あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

いすみ鉄道での思い出

2018-08-17 22:00:00 | Weblog

ちょっと前のお話しですが

いすみ鉄道の鳥塚社長が解任されてしまった。


<いすみ鉄道社長退任表明>“カリスマ”喪失危惧 地元関係者「流儀受け継ぐ」千葉日報


 

今まで鳥塚社長が企画したイベントも株主の大多喜町側からことごとく却下され

鳥塚社長降ろしが行われてきたがついにその時が来てしまった。

決して円満解任ではなく解任させられた

鳥塚社長のブログは為になる話しが多く読むのが楽しみでした。

そこで、いつか書こうと思っていた父と私のいすみ鉄道の思い出。

2012年の事なのでもう6年前。

まにまにカレチさんから誘われていすみ鉄道のイベントにお邪魔させてもらった。

楽しんで帰宅し実家にコルトを置きお土産といすみ市の観光マップを親に渡した。

それから数日し母から

「今度いすみ鉄道に行く事があったらお父さんを連れて行ってあげてくれない?

あれから毎日観光マップの地図を見ているの。『この道を曲がって、ここに出るのか』とか

1人でブツブツ言っているのよ。行きたいみたいなのよ」

国吉(くによし)の事か…

そこは父にとって行ってはならない場所だったのだ。

父側の祖父は国吉の生まれだったがここでは書けない事情で

祖母は父の幼少期から「国吉には決して行ってはいけない!」と厳命してきた。

もっともその話しも私がいすみ鉄道に行くことになってから聞いた。

「おまえ、国吉に行くのか。あそこは俺の親父の実家があってなぁ

母ちゃんから絶対に行くなよ、と言われてきたんだ」

その事情も成人してから父に聞いていたが国吉がその地だとは知らなかった。

しかしもう80歳も過ぎたし自分の父の足跡に触れてもいいでしょう。

2012年4月の「みんなで幸せになる祭り夷隅」に参加が決まり

父に一緒に行かないか、と尋ねると「連れて行ってくれるのか。行く!」

即答だった。

(いすみ市)国吉に行ったら何をしたい?どこに行きたい?

「親父の家を探したい」

住所などは全く知らないそうだが手があった。

私の名前は珍しい名前なので父の兄弟以外に同じ名前の人に会った事がない。

以前に「いすみ鉄道応援団」の掛須団長から国吉には何件かその名前がある、と

聞いていたので国吉の交番等で聞けば実家の手掛かりが分るかもしれない、と思った。

(つづく)

*今回は全て書き上げてあるので4日連続でアップするであります!

追記:コルトは未だに入院中…

コメント (4)
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