や結婚のように深く他者と関わる関係を築くことは、非常に危険なことであり、麻子たち夫婦のような中毒症状を起こすこともある。
が、他の2姉妹のように自我を失わず、のびやかに「愉しく」生きることは、「孤独」と紙一重で背中合わせでもある、そういうお話。
また、他の登場人物、もう一人のDV被害者主婦、雪枝が三女の育子と心を通わせ、DVから抜け出せたというエピソードがあるが、この雪枝と育子の関係が今作中で一番安定した人間関係であるという事実がなんとも皮肉。
あと、微笑ましかったのは、次女の治子とその恋人熊木の別れ話のエピソード。
恋愛小説などでは、別れた相手を美化してしまう終わり方がよくある・・・わがまま放題を言っていた女のもとを去っていった男に対して、「あの人はすべて判っていたのね。私が悪かったんだわ。」などと、女性側に反省を促すような終わり・・・男女逆パターンも有るけど。
それが、この二人の別れ際に交わされた言葉達もまさにその通りで、互いに相手のことを美化して覚えているのに、実際は未練タラタラの感情が渦巻いていた、という結末。
身近にありそうで、なんだか人間臭くて、恋しくて、「こんな人生もあっていいじゃない?」と、ホロリと来た。
思いわずらうことなく愉しく生きよ (光文社文庫 え 8-1) | |
江國 香織 おすすめ平均 「愉しい」=「楽しい」じゃ、ないのかな? 結構ドラマチック 自分に正直に生きること いわゆる”女”の話である 死なない人間はいない Amazonで詳しく見る by G-Tools |
take。さんが反応した部分、確かにそうだろうなぁと、妙に納得してしまいました(失礼しました、ペコリ)。
愉しく生きる、って、煩わしくなく生きる、って言うイメージなんですよね、私の中で。
もっと時間が経つと、煩わしさが恋しくなるのかなぁ?
DVを受けたことは無いけれど、優しい時の夫こそが本当の夫の姿と信じそこにすがる長女の気持ちが痛いくらいにわかる自分をチョッピリ怖く感じました。
「愉しく」と「孤独」は紙一重。
まさにその通りですね。