サラリーマンのよもやま話

50代独身サラリーマンが思いのすべてをぶちまける!…ってほどの大袈裟なものではなく、ただの日記です。

「運」の無駄遣い

2017年02月05日 09時46分37秒 | 独り言


どすん!

いきなり何やねん!?と思われたそこのあーた!
急にスイマセン。
いや、写真をご覧いただいてお分かりのとおり、JRAとコップのフチ子のコラボキャンペーンである「お馬のフチ子と有馬記念 プレゼントキャンペーン」に当選し、商品のクオカードが届いたのでR(あーる)

お!ラッキーやん!
…と思われたそこのあーた!

いやね、実はそう手放しで喜べないのでは無かろうかと思うのですよ。
ん?なぜ!?

人類永遠のテーマである「人はみんな運の総量は同じ」であるという理論。(←そんな大きなテーマか!?

どういうことか。
人は誰しも生まれ持った運の総量は同じ。
運が良いとか悪いとか言うけれど、結局人生においてそれらを差し引きすれば結果「ゼロ」になるという理論である。

これはある意味正解だと思う。
簡単に言えば、人生においてじゃんけんを通算10,000回したとすれば、結果5,000勝5,000敗くらいになってるってコトでしょう。
でも、ある意味違うと思う。
その違う部分とは?

同じじゃんけんで勝つか負けるかの場面で、単純に勝敗だけを数えたらプラマイゼロという理論が成立していたとしても、問題はそのじゃんけんをする場面だ。
最後に1個余ったお菓子をじゃんけんで勝った方が食べよう!って時のじゃんけんと、高校野球の決勝で先攻か後攻かを決める時のじゃんけんとでは、大きく意味が違わなくね?

要するに個人だけの話で言えば、

じゃんけんに勝って余ったお菓子を食べれた→運が良い
が、そのお菓子が実は腐っててお腹を壊した→運が悪い
すなわち「差し引きゼロ」


…という意味では「運の総量は同じ」が成り立つ。

が、他人と比較した場合
Aさんの運の総量は100
Bさんの運の総量は1000
…というように、必ず個人差がある(はずだ)。

じゃんけんに勝って余ったお菓子を食べれる「程度」の人がAさん
高校野球で先攻・後攻を決めるじゃんけんで勝って希望の攻めを取れる人がBさん
…てな感じに。

すなわち、個人の運の総量は同じだけども、他人と比較すれば必ずしも同じでは無いと言うこと。
ま、当たり前の話やな。
若くて美人で巨乳で才女で性格も良く料理も上手な完璧な奥さんを貰う人もおれば、オレみたいにいつまでも出会いが無く、今だ独身で働いてなきゃクズ同然の暮らしをしているヤツもおるワケやし…

結局今日は何を言いたいのかっつーと、運の無駄遣いはしたくないというコトです。

高額宝くじ(totoビッグ含む)当選を目論むオレ。
年末ジャンボ宝くじも外れた、年明けの1等10億円のお年玉ビッグも外れた。約60枚ほど届いた年賀状は切手シートすら当たっていなかった。今年馬券がまだ1回も当たってない。
が、冒頭のキャンペーンでクオカードが当たった。

ハイ、これで差し引きゼロ。

…みたいな小さなコトで運の使用量をチャラにしたくないんですよ!

いや、お前はその程度の運の総量の持ち主なのだと言われたら…なおさらこんなことでチャラにしたくない。
たとえオレが運の総量が100で、運の総量を1000持つ人には敵わないとしても、「運の総量は同じ理論」が成立するならば不運を蓄積することでその見返りが大きくなるはずだ!
1等10億円が当たるほどの運の総量はオレには無いにしても、マイナス運を蓄積することでもしかしたら2等くらいは当たるかも知れないやないの!

…と、セコイことを言うとるからアカンのやろな

運の総量=人間としての器の大きさ

オレに足りないのは1等が当たるくらいの器の大きい人間になるべき努力なのかも知れないね。

よし!こうなったら…

明日から本気出す


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コメント (8)
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