ふらっと歩いていて、立ち止まった書店の店頭に並んでいた本が、何故かとても気になり、一度通り過ぎたのに、また戻ってきて買ってしまった(自分でも意味不明)。
それが、ひろさちや著「般若心経入門―生きる智慧を学ぶ」です。
大乗仏教の観点から見た般若心経を、一般庶民の生活に照らして解りやすく説明されていて、奥深くまで入り込み過ぎて必要以上に難しくならない様、とてもやさしく書かれています。この本については、この先も幾度か記事を書くことになりそうですが、今日はこの中の「布施」に関するお話をば…。
この「布施」という言葉を聞くと、お寺にお参りしたときや、お坊様に法要などへ来ていただいたときにお渡しする「お金」をイメージしますよね。けど、仏教用語で使う「布施」というのは「(修)行」の一つなのだそうです。することは同じで、「自分の持っているものをほかの人に差し出すこと=布施行」なわけです。しかしその「もの」は、自分にとってどうしても必要なものでないといけないのです。例えば、お寺にお布施したお金が無いと今夜のご飯さえ食べられない、そういう場合は布施行をしたことになります。同じお金でも、ほかの人に差し出して、且つ、残ったお金で生活ができる、というのであれば、「お恵み(自分に必要不可欠でないものをほかの人に差出す)」に当たるのだとか…。
「お恵み」の場合は、もらった側が与えた側にお礼を言わねばならない関係になりますが、「布施」の場合はその逆で、差出した側が受け取った側にお礼を言うのです。
何だかよくわかりませんよね。そこでケーキが出てきます。ここに二人兄弟がいたとして、兄が友達の家でもらったケーキが一つしかなかったとします。そうなると、大抵は親から「お兄ちゃん、半分を弟にあげなさい。XXX(弟の名)は、お兄ちゃんにお礼を言うのよ。」なんて話になりますよね。そうなると、これは「お恵み」になってしまうのです。では、こんな場合はどうでしょう?何も意見が無かったので、兄が1個丸々独り占めし、その前で弟は何ももらえなかったと・・・。かなり気まずいですよね?ケーキを食べた兄は「弟に恨めしく思われてるかも」という後ろめたさを感じ、弟は「お兄ちゃんは僕に一口もくれなかった」と悲しい気持ちになるでしょう。だから兄は半分を弟にあげるのです。「弟よ、半分食べてくれてありがとう。後ろめたい気持ちにならずに済んだよ。」となりますよね?(本書にはもっといろんな意味での布施行の心が載っていますが、一番身近なものをピックアップしました。)
そして、私なりの解釈はこうです。確かに上のような気持ちもわかりますが、今度はこう考えてみました。
ケーキは二つあったと、それも兄弟各々が1つずつもらってきていたとしたら…。この場合、問題なく二人それぞれが1個ずつケーキを食べられますよね。このときのケーキは、二人で分け合ったときより美味しいでしょうか?
これは微妙です。人によるとは思いますが、誰かと分け合って食べるケーキって美味しく感じませんか?一つのものを分かち合う「喜び」ってありますよね?同じ味のケーキを少しずつ食べて、互いに「美味しいね!」と目配せしあう瞬間。私はすごく幸せな瞬間に感じるのです。私の場合は、映画なんかもそうですね。ひとりで浸ってみる映画も好きですが、映画によっては「これはXXXさんと一緒に見たいわ」と思うことがよくあります。一緒に見る人によって、面白さが倍増することがあるのです。このことを考えると、「あなたと(この味を、この面白さを)分かち合えてうれしいです。ありがとう!!」と言えるんじゃないかと思っています。
実際に言葉に出すのは難しいですが、上手く表現できる人間になりたいですね。
それが、ひろさちや著「般若心経入門―生きる智慧を学ぶ」です。
大乗仏教の観点から見た般若心経を、一般庶民の生活に照らして解りやすく説明されていて、奥深くまで入り込み過ぎて必要以上に難しくならない様、とてもやさしく書かれています。この本については、この先も幾度か記事を書くことになりそうですが、今日はこの中の「布施」に関するお話をば…。
この「布施」という言葉を聞くと、お寺にお参りしたときや、お坊様に法要などへ来ていただいたときにお渡しする「お金」をイメージしますよね。けど、仏教用語で使う「布施」というのは「(修)行」の一つなのだそうです。することは同じで、「自分の持っているものをほかの人に差し出すこと=布施行」なわけです。しかしその「もの」は、自分にとってどうしても必要なものでないといけないのです。例えば、お寺にお布施したお金が無いと今夜のご飯さえ食べられない、そういう場合は布施行をしたことになります。同じお金でも、ほかの人に差し出して、且つ、残ったお金で生活ができる、というのであれば、「お恵み(自分に必要不可欠でないものをほかの人に差出す)」に当たるのだとか…。
「お恵み」の場合は、もらった側が与えた側にお礼を言わねばならない関係になりますが、「布施」の場合はその逆で、差出した側が受け取った側にお礼を言うのです。
何だかよくわかりませんよね。そこでケーキが出てきます。ここに二人兄弟がいたとして、兄が友達の家でもらったケーキが一つしかなかったとします。そうなると、大抵は親から「お兄ちゃん、半分を弟にあげなさい。XXX(弟の名)は、お兄ちゃんにお礼を言うのよ。」なんて話になりますよね。そうなると、これは「お恵み」になってしまうのです。では、こんな場合はどうでしょう?何も意見が無かったので、兄が1個丸々独り占めし、その前で弟は何ももらえなかったと・・・。かなり気まずいですよね?ケーキを食べた兄は「弟に恨めしく思われてるかも」という後ろめたさを感じ、弟は「お兄ちゃんは僕に一口もくれなかった」と悲しい気持ちになるでしょう。だから兄は半分を弟にあげるのです。「弟よ、半分食べてくれてありがとう。後ろめたい気持ちにならずに済んだよ。」となりますよね?(本書にはもっといろんな意味での布施行の心が載っていますが、一番身近なものをピックアップしました。)
そして、私なりの解釈はこうです。確かに上のような気持ちもわかりますが、今度はこう考えてみました。
ケーキは二つあったと、それも兄弟各々が1つずつもらってきていたとしたら…。この場合、問題なく二人それぞれが1個ずつケーキを食べられますよね。このときのケーキは、二人で分け合ったときより美味しいでしょうか?
これは微妙です。人によるとは思いますが、誰かと分け合って食べるケーキって美味しく感じませんか?一つのものを分かち合う「喜び」ってありますよね?同じ味のケーキを少しずつ食べて、互いに「美味しいね!」と目配せしあう瞬間。私はすごく幸せな瞬間に感じるのです。私の場合は、映画なんかもそうですね。ひとりで浸ってみる映画も好きですが、映画によっては「これはXXXさんと一緒に見たいわ」と思うことがよくあります。一緒に見る人によって、面白さが倍増することがあるのです。このことを考えると、「あなたと(この味を、この面白さを)分かち合えてうれしいです。ありがとう!!」と言えるんじゃないかと思っています。
実際に言葉に出すのは難しいですが、上手く表現できる人間になりたいですね。
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今日は私がうんうん頷きながら読ませてもらいました。
誰かと一緒に映画を観ることで楽しさが倍増したり、
一緒に食べることでおいしさが倍増したりってありますねぇ。
私はその実感が少しでもほしくて、ブログで映画のことを書いたりしてたのかもしれないな、と気づきましたです。
今回、この本を読んで救われることが多かったので、この先も忘れられない一冊になりそうです。
今までも、自分を見失いそうになったとき、何か光る本が見えてくるんです。
本能が、自分を守ろうとしてるのかしら?と感じます。
本能が自分を守ってくれてるて、いう感覚、分かりますよ~
私もそういうことがあります。
私はそういうとき、心の中に神様がいてはってんや~みたいな気持ちになりますww
本屋さんの店頭で一番目立つところに平積みされてました。
文庫本なので、持ち歩きも簡単でいいですよ。
偶然見た、よそ様のブログでも紹介されてました。